|
日曜日放送中のドラマ『下町ロケット』もロケット打ち上げ編が終わったようです。
なんかいままでのひっぱり方からしては、最後の関門がずいぶんとあっさりだったような気がしました。
とはいえ、毎週とても楽しみにしています。
今週の放送ですごく印象に残ったのが、主人公佃社長と娘とのやりとりのシーンです。
部活でのスランプを抱えて苦しむ娘との会話で
「お父さん、私を信じてくれるの?」
「当たり前じゃないか。娘を信じない父親がいるか!」
「じゃぁ、ちゃんと見ててね」
というもの。
このやりとりは、この日のドラマの後半に大きく関わってくるわけですが、「信じる」っていうことの意味について、改めて考えさせられました。
以前も『信じる』というテーマについては何度も記事を書いてきました。
それらとそれほど変わったわけではないです。
再確認のようなものなので。
『信じる』という言葉を使うとき、とかく人は「相手が言ったことを本当だと思ってあげること」のように使います。
でも、「あなたのことを信じます」と言ってしまうのは、間違うと相手を見捨ててしまうことにもなりかねない言葉なんですよね。
『青少年講演の備忘録』の記事のところで、「親は間違った守り方をしてはいけない」という講演会の話を紹介しました。
間違った守り方。
それは子供や事実を見ずに、ただ子供が言うことを「そう言うならそうなんだ」としてしまうことですよね。
そうではない。見ること。知ること。わかってあげること。
それが本当の意味での『信じる』なんですよね。
『ゴールデンスランバー』という堺雅人主演の映画で、こんなシーンがありました。
犯人として追われる息子(堺雅人)について、テレビなどのレポーターたちがその父親(伊東四郎)に詰め寄る。
「息子はやってない」
「息子さんを信じたい気持ちはわかりますが」
「信じてるんじゃない。知っているんだ」
子供はうそをつきます。
もちろん、子供だけじゃない。恋人だって、夫婦だってそう。
うそをつきます。
だけど、なにもやましいことをしないという偶像を相手に押し付けて、追い込んで「信じてたのに」と言うやり方は、自分のためだけの行為で、ちっとも相手を見ていない。
だまされたっていい、「信じられないのか」と相手を怒らせてもいい。
でも、それも含めた全部をちゃんと見てあげて、本当に必要な助けは何かを見つけ、本当に必要なタイミングで助けてあげられること。
それが一番大事なんじゃないかな。
|

- >
- エンターテインメント
- >
- テレビ
- >
- ドラマ番組









>内緒さん
きちんとお子さんを普段から「見ている」うえでお子さんを「知っている」んですね。
私の周りの親たちから反抗期の話をきいたとき、多くの子供たちがある同じ言葉を言ってるんですね。
「なんで自分の気持ちをわかってくれない?」って。
男の子でも女の子でもです。
本当にわかるのって難しいですけど、わかろうとすることで、たとえば見た目は反発してても、子供の心ってきっと安定するんですよね。
内緒さんを見習って、「見る」「知る」「信じる」を経過して、これからの子どもたちの反抗期のりきっていこうと思います。
2015/11/17(火) 午後 10:09