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ここで言うメディアとは新聞とか週刊誌とかテレビだけど、わたしが学生の時でもメディアはすでに権力だと感じていた。今もそう感じている。だからわたしから見るには今騒がれているのは、メディア対権力ではなくて、メディア権力対政治権力、どっちも権力だから時に寄り添い時に揉めその距離感は一様でなく少なくとも大衆から見れば不透明である。たぶん今の日本は癒着が基本だろう。その上での小競り合いと見える。
どっちも権力だが大衆に害をなす度合いは政治権力の方が大きい。だが選挙があるからそれは国民の選択という錦の旗がある。国民程度の政治にしかならない。メディア権力の始末が悪いのはその成り立ちが国民の意思と別にあってそこが胡散臭いことである。たとえばどうやってNHKで出世するのか? 一般にはわからない。いろんな力学が働こうが少なくとも国民が選んだわけではない。一般の企業なら勝手にすればで終わりだが、メディアは十分権力である。その分自制心が問われるのだろうだが、自制心くらいあてにならない言葉はない。どれだけ立派な人間でも自制できない例は枚挙に暇がない。 政治権力の中にはメディア権力はフェアでないと考えてるものが多くいて、大衆も大メディアは信用できないとだいぶ前から感じていて、それがネット上で邂逅することになる。ネット上の大衆はダイレクト感に手応えを感じるが、政治権力は本性を隠していて相手がメディアであろうがネットあろうが考えていることは変わらない。今後そのあたりの歪みが顕在化する機会もきっとあるのだろうなと思う。 じゃあいったい何を信頼すればいいのか? わたしに言わせればこういう疑問は思考停止の証左である。日本人はもっと自分の頭で考えるべきだ。誰をとか何をとかを信頼するのではなく、そこで逐一自分で判断すればよい。信頼できない人間がいつも嘘を言うわけではないし、信頼できる(と見える)人間がいつも正直なわけではない。人は言っている通りすることもあるししないこともある。言ってないことをすることもある。その言うことも変わっていく。 それは不誠実とか誠実とかとは別次元の話である。善意を持ったものが真実を語るとは限らないし、悪意を持ったものが事実と異なることをいうわけではない。本当の悪人はむしろ真実とか誠意を巧みに利用する。それをふまえてであるが、おおむね信頼できる人間というのはいるし、おおむね信頼できない人間というのもいる。100%はないはずだが、その上で完全に信頼するという手はある。うまく人を選ぶなら最強の判断となりうる。信頼されることで人もまた変わるからだ。 そうなると信頼するのはその信頼する人間側の問題である。もともと100%でないものを信頼するのであるから、後から裏切られたと騒ぐのは愚かである。信頼するというのは裏切られてもよしとする覚悟を含むものであるべき、そんな頻繁にできることではない重い行為。わたしはそう考える。要は簡単に信じて簡単に裏切られたと言うなということである。 |
政治経済
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トランプは殊勝な顔をして大人しい。当選して自分が一番びっくりしているのだろう。責任の重さに怖じ気づいているのか、それとも演技か? いずれにせよこれからが楽しみだ。案外まともであることを期待する声がけっこう出ているが、まともの意味はなんだ? まともならTPPに参加するという話でもないし、駐留軍の費用も増額なしでいいと言う話でもない。いくつかは引っ込めるがいくつかは当然進めるはずだ。
彼はビジネスマンだから実績とか結果にこだわるはずだ。政治の世界では10やると言って10やる人間が評価されるが、ビジネスの世界では10やると言って10やる人間より20やると言って15やる人間のほうが上だ。結局本当にどれだけ国民がハッピーになるかが重要で、別にトランプが言ったとおりにやったかやらないかじゃない。トランプを支持した人間だって本当にイスラム教徒を全面入国禁止にするなんてできるとも思っていないはずだし本当に国境に万里の長城が建設されるとも思っていないだろう。もちろんやったらやったで喜ぶ人間もいるだろうが、やはりやりすぎだと言う声もあがるだろう。反発はMAXになる。ただそれくらいの勢いがあるならそこそこ結果も出してくれるだろうと、そういう期待で投票したんだろうと思う。 それと日本のマスコミとか評論家で、トランプはなにもわかっていないから、これからいろいろ勉強してまともになってもらおうというような言い方する人間がけっこういる。何もわかっていないからあんなバカなことを言うのだと。それが本当かどうかわたしは知らないが、トランプと直接つきあったこともない人間がそう決めつけるとしたらそっちがバカだ。 彼は支持層の琴線に触れるような言い方をしたからこそ当選したわけで、さもなくば大統領になっていない。ある意味彼の支持層が物事をよくわかっていないという証左かもしれないが、だがよくわかっていなくても、その支持層の不満や鬱積は本物だ。その不満も鬱積もアメリカの格差拡大の本質にかかわる問題だから、それに対して知らぬ顔をするのではなくむしろ代弁者として声高に抽出するのは別に悪いことでもない。彼によってアメリカが分断されたかのごとき言い方をする人間も多いが、本音が表に出てきただけで、別に彼はまだ何もしていない。 ところで別にわたしはトランプ支持じゃないよ。どんな人間かも知らないし、だいたい言っている内容も賛成できないことが多い。ただ自分が長くビジネスの世界にいて、それで政治の世界をすこしかじって、それから役所的な仕事もすこしかじって、それでビジネスの世界とはまったく別の力学で動いている社会だという実感は十分得たからビジネスマンが政治をやったらどうなるか? それは興味ある。日本じゃあり得ない展開だ。 |
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衛星放送でアメリカの放送をずっと見ていたが傑作だった。予想外の展開にコメンテーターも言葉がない。みんな参ったなという顔つき。結局国民は世論調査とかで嘘を付いていたわけだ。出口調査だって嘘をついてる可能性は高い。つまり表向きはトランプを肯定はしないけど実際はトランプに投票した人間がたくさんいたということで、これはある意味トランプはアメリカ人の本音でもあったということだと思える。いいじゃないかって思える。わたしは本音が好きだ。
それにしてもこれからが楽しみだ。暇人のわたしとしてはトランプの政治漫談が毎日聴けると楽しみにしている。日本への影響だが、これは大変なことになるなんて言っている評論家の言うことは気にしなくていい。むしろ既存の権力構造に今まで上手いこと覆い隠された怪しげ部分が公になる可能性があると言う意味で楽しみにしていい。本音の政治が見れるかもしれない。日本も本当の意味で選択を迫れるかもしれない。 |
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実はよく知らない人の文章を読む。これは普通のことである。作家の書いたものはほとんどそうだし、雑誌とか新聞に至ってはその看板がまさに書き手で実際はどこの誰だがわからない人間が書いている(仮に署名記事でも)。よく知らない人間が言っていることを聞くこともある。日本の総理大臣がいろいろ言う。だが彼がどんな人間かほとんどの国民は実像を知らない。ヒラリーだってトランプだって実際どんな人間かわかりはしない。
そうすると人間はある種の作業をすることになる。意識無意識に関わらずにこの人間がどういう人間か、足りない部分を、やはり見えている部分から自分の主観で抽出して補うという作業である。それは言葉遣いであったり身振り仕草であったりひょっとしたら公開されている情報から想像することもある。
この感性が低いとあるいは演技者が極めて上手だと、コロリと騙されるということになる。始末が悪いのは自分で作り出した幻であるのでいったん出来上がると雪だるまのように大きくなる。彼は信頼に足る人物であると一度結論づけると、その後、信頼できる彼の言うことだからそれは信じていいだろうと。だがこれは思考が下流から上流に向かって逆転している。
自分の感性で判断したことだからそれはそれで仕方ないとも言える。あとはその感性が高いか低いかの話であるから。ただわたしは日本人の感性は極めて低いと思っているどころかむしろ自分の感性を使うことを放棄していると感じている。つまりどんな人間か自分の主観で判断をしない。自分の感性の代わりになにを使うかと言うと、それは権威である。肩書きとか学歴とか。自分が間違っているかもしれないという恐れから自分を安易に解放したいのが日本人である。自分独自の判断を自分勝手な判断と呼び、嫌うのである。人と違うことになりたくないから。
株式投資だって、実績十分のわたしの言うことなんかに耳を傾けもしない友人知人が、どこぞの誰かわかりもしない、いわゆるプロだとか評論家の言うことを、プロによれば、、、などと信じる。いやー信じてないよ、、と言いながらも心の奥にはどこか尊重する気持ちがあって、一方わたしの言うことはハルトモはすごい人間だと口では言いながらどこか尊重できない気持ちがある。それは誰もが認める肩書きがないからである。
政治と作家が大きくことなる点は、かりに作家の実像は知らなくても書いたものが全てであるから別に実像は知らなくても差し障りはない。おもしろく読んでおけばいい。極端な話仮に盗作でもね。では政治はどうだろうか? 言っていること書いていることが全てであろうか? そうではない。実際に政治をするのは実像である。言っていることは外向きで実際どういう政治をするのかどういう方向に進めようとしているのかこれは常に別にあって、それは人によって隠された部分の多い少ないの差はあるにせよ、全ての細かな問題について公的に発言できないこともあってこれは一致することはない。言うことだって簡単に変わる。
テレビでみる政治家の発言を見て聞いて、この人間の言うことは信頼できないなって感じる自分の感性がある。ネットの情報だってそうだ。ただブログを読んでいてもああこれは信用できないなと自分で感じる感性がある。ただの感性であるが、これがわたしの場合、長年の実績ではほとんど外れていない。
注意しないといけないのは一個の人間の中に信頼できる部分と信頼できない部分がかならず両方あるということである。だからいつも信頼できるわけじゃないし、いつも信頼できないわけじゃない。多い少ないはあるけどね。それも頼りは感性であるから常に虚心坦懐、刮目して見るべしである。
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ストレッチを終えてゴルフの練習に行ってきた。二階席まで走って上がる。最近階段をみると二段飛ばしでポンポンと行きたくなる。
スイングで腕の動きを抑えて体の捻転を深くすることを意識してみた。それがストレッチの目的だ。わたしの場合トップからさらに手をあげてコックも強く入っている打ち方だった。それが完全に変えるのは無理だと思うが手の動きを抑える。そうするとプレッシャに強いスイングになる気がする。手や手首の動きが多いと緊張した時にはうまく動かない。それがミスショットの原因になる。ひょいと上げて手で打ってしまう。かなり強い球が出る。これで練習を続ける。早くゴルフの仲間との差を縮めたいものだ。 ゴルフのじゃなくて経済の差の話だが、経済格差が広がっていることについてのNHKの特集を見た。有史以来空前の格差で、アメリカの上位62人で下位の35億人分の資産を保有しているそうだ。それに対して格差を是正しようという動きもあるそうだ。主導するのは同じく富裕層またはそれに準ずる層。貧乏人はサイレンスである。いつだって貧乏人はサイレンスである。せいぜい心配できても自分のことでそれさえまともにできはしないから格差の是正なんて茫洋なイシューに反応もしない。さて富裕層は自ら格差を是正できるか? これは限定的に決まっている。もし人間というのがそういう生き物なら長い人類の歴史の中でとっくに是正されているだろう。 格差がどんどかどんどかこれ以上広がっていったらどうなるだろう? 共産主義という受け皿は今はない。革命という手法はすでに陳腐で、だいたい貧乏人にそんな元気はないだろう。 漠然と感じる。勝利者のいない壮大な自滅が訪れるのではないか? ガラガラと世の中が崩れその原因がよくわからずに対処のしようもないそんな事態がいつか来るような気がする。いつかは皆目検討がつかない。政治的な動きも絡むかもしれない。そうなったらどうするかって? どうなるかもわからないのに考えようもないが、まずは健康で元気でいることだろう。これ以上金を増やす意味はない気がする。金持ちが金儲けに熱心になるほど格差は広がるだろうしね。ということで肉体改造という路線は間違ってはいないような気がする。金力よりも筋力だ。利回りよりも体の回転だ。ポートフォリオのバランスよりも体のバランスだ。 |



