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信頼とはなんぞや

昔、なにげなくカーラジオを聴いていたとき、番組のお悩み相談のコーナーで、「親が私のことを信じてくれない、ひどい」というようなリスナーの葉書が読まれていた。
もう詳しい内容までは覚えてないけど、そこまで深刻な内容ではないけど、「親が信じてくれなくて傷ついた」的なことだったと思う。
私がそのとき思ったのは、信じてくれない親に文句を言う前に、信頼関係を築けなかった自分を反省したら、ということ。
親子だけでなく、友達とか恋人・夫婦とかでもそうだと思うけど、信頼関係に一方だけの責任ってことはないから、このリスナーの子の親ももちろん娘のことを理解できるための関係を築かないといけなかったと思う。
ただ、割と学園ドラマとかにあるんだけど「信じるって素晴らしい」という幻想が世の中蔓延してる気がする。
浮気してる相手に問い詰めたときに「私(orオレ)を疑うの?」と逆ギレするときは、やましいことがあるときなんてのはみなさん自分や周りをみわたせば、思い当たるのでは?
「信じる」ということは信じた人間は立派な人間で、疑う人間は醜い人間のような錯覚さえ覚える。
だが、上の浮気の例を考えてみたらわかるように、「信じる=相手のため」ではないし、信じたり信じたフリをすることは結局は自己保身(相手によく思われたいとか、相手とのもめごとを回避したいとか)にすぎないのじゃないかと思う。
「普段は素行は悪いが、本当は気のいいやつAくん。そんなある日そのAくんのクラスでサイフが盗まれた。クラスメイトはAくんを疑った。教師はAくんはそんな子じゃないとAくんを信じた」
こういうのが学園ドラマなどで描かれる良い先生像。
私には教師失格としか思えない。
もちろん、じゃあ、Aくんを疑えということではない。
だけど、次の例ではどうだろう。
「毎日毎日遅刻するBくん。大切なテストの日も、部活の練習も、試合も、いつも遅刻する。さて、Bくんはある仕事に就きたいと思い、先生にそういった職種の会社を紹介してもらいます。でも、Bくんの行きたい会社はBくんの学校から1人しか面接にいけません」
さて、このときBくんの熱意をかって「Bくんはきっとこの会社の面接の日には遅刻しない。信じる」と面接をうけさせる教師は、教師として立派でしょうか。
わたしはそうは思えません。
教師と会社の信頼関係を保つためにも、普段から素行のいい(遅刻のしない)生徒を選ぶべきです。
そうすることで、のちのちの後輩たちの就職のためにもいいことだと思うのです。
Bくんにはもっと前から遅刻しないこと、時間を守ること、社会のルールを守ることを教えるのが教師の役目で、それがいままでできなかったのだから、「信じる」なんてキレイごとでBくんを甘やかしてはダメだと思うんです。
さて、私がなんでこんなことを記事にしたか。
そのきっかけは、最近昼帯でやっているドラマの『明日の光をつかめ』を見てたからなんですよね。
親に捨てられたり、犯罪を犯した少年たちなどが暮らす「たんぽぽ農場」。
彼らに対して世間の目は冷たい。
その仲間のひとりがナイフで人を刺して、よけいに近隣住民の反発は強くなる。
そこでそこで暮らす少年たちや、そこに出入りしてる女の子とかは「みんなひどい。そんな悪い人間じゃないのに」と、自分たちを差別する人間に怒りをもやします。
もしくは、「どうせ自分たちが何を言っても信じてもらえない」とあきらめてしまいます。
「犯罪者が怖い」「乱暴な人間が怖い」「ヤクザが怖い」「不良が怖い」と思うのは、普通に暮らしてる人間にとっては当たり前のこと。
それをたとえば「いやだわ不良はこわいわ」と言ってるおばちゃんに「なんだとこのクソババァ」と怒鳴ったら、そこには余計に「不良(=この子)は怖い」と思わせるだけですよね。
誰かに信じてもらえないとき、もしくは誰も信じられないとき、信じてくれない人や裏切った人間をうらんでも、なんの解決もしない。
できるのは、信じられる人間に自分を育てていくことだ。
自分が誰かを傷つけた。そして嫌われたり、さけられたりするのは、当たり前のことだ。
「自分は傷つけたけど、反省したんだから、その自分を信じない人間は悪いやつ」なんてのは、ずいぶん自分勝手な発想だと思いませんか?
親や教師が子ども(生徒)を信じるって、「こいつは悪いことはしない」って思い込むこととは違うでしょう。
いつも見守ってやって、その子が間違いをおかしたときも、どうすれば頑張れるか、どうすれば間違いを修正できるか、それをわかってあげれること。
それが信じること・・・つまり信頼関係てものじゃないかな。
ドラマのたんぽぽ農場の例をとってみる。
ドラマ内の設定では、人を刺した幸宏は、同じ農場仲間のアヤメをレイプした男に謝罪させるために口論になり、もみあってるうちに相手のナイフが相手の男に刺さって事件となった。
アヤメはレイプの事実を証言できない(怖い)ので、幸宏もその事実を知る農場主の北山も主人公翼も本当のことは言えず、幸宏は「ムカついたから刺した」と証言し、北山は町の人たちに「幸宏はそんなヤツじゃないんですよ。理由はいえないけど」と煮え切らない発言をする。
「どんな理由があっても、人を刺したことに変わりはない」と町の人たちは反発する。
仮に、アヤメが勇気をだして被害者の男が仲間と女の子を拉致してレイプする最低野郎だと告発したとしても、私は彼らの「信頼」を得ることになるとは思えない。
「人を刺した加害者なのに被害者を悪く言って。反省の色がない」と逆にののしられるかもしれない。
事実がどうとか、そういうことよりも、町の人たちの信頼を得るためには、「マジメに働く」「町の人たちが冷たくても、自分たちはその人たちに親切にする」「乱暴な言葉は使わない(怖がらせない)」とかそういうことをすることじゃないのかな。
服装とかも、不良っぽいものじゃなくて、マジメそうな清潔な服装をしているだけで違う。
それを「自分にはできない」とあきらめるなら、それでいいんじゃない。
でも、信じてくれない周りが悪いんじゃない、信じてもらうための努力ができない自分が悪いってことだ。
 
「自分が自分が」じゃなくて、「周りの人たちは何を思っているか」「周りの人たちのためには自分はどうしたらいいか」を考えられないと、人間は信頼を得ることなんてできないんだと思う。

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ハルジオンさんは、学校時代、優等生でした?

ロマンチッカーnaoさんのコメントと私のコメントと、どちらが心地良いですか?

記事のテーマとも関連してお尋ねしました。

2010/7/22(木) 午前 6:42 むらづみ

私は
『信じる』
『信用』
『信頼』
の『言葉』には意味の違いがあり 現実の状態にも差異がある
と考えます


私なりの解釈


『信じる』
結果はどうであろうとこたえを求める行動であるならば
意識レベルで必ず持ち合わせていなければならないもの


『信用』
なにかのしがらみ
社会生活上もしくは単にビジネスにおいて
相手・自己ともに駆け引き的なもの
よってどちらかと言うと『疑い』の比重が多くを占める


『信頼』
読んで字の如し
互いに信じ 互いに相手を頼りにする
上記の『疑い』は皆無ではないにしろ
それまでをも受け入れる大きな許容がある


故に
状況・相手・自己の意識レベルによって
『信じること』
は大きく変わる
と思います
よって
『相手を信じないこと』は当然の結果であり『信じてもらえないこと』がそんなたいした問題でない
と私は考えます

2010/7/22(木) 午前 9:20 [ 雫〜しずく〜 ]

あと
私がヘドが出るくらい気持ち悪い思想が
『友達100人できるかな♪』の幼稚な発想のもとに社会生活を送ってる自己愛的変質者です(勿論 大人)


世間の人 みんなと仲良く楽しく…
なんて
いい大人が…
と思ってしまうんです大体こういう人間こそいつも疑念を抱き 自分の都合だけで動く
とんでもない輩だと確信してます


だから
私はこういう人間をなにがあっても
信じません

2010/7/22(木) 午前 9:39 [ 雫〜しずく〜 ]

>ロマンさん
自分の中の「信じる」って気持ちを追求してたら、こういう感じの答えになりました。
自分をよく知ってくれてる人からはやっぱり信じてもらえることが多い。
でも、自分を知られたくないと壁を作っておいて、それでも信じてほしいと思ってる人が多いなと感じて、今回記事をかきました。
賛同してもらって、嬉しいかぎりです。

2010/7/22(木) 午後 9:24 ハルジオン

>むらづみさん
私は別に誰の言動が心地よいとか、自分に賛同してくれたら心地よい、そうでないと不快とかはそんなにないですよ。
賛同意見には「安心感」(自分ひとりのかんがえではなかったという)を得られ、反対意見からは、アンチテーゼによる自分の考えのより深い追求が得られるというのがあります。
で、記事に関連して「信頼」ということについて言うと、ロマンさんもむらづみさんもどちらの発言も私は信頼できます。
ただ意地悪やずるがしこさでもちあげたり、反論したりとかはしないという信頼ですね。

2010/7/22(木) 午後 9:28 ハルジオン

みっつの言葉の差異は私の中にはそんなになかったですね。
ただ、時として「信じてもらえないこと」がたいした問題ではないというのは、私も同意見です。
けれど、信じてくれる(自分のことをよく知ってくれてる)人が誰もいないというのは、孤独で、辛いのも事実です。

「信じることは美徳」というような風潮があることを記事内に書きましたが、一方で多くの人が(特に若い人が)「信頼を得ること」を軽んじすぎてるようにも思えます。
一度失った信用を取り戻すのに、どれくらい大変かということもまた多くの人に気づいてほしいと思っています。

あと、ちなみに「みんな仲良く」的な発想は私当てはまるかも・・・・(´Д`ι)アセアセ
キライな人間は嫌いだけど、キライな人間=悪い人ではないというような考えだから。
キライな人間でも何かのときに協力しあえるかもという可能性は常にもちつづけてますね。

2010/7/22(木) 午後 9:35 ハルジオン

『誰に対しても』
ってことが理想であり美徳である


私はこれが実現できる人間は存在しないと思います
なぜなら
ハルジオンさんもおっしゃる通り
『心の壁』が自我を守るために必要であることです
私はヱヴァンゲリオンを引用して人と話すことが多く また理解されやすい(勿論 このストーリーを認知してる人に限りですが)

2010/7/22(木) 午後 10:15 [ 雫〜しずく〜 ]

心の壁をすべて取り払ったら
自我の崩壊が起きる
だから自分を知ってもらうために能動的な言動はあるにしても
稚拙な自我
いわゆる大人の成熟した自我に届かず 幼少の自我で発達が停止している大人がたくさんいるということです


断っておきますが
『自己愛』と『自我』は違うものです
ですから
ハルジオンさんは
『自我に目覚め 日々成長し 自己のなかに確固たる芯がある』


そうでない
強力な自己愛を持つ人間はその基本的信念に『自分は悪くない。』だから
いつも口癖のように他人にその理由を見つける

2010/7/22(木) 午後 10:25 [ 雫〜しずく〜 ]

なにもせずに
『国が悪い』
『社会が悪い』
と合言葉のように唱えてる人も懐疑的に思えます


こういう人に
どうして?
て聞くとたいてい薄っぺらい主張が返ってきます

2010/7/22(木) 午後 10:30 [ 雫〜しずく〜 ]

>雫さん
エヴァはわかりませんが、『心の壁』が自我を守るために必要というのはわかります。
で、時として信じてもらうことと自我を守ることでどちらが大切かということがあって、後者であることもあるでしょう。
ただ、自我を守るために自分自身をボロボロにしてしまうこともあるのではないか、とも思います。
私の好きな槇原敬之の歌の詞の中にこんなのがあります。
「はじめてのぞいた心の中が あんな暗闇に包まれていたのは 自分をかばうボクの手が 光をさえぎっていたからだ」
自分を守る壁をすべて取り払う必要はありません。
光をさえぎっている(おびえている)その手をどけたら、闇に光がさすこともあることを、多くの人に知ってほしいです。

2010/7/23(金) 午後 11:15 ハルジオン

そうですね^^


よく『心の闇』という言葉を聞きますが
これは他人から自己に向けられたものです
勘違いしてはなりません
多くは当の本人はこの『心の闇』の存在を意識してません
目を向けることすらしません
何度も言うとおり他人に非を求めるからです

話がズレますが
上記のような餓鬼が世間に蔓延り
誠実に自己の内なるところに目を向けられる人間が死を選ぶ
自殺者3万人の現実はこの本質である
とボクは主張します

2010/7/24(土) 午前 0:23 [ 雫〜しずく〜 ]

>雫さん
まさに、ご紹介した槇原敬之の歌は、「ずっと他人のせいばかりにしていて、もう自分の中をみるしかなくなってしまっていた。そうしてのぞいた自分の心の中は(他人のせいばかりにする自分)真っ暗闇で怖くなった」というものなんです。
でも、だからこそ「そんな暗闇だったのは自分をかばうボクの手が光をさえぎっていたからだ」という歌詞が意味をもつと思うのですよね。
自分自身に目をむけたとき、自分自身も他人ばかりに非を求めて自分をかえりみないことに気づいたとき、世の中は自己中な人間ばかりと気づいたとき、怖くなるしイヤケがさすかもしれません。
でも、自分を守るための手をどけてみたら、光がさすかもしれない。
その希望と現実をぜひ多くの人に知ってほしいです。
人は誰も自分の欲や自己愛におぼれつつも、他人を思いやる気持ちや愛情も持ってるって。
「このろくでもない素晴らしい世界」です。

2010/7/24(土) 午後 6:20 ハルジオン

ごもっとも!
まさにその通りです!

すべては己のなかにある世界を広げることにある
ちっぽけさに気づくこと
だから周りに支えてくれるたくさんの人がいる
そんな
『くそったれの素晴らしい世界』
なんです

2010/7/24(土) 午後 11:02 [ 雫〜しずく〜 ]

>雫さん
まずは、自分の中をちゃんと見ることが必要ですね。
そして周りの人たちという光のありがたさを知れるといいですね。

2010/7/25(日) 午後 4:44 ハルジオン

「毎日毎日遅刻するBくん。大切なテストの日も、部活の練習も、試合も、いつも遅刻する。さて、Bくんはある仕事に就きたいと思い、先生にそういった職種の会社を紹介してもらいます。でも、Bくんの行きたい会社はBくんの学校から1人しか面接にいけません」
さて、このときBくんの熱意をかって「Bくんはきっとこの会社の面接の日には遅刻しない。信じる」と面接をうけさせる教師は、教師として立派でしょうか。

ちょっとこれだけの文章では判断できないことがありますけど、あたしは悪い先生だとはとれも思えません。

なぜなら、あたしは教師をやってましたけど、Bくんみたいな生徒をたくさん知っています。あたしが現在もっともよくつきあっている子がちょうどBくんみたいな子でした。とにかく遅刻の常習犯で、授業もしょっちゅうさぼる。トイレでタバコを吸ったりして先生たちからは最も評判のわるい子でした。

でも就職してからは職場では仲間からも経営者からも最も信頼されて、現在でも立派に働いていますよ。

2010/7/28(水) 午前 5:16 [ しきちゃん ]

>「自分は傷つけたけど、反省したんだから、その自分を信じない人間は悪いやつ」なんてのは、ずいぶん自分勝手な発想だと思いませんか?

そうですね、自分勝手だと思いますね。しかし大方の日本人よりはマシだと思いますね。

相手を殴りつけ続けながら、相手が『痛い!痛い!』と悲鳴を上げると、反省するどころか逆ギレして『うるさい!黙れ!』ってゆうのが日本人ですよ。

たとえばですね、本土の0.6%の面積の沖縄に74%の米軍基地を暴力的に押し付けておきながら、沖縄人が悲鳴を上げても普天間基地ひとつ持ち帰らずに居直るのが日本人です。

あるいは、朝鮮半島に一方的に侵略して、あらゆるものを強奪し、抵抗するものは容赦なく虐殺し、数百万の朝鮮人を拉致して強制労働、従軍慰安婦、皇軍兵士にして60年以上も放置して恥じないのが日本人ですね。そのくせたかだか十数人の日本人を拉致されただけで狂ったように逆ギレするんですね。自分たちこそ『拉致国家の総本山』だということがわかってない。厚顔無恥のきわみだと思いますね。

2010/7/28(水) 午前 5:33 [ しきちゃん ]

ほとんどの日本人は相手の立場に立って考えることができないんですね。相手を殴りつけながら、『おとなしくしろ!』というし、抵抗しようものなら『暴力はいけない!』といって相手を非難するんです。

ですからアジアの人びとから嫌われちゃうんですね。2000万のアジアの人びとを虐殺した巨悪の戦争犯罪をいい加減にして、『強制連行』、『強制労働』、『従軍慰安婦』などの極悪非道の犯罪行為を一切謝罪・賠償しないんですから。

そのくせ、拉致問題で逆ギレするんです。アジアの人びとが唖然とするのも当然だと思いますね。2004年に川口順子外相(当時)が国連人権委で北朝鮮の拉致の非難演説をしたとき、アジアの国ぐにから、

『日本は国連人権委による度重なる従軍慰安婦に対する勧告を無視しつづけて、よくぞここ国連の場で朝鮮の拉致を非難できるものだ』

っていわれて世界中の笑われ者になっちゃった。

こうゆう調子だから日本は拉致問題はアジアはもちろん世界中から相手にされない。逆に、アメリカ下院、カナダ、オランダ、フィリピン、EUなどで『従軍慰安婦決議案』が可決されてヤブを突いて蛇を出す結果になっちゃう

2010/7/28(水) 午前 6:00 [ しきちゃん ]

>しきちゃんさん
私は「こんな先生は悪い先生だ」と非難したいわけじゃないですよ。

「信じることは良いことだ」という部分だけ教義のように信じてしまってる人が、「相手を信じるまで相手を知ること」というプロセスを無視して、本当は「こいつ遅刻するかも」とか「こいつウソつくかも」とかそういう思いを心の奥底に持ったまま、「自分は君を信じるよ」なんていうことの危うさを指摘しているのです。
仮にBくんにとって「立派な先生」で、Bくんと先生は立派な人生歩めたとしても、そのせいでその先生と信頼関係をむすべなかった生徒たちはかわいそうですよね。

私も、ドラマのたんぽぽ農場の子どもたちのように、一生懸命立ち直ろうとする子たちを、一生懸命支える大人たちを立派だと思います。
でも、信じてないことまで無理やり信じることはまた、違う。
また、自分は信じられる子であっても、周りからも信頼される子になるようにするにはどうしたらいいか考えることが重要なのではないでしょうか。

2010/7/28(水) 午後 6:41 ハルジオン

それから、
「自分勝手だけど、大方の日本人よりマシ」という意見とその後の日本は云々について。
ちょっと待ってください。
それはあまりにも無体な飛躍の仕方でございます。
(。´Д⊂)うぅ・・・。

まず、私はこれを読んだ人に「他人に信じてもらうためには、それなりの努力が必要」ってことや、また「他人を信じるってことは闇雲に自分に暗示をかけて裏ぎられたときに『ひどい』って嘆くことじゃない」ってことなんかを伝えたいわけです。
信じられないときも、信じてもらえないときも、信じて裏切られたときも、誰が悪いと責めるのではなく、どうしたら信頼関係は築けるか、自分にできることはなにかを考えてほしいのです。

2010/7/28(水) 午後 6:47 ハルジオン

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俺は違うと思うけどねえ。信じてもらう努力は義務なんかじゃないし、他人が勝手に自分を悪人だと思い込んだなら基本的に他人が悪いし、恨んでもいいよ。そっからどうするかは自由だけど。決して疑われる方が悪いなんてことは無い。

2018/10/27(土) 午後 10:48 [ cle***** ]


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