|
毎週日曜日は自転車で渋谷の行くのが最近のパターンであったが、今日はあいにくの雨。雨でも自転車に乗る人もいるんかもしれないが、わたしはその気はない。ゴルフだって雨が降ったらやらない。
ということで、かみさんと娘のリクエストで佐野のアウトレットまで運転手を勤めることにした。待ち時間はスタバで。彼女らが何をどれだけ買ったかよくわかならない。でもせっかくだからわたしもいくつか冬物を購入した。スリムになったので前のサイズよりワンサイズ小さいそれで似たようなものを買ったからあんまり見栄えは変わらない。大きい物は順次捨てていこう。何を捨てようかとクローゼットを開けたら見たこともないジャケットとかセーターとかがある。あれ、っと思って思い出した。一ヶ月くらい前に御殿場のアウトレットで爆買いをしたのを忘れていた。何だか随分服が増えたな。そんでもって捨てようと思って着てみるとこれが案外悪くない。でもいくらか捨てた。古いものを。ところが古いもので以前私が海外出張してかみさんに買ってきたアウターでサイズが大きすぎて着ないものがあって、これが今の私が着るとちょうどいいじゃないか。まずます着る服が増えたな。
最近思うのだが、買うというのは使うということを前提しているというのが常識人の発想だろうが、私の場合は買うと使うが独立していて互いに干渉し合わない。必要なものを買えと指図もしないし、買ったものは活用せよという指図もない。買うも使うもそれぞれ自由でインデペンデントで且つそれぞれ楽しい。これでいいでないかね。きっと。楽しいというのを細分化して行ってね、それで最小限に単位になっても、やはり楽しい、というのが本物だ。何かのために何を、なんて考えるから譲歩と妥協の積み重ねになる。極小の単位で楽しさを積み上げていけばすべてプラスにしか働かない。それがハルトモ君の人生だね。
ディーズというコメディ映画を見た。その映画の感想はさておき、映画の中に面白いセリフがあった。君が子供の時に何に憧れたか? 医師、消防士、スポーツ選手? 投資家に憧れた人いますか? まったくである。富は憧れの一部ではあるが夢の全てではない。何か格好いいもの、人を助けるもの、人を勇気づけるもの。それでもって自分が生きている意味を確信できるもの。これがなければ少年の心を打たない。それでこその夢である。
だが少年が成長して次第に金さえあれば、、となるから投資で財をなしたいなどと言い出す。こうなると少年の夢ではない、大人の打算であろう。その打算がもろくも崩れた時に少年の夢はどこに行くのであろうか? 一度大人の打算を心得た人間は二度と少年には戻れない、と私は感じている。だからこそ少年であり続けることに意識的な努力を払い続ける。それがハルトモ君である。打算などどうでも良いが、だが不足ないくらいは儲けるぞ。そういう人生である。
|

>
- エンターテインメント
>
- 映画
>
- 映画レビュー





