教育・育児

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社会的な教育論についてから、自分の身近な育児まで、いろいろ語りたいと思います。
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さて、本日の投稿3つめです。これで最後です。

非行について。
古い話から最近の話まであったので、なんとなく現実に即したものがよくわからなくなった。
講演会では、「昔は無関心の愛情不足での子供が多かったけど、最近は愛情が重すぎてつぶれてしまう子が増えてる」と言っていた。
私からしたら愛情かな?とちょっと疑問だったけど、講演会では「愛のムチ」と言っていた。

今娘の進路について悩んでいて、私自身も中学の先生に言われてはっとしたけど、「子供の意思をきく」ってことが愛情なんだよね。
「まだ子供だから判断は無理」「親が決めてやらないと(指導してやらないと。導いてやらないと」と思ってしまいがちになること。
でも、実は親の価値観を子供に押し付けてるだけ。
私はそれは愛じゃないと思うけど、実際にここ半年の間はまさにその押し付けをしていたことに気づいた。
親の愛は子供が楽な道、問題のない道に進むことよりも、子供がすすんでいく先で困っていたら助けてあげることじゃないかと思ったところ。
これを戒めとして、本当に何度も胸にきざみつけていこうと思う。

発達障害を学んでいく中で何度もでてきた言葉が、ここでもでてきた。
「困った子供は困っている子供」「問題行動のある子供は問題を抱えている子供」
大人が手を差し伸べても、裏切られだまされつづけた子供はすぐに手をとることはほとんどない。
何度手を差し伸べても「うざい」「きもい」「うるせぇ」をはじめとして罵詈雑言の返答しかないのが常だそう。
だけど、そこで大人は手をひいてはいけないんだって。
わが子ならともかく、子供の友人やクラスメイトに対しては難しいことだよな。

でも、前章のいじめについてもそうだけど、この手の話のときに私はいつも思うことがある。
大人も一緒じゃないの?
この講演では、先生はとても気を使っていたけれど、やはり「どうしようもない親がいて、子供は救われない。だからそういうどうしようもない親になるな」というような感じはぬぐえなかった。
「問題のある親は問題を抱えてる親ではないの?」「困った親は困っている親ではないの?」と思った。
いじめのときに「加害者を作らなければ被害者は生まれない」と言った。
子供だけでなく、親にの問題を解決していくことが、イジメも虐待も非行も防げるような気がした。
その親を助けるためにどうしたらいいのか。
そこが一番の難問のような気がする。

今日は二回目の投稿です。そしてもう一個投稿するつもりです。
三部作として書いておきます。

いじめについて。

印象に残った言葉は次の二つ。
「いじめは、加害者を作らなければ被害者を作らない」
「親は間違った守り方をするな」

講演会の先生は、「親の多くはイジメについて、自分の子がいじめられないためにはどうしたらいいかを考える」とおっしゃってました。
私は何度か「自分の子がイジメに加担してたらどうしようかと思うよね」という話を母親同士で話したことがあるので、まったく考えてないということはないと思う。
だけど、それは被害者になったらということよりも身に迫って考えてないかもしれない。

我が家のこととして、息子が娘にひどいことを言ったという経験がある。
あれは子供たちが4年生のときだったと思う。
うちは双子だけれども、娘だけが発達障害があるため、支援学級に入って、ときどき交流学級として普通級の授業を受けている。
普通級の、息子が家で娘に「支援級のやつはバカやけん」というような見下すようなことを言った。
冗談でとか、兄弟げんかのようにからかうように、というようなものではなかった。
私はそのとき息子の言葉がなんと言ったかは、実はハッキリは覚えてはいない。
だけどすぐに「絶対にそんなことは言ったらいかん!」と叱ったのを覚えている。
言葉の良し悪しでなく、自分の息子がそういう言葉を使ってはいけないと厳しく叱ったと思う。
娘が支援学級に入ったときは2年生の夏休み明けから。
そのときに息子に説明するときも、息子に差別ではなく助けてあげてほしいと言っていた。
息子にはいろいろ頼ったし、我慢もさせたと思う。
そして、息子の学校でその4年生のときに支援学級の児童をバカにしたり、見下したりする風潮があったのだろうことは想像できた。
息子自身がそう思ってでた言葉というよりも、娘のことも含め支援学級のことをバカにされ、友達に腹がたつよりも、恥ずかしいほうがあったのだろうと思えた。
そこにのっかって一緒になっていじめることも、自分の小学校時代を思い出せば、用意に想像できた。
私は息子の複雑な気持ちを察しつつも、そのときは絶対に「しかたないよね」というような言葉は使わなかった。
その日の夜、ちょうど学校の読み聞かせのために借りてきていた宮西達也のティラノサウルスシリーズの絵本を読んであげた。
そして息子に言った。
「このティラノサウルスは乱暴でみんなに嫌われて、平気なふりしてるけど幸せ?違うよね。本当は寂しくて、辛かったよね。他人をいじめたりしたら、強くてかっこいいような感じにも思えるけど、本当は全然違うよね。ママはあなたたちが泥棒しようが、いじめをしようが、それであなたたちを嫌いになることはないよ。ただ悲しいだけで。だけど、友達は違うよ。人をいじめたり悪く言う人は、最後には嫌われるよ。友達はいなくなるよ。ママは嫌わなくても、ママはあんたたちに嫌われる子になってほしくない。だからいじめは絶対ダメって叱るんだよ」
とそういうようなことを伝えたと思う。
ダメだけでなく、ママは絶対味方だということと、それでもママがいくら味方でも他人に嫌われたら幸せにならないこと、そしてママやパパが辛い思いをすることを。

話を戻して講演会の話。
「間違った守り方をするな」
子供がいじめをしたとき、親は、もちろん信じられないのもあるんだろうけど「この子がやってないというからやってない」と否定したりするそう。
親が子供の間違った行為を「間違い」と言えないと、子供は間違ったまますすんでしまうと。
簡単なようでとても難しいこと。
昨日、PTAの青少年教育についての講演会があって、行ってきました。
いろいろ衝撃的な内容も多い中、これは覚えておかなくてはと思うことも多く、忘れぬうちにメモっておこうと、このブログをメモ(日記)かわりに書かせていただきます。

性教育について。
親は避妊はどうすればいいかとか、行為はどういうものかとかを教える必要はないと教わりました。
教えることは次の3つ。

(1)女の子の身体は宝物。
姓処理のためのトイレじゃない。大切に扱ってあげないといけないってこと。

(2)童貞よ胸を張れ
高校生の頃とか、経験があるほうがすごい、ないほうがダメみたいな感じに言われることが多いけど、本当は経験の多い人はガマンができない人で、経験がない人は、宝物のためにガマンができる人のこと。
本当は後者のほうがすごいヤツだってこと。

(3)セックスをしてもいいタイミングは年齢じゃない。愛だけでもない。愛(心)と責任が持てるようになったとき。


簡単に解説。
(1)について、女の子は好きな人に求められると、別れたくないから言うなりになったりもする。
避妊もおざなりになったりもする。女の子が生理が遅れたときに「妊娠してたらどうしよう」というものすごい死にたくなるようなストレスを抱えてることを、男の子は理解することができない。
女の子の身体は宝物。男ももちろんそれを理解しないといけないけど、女の子も、宝物を大切にしてくれないような男はろくでもないと別れる勇気も必要という話だった。

(2)について、なかなか言葉では理解できないよね。
でも私も持論として持っていて、娘が思春期には教えようと思っていることがある。
「愛がなくてもHはできるけど、愛がないとガマンすることはできない」
言葉ではなんとでも言えるけど、我慢するという行動は愛情がないと本当できないと思う。

(3)大人からしたら当たり前のような気がするけど、やっぱり思春期は愛があればそういう行為に及んでもいいじゃないかと考えてしまう。
最近キス動画とかも流行ってるみたいだけど、一時の感情に流されるな。
冷静であれる自分を誇れ。流されてる自分に酔うな。
それは単にガマンができない獣ですよ。
今ではない、未来の話


あと、イジメについてと非行についての話は回をわけて書きます。

英才教育と夫婦の関係

前回、英才教育についての記事を書きました。
きっかけはテレビ番組での投稿内容です。
前回は私の英才教育についての考えかたについて書きましたが、英才教育に翻弄される親たちの心理について今回は言及したいと思います。
 
なんてえらそうな書き出しをしましたが、心理学者でも教育者でもない素人の一般の母の一意見です。
 
そのくだんの投稿は番組の性質上、夫が妻の教育方針(0歳から英才教育をする方針)に反対で、怒りに覚えてる内容というものだった。
私は自身の経験上、やはり周りが「英才教育は早くしないと」「親として当然の義務」というようなことを言っていたら(言ってなくてもそういう情報ばかりが入ってきたら)、どうしても親として、そういう方向にすすみざるを得ないということだ。
 
その人がなぜ0歳から教育しようと思ったかはわからない。
でも、もしもだんなさんがそれに反対なら、頭ごなしにダメというのではなく、なぜそうしたいのかを聞いてあげるべきではないかと思う。
なぜなら、前述のように、セールスマンであったり教育関係の教材の販売広告では、親の当然の義務として語ってあって、妻はその義務を全うしようと、子への愛情としてやろうとしているのに、間違っているといわれたら、反発するだろう。
夫の意見を無視して勝手に教材をとりよせるかもしれない。
まず、「そうか。それで不安になっていたんだね」と本人の責任感や子供への愛情を肯定したうえで、たとえば「でも、それはセールストークで、実際は・・・」など、自身が知っている情報などをまじえて、幼いころから教育は必要ないという自身の考えを伝えたらいいのではないだろうか。
 
さらに言えば、英才教育して、時間や労力を使っても、子供は親の思ったとおりには育たない。
「自分が○○で苦労したから、子には△△な仕事をしてほしい」といって子供ためにいろいろしてあげて、「大学にやったが、でき婚で中退。給料の安い仕事についた」「あんだけしてあげたのに、高校不登校でひきこもり」などなど、そういう話は枚挙にいとまがない。
お金や労力をかけても、子供は稼ぎのないフリーターやら、やくざな仕事に就くかもしれない。それ込みで、俺の給料を英才教育につぎ込む覚悟はあるか?
俺は子供の教育費用で仕事で忙しくなって、家のことはお前にまかせきりになるかもしれないが、あとで泣き言は言わないか?など、そういう想定をしておくとベストですよね。
 
まあ、そこまですると逆に堅苦しいけどね。
 
槇原敬之の歌「Wow」の歌詞の中に、「こんな風になればいいとか あれも習わせてみたいとか 君の未来のことを 君なしで 話していた馬鹿な奴なのに」というのがあります。
これをちょうど妊娠中に聞いて、本当に親の心をうまく表現しているなと思いました。
そんな会話をしている夫婦は、子供のことが大好きで、大好きでたまらない、親ばかな人たちなんですよね。
本当は、「元気でいてくれれば それでいい それだけいいよ」というのが本心ってのもマッキーの歌詞どおり。
 
その気持ち、親もなぜだか忘れてしまう。
だから、それを思い出させるだけでいいんだと思う。
子供の幸せ願ってる。
だけど、本当の子供の幸せなんてのは、どこにあるのかわからない。
親は、子供の健康と幸せをただ願う存在なんです。
ママが英才教育したいって言うなら、それをやらせることで夫婦円満、家庭円満になるなら、それもアリの選択肢。
そんなことで夫婦喧嘩することのほうが、子供にとっては不幸だし、親としてやってはいけないことなんですよね。
 

英才教育

今週の「怒り新党」の番組内で、「0歳から英語などの教育をしたい妻と反対の夫」という構図での夫からのお便り。
 
英才教育についての私の考えは、前にも書いたことあるけど、必要ないというもの。
 
私は子供が生まれてすぐは、やはり早いうちの英語教育は必要か名と思った。
その要因のひとつが英語教材のセールスマンが「親の責任」「(勉強させないなんて)子供がかわいそう」というもの。
そういう風に言われると、子供たちに教育をしないことは親の責任の放棄のような、すごく悪い親のような気持ちになってしまう。
でも、いろんな友人などの教育や考え方を聞いてるうちに、自分自身納得した。
自分の周りをみて、高度な教育や環境(帰国子女など)にある人たちは私の生活レベルにはほとんどいないし、英語が得意でそれが仕事や生活にいかせた人は、個々人の努力や興味、行動力のたまものだった。
つまり、将来仕事としてビジネス英語を極めなきゃいけないわが子だとしたら、親が幼い頃から教育に必死にならなくても、自分で勉強してそういうレベルに到達できる。
生活(外国人との交流、海外旅行)に必要な英語なんてものも、大きくなって自分が行きたい、やりたいと思ったときにはじめても、本人がやりたいなら身につくはずだ。
というのが、そのときから現在までの私の考え。
 
番組内で「お金や時間をかけて、英語とかなんとか教えたけど、親の望む道をすすまなかったら、『あとはあんたの好きな道を選びなさい。親としての役目は終わり』と割り切れるならいいけど、『この道をすすめ』と思うくらいなら、そんな教育しないほうがいい」というような話がでた。
いいこと言うなと思った。
私たちロストジェネレーションという時代の人間は、学力社会で勉強勉強、受験受験、偏差値偏差値、の時代だったけど、いざ大学を卒業するときは、バブル崩壊の大不況で、高卒のほうがよい就職をしている時代だった。
私も含め、同級生たちも多く言われたことがあるセリフ「大学まで行ったのにまともな就職がなんでできないの?」
すみません。だけど、これが現実だった。
 
私としては、子供が望むなら高校もやるし、大学もやると思う。
だけど、それでどういう就職をしてくれというのは、(仮に希望があっても)押し付けはしないでいたいと思っている。
 
番組内で、「親のせいで(親がちゃんとした教育させてくれなかったから)自分はダメなんだ。ちゃんとした就職できないんだ」なんていう若者がいるだろうかという話になった。
やっぱり、いるだろうね、という話だった。
結局、子供に必要なのは、英語やら国語算数よりも、「自分自身で選択する力」と「他人のせいにしないこと」を教えることだな、と思ったのでした。

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