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わさびの国の民

映画、マンダウンを見た。緊迫したミリタリーアクションを期待していると裏切られる。そして前半のストーリー展開はかなりまだるっこしい。だがだんだんどういう話か理解できる。それが後になって必要なものとの納得はさほどないので、もう少しうまく作れた映画かなとは思うが、それでも後半は見るべきものがある。アフガニスタンから帰国した兵士のPTSDは深刻らしい。かつてのベトナム戦争のように。とても哀しい映画である。

日米同盟が日本の外交の基軸だそうである。それが今の日本の国益にかなうのかどうかという議論とは別に、どうして日本人はアメリカに対して国民的敵愾心を養わなかったのだろうか?という議論がある。国民感情の話である。日本人はどちらかと言うと、アメリカに好意的である。中国や韓国に対する国民感情より好意的と言っていい。東京大空襲で10数万の一般市民が一夜にして焼き払われた。大虐殺である。今日は広島原爆投下の日だが、広島長崎もしかり。だがそれ恨んでいる様子がないのは不思議だとこれは外国からそういう見方をする人々もいる。

上の議論についていろんな説明がなされているが一番わたしにしっくりと来るのは、日本人はわさびの国の民だという説明である。ツーンと来るけどその時だけ。ちなみに他国は唐辛子とかの香辛料の人々。大抵遅れて効いてきてかなり後まで残る。日本人くらいらしい。わさびをこれほど好むのは。

日本人にはいつまでも過去のことを蒸し返すのは武士道に反するという感覚があるという説明も、でも日本人のほとんどは武士じゃないしね。でも実感として、終わったことはどうでも良いという気分は日本人は強いとは思う。

いろいろ調べていて驚いたことがある。日本人に対してはっきりよくない感情を持っている国は三つある。中国と韓国と、そしてもう一つはドイツである。ドイツ人は日本人にとてもよくない感情を持っているそうだ。ちなみに日本人はドイツ人にとても好意的である。

ドイツ人が日本人によくない感情を持つ理由は、これは教育の成果でない。むしろ青少年よりも大人になるにつれて日本が嫌いになっていくそうである。何が嫌いかと言うと、わさび的な国民の考え方。ツーンとするがその時だけ。あらゆる問題をうやむやにして終わらせる。それがドイツ人には信じがたい、ということらしい。ドイツには日本的な謝罪、という言い方があるそうである。大げさに謝って物事を早く終わらせることを指すそうだ。もちろん良い意味では使われない。

日本の時代劇を見ると横暴な代官が黄門様にでも懲らしめられて、それでペコペコ謝ると、それで民はその落差に喜んで、それで終わってしまう。偉い人があれだけ謝っているんだ、許してやろうじゃねえか。日本人はそういう態度を美徳にさえ思う風潮がある。いつまでもぐちゃぐちゃ言うのは見っともないとも思う。まさにわさびの民である。

安倍首相の支持率が30%を切っていたのに、一連の謝罪と新しい内閣発足で45%にまで回復したそうである。あれだけ謝ったんだし体制も変わったんだから、ひとつ心を入れ替えて頑張れや、これが日本人の感覚のようである。まさにドイツ人が言うところの、日本的な謝罪が功を奏したということであろうか。これではますますドイツ人は日本を嫌いになるだろうね。

さてどっちだろう?

文章校正の話題を書いたが、わたしのような新人ライターにとってはミスタイプ誤字脱字は要注意である。なぜなら基本的な校正ができていない人間が自分の書いた文章を大切にしているはずがないと、普通の編集者はそう思うはずだからだ。中身も真剣に書いているからこそチェックもしっかりしている。細部に目が行き届いていなければ中身も大したことはないだろう。こう考えるのは当然の流れ。自分は文章力があると勝手に思うの構わないとしても、それでミスタイプが許されることはないのである。

森友問題にせよ加計問題にしても、これは国策の根幹に係わる問題ではないので、いつまでも国会を空転させるのではなく、山積する防衛、外交、経済、あるいは社会保障などの重要な問題に議論をシフトすべきだという考え方がある。いつまでやっているんだ!ということである。

だがこれも文章校正の話と似ている。加計問題のように、お友達を意図するかしないかは別にして結果として優遇して、そのプロセスも脇が甘いとしか言いようがなく、そしてその説明も破綻している。この程度の問題にこれくらいのことしかできない男に、果たして国家の大事を任せていいのだろうか?わからないだけで大切なことだっていい加減にやっている可能性が高いと、そういう考え方にわたしは激しく同意する。(自分で自分に頷くんだがね。)


ミスタイプだらけの原稿を送られた編集者がなんとも思わなければそれはたぶんダメ編集者だ。もしも国民の多数が同じように思わないとしたら? それはダメ国民ということになると、わたしはそう思う。

ところで世の中にはいろんな人間がいる。こう話すわたしもビジネスマン時代けっこういい加減な男と評判であった。会社での評価なんて気にしていなかった。それでも抜群に結果を出すものだから、あれよあれよと出世した。評判を気にして出世するのではなく結果を出して出世をする道を選んだのである。

そう考えると、安倍ちゃんは実は国民の評判より気にしている大切なことがあるのやもしれない。だとしたらそれは恐ろしいことである。いやいや、ただのボンボンか? さてどっちだろう? わたしは安倍ちゃんはたぶん後者だと思うがいろんな取り巻きがいるようだから恐ろしい取り巻きもバカな取り巻き同様きっとたくさんいるんだろうなとは想像している。憲法も変えるようだし。

ところでこのブログはミスタイプが多い。理由は文句を受け付けないからだ。これは今後改善する気は少しあると一応どこかの首相並みの言い訳をしておこう。
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毎週の渋谷。呼吸法の稽古である。もう17年も通っているが最近ますます楽しくなってきた。うまく説明できないんだけどね。渋谷の街を歩いているといろんなイベントを目にする。この車なんて車かと言うと、かの有名なテスラである。1200万円ほどの車だが、それがドンキのキャンペーンカーになっている。写真を撮っていいかと聞いたら、どうぞどうぞ、ブログでインスタグラムでもなんでもご紹介くださいとのこと。

今日は朝から渋谷に出て、それで楽天カフェで執筆を行なった。次回の注文のライティングだが、かなり専門的な内容で言葉を選んだので2000字書くのに2時間近くかかった。書くスピードのばらつきというのも今後考慮しないといけないだろうが、一方推敲校正にかける時間は確実に減らせる見込みだ。今日はミスタイプを発見するソフトを使ったがなかなかいい按配だ。

ライティングしながらずっとNHKのラジオを聞いていた。どう聞いても信じられない説明が続く。わたしが一番おかしいと感じたのは、安倍首相は加計理事長となんどもなんどもゴルフをしたり会食をしたのに、獣医学部の話は一度もしたことはなく、そして獣医学部新設を申請したことさえ知らなかったそうである。知ったのは許可された後なんだって。誰も信じないようなセリフである。

アメリカのCIAでは職員に対してポリグラフの検査を行なっているそうである。嘘をついていないなら別にポリグラフでもなんでも持ってこいじゃないだろうか?ぜひ安倍さんをはじめ政府首脳にはポリグラフで発言を記録してもらいたいものだ。やったらおもしろいだろうね。

その他前川元事務次官と和泉首相補佐官の証言も真逆である。これもポリグラフの出番だろう。ポリグラフにネガがあることくらい承知しているが、それでもやらせてみたい。それくらい信じがたいコメントの御パレードだった。



既得権益者VSお友達

旧友のとしくんのお兄さんは獣医である。地元で開業してもう数十年。そんでとしくんに聞いてみたが、としくんはお兄さんと話していて日本の獣医は足りているんだそうだ。まずペットの代表格犬猫でさえ減っている。大きいのは日本の畜産業界がずっとシュリンク傾向にあるということ。日本は人間も減っているが動物も減っている国ということだ。

それでも15年も新設の獣医学部が認められていないというのは、これは既得権益を守るためではないか?という邪推も簡単にできて、別に作りたければ作らせてやればいいじゃないかとわたしも最初そう思った。

だが某学園に国有地30数億円分がただで提供されて、かつ学校の建設費も数十億円単位で国が補助することになっていると聞いて、なるほどと了解した。要はそういう話なのである。さすがにお友達思いである。当然だが国が出す100億円以上はこれは国民の税金(あるいは借金)である。莫大な金を使って足りている獣医をさらに増やして国民がどれだけ嬉しくなりますかね?結局日本社会においての権益者同士の勢力争いなのである。

それにしても某首相は某学園の選定にまったく影響力も行使していないと何度も力説している。たまたまお友達が選ばれただけだと。昔ある大きな会社のオーナー社長が言っていたセリフを思い出す。時期社長を選定するにあたり、自分は公正な競争を候補者にさせて、そしてその結果実力実績とも抜群であったからそれで結果息子を選んだと言うのである。実力NO1がたまたま息子であったと。役員会議にもはかって皆の意見を集約して公正に選定した結果だと。まあどうにでも言えるが、外部の人間なら聞いて笑ってしまう話である。

徳川家康は人生の機微について名言を幾つも残しているが、その中でわたしが気に入ってるセリフのひとつに「真のような嘘を語れども、嘘のような真は語るな。」というのがある。文言は正確でないかもしれないが趣旨は明確だ。要は人が聞いて信用ならぬと思うようなことはたとえ本当でも(あるいは嘘でも)それは言うなということである。もっと言うなら、自分の言葉が相手にどう伝わるか、聞く人間の気持ちをよく考えよということでもある。

その某会社の社長もまた某首相も、権力を握っていればそばにいる人間はそれは合わせるに決まっている。それで皆が賛成だと胸を張ったところで、さて言葉なき大衆はそれを心の中でどう思うか?権力者がどう思われようが構わぬような発言をするというのはそれだけ人を舐めているということである。家康は苦労人であったから自分を戒めることができたのか、 秀吉の虐殺や朝鮮出兵など他の成功者が晩節を汚すことが多い中、その面では大過なく後世に権力を引き継いだ。彼に学ぶ権力者はなかなかいないようである。

豊田某女史のこと

豊田某女史の録音は傑作であるが、あれを聞いて誰もが思うのは、あれが彼女の本性だろうということ。たぶん前からやっていたこと。魔が差したという話しじゃない。かなりのエリートの家庭に生まれているが家族も一皮むけば似たようなものだろうとか、これはわたしがそう言うのではなくそう邪推を呼ぶのは致し方ないと思う。それくらい堂に入ったパッと身につけたものには思えない態度である。そしてそれが露見した。おそらく本人にとっても家族にとっても生涯経験したことがない耐え難い屈辱だろうね。

ところであの録音を聴いて驚いた人が多いのだろうと思うけど、多少政治の世界に足を踏み入れたわたしからすると、それほど驚かない。政治家の反応はわりと冷めてるでしょ。あれはやりすぎだというのは間違いないけど、まあああいう政治家は多いのである。相手によって極端に態度を変えるのが政治の世界、すべての鬱憤が秘書に向かう。秘書は政治の世界では消耗品で都合が悪ければいつでも切り捨てる存在だ。

政治家にもいろんなパターンがあるんだけどおしなべて言えるのは人間性という意味でどうにも尊敬しかねる人物が圧倒的に多い世界だということ。国民のことを本気で考えている政治家はとても少ないし、あるいは考えていても見当違いって人間も多い。弱者に寄り添うみたいなことを言うけど、そんな世界知らない人間がほとんど。確信犯と勘違い野郎で政治家の大多数である。

政治では世の中に貢献できないって思ったから、それもあってわたしは児童養護施設に行った。自らが直接関わり合うことで一人でも二人でも人生が変わればわたしも生きた甲斐がある。あの録音を聴いてわたしの判断は良かったななんて改めて思うハルトモ君である。

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