手と声の輪

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同じテーマをみんなで考えようという企画でやっている記事群です。
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「正義」って?

『手と声の輪』の企画で、「正義」について雫さんやつーたんさんと話していて、私なりに思ったことをまとめておこうと思います。
 
 
私は、「正義」という言葉にうさんくさいものを感じます。
そこには、「正当化」や「他の排除」が常にひそんでいるからです。
けれども、では自分の中に感じる「正義感」のようなものであったり、「正しくありたい」という感覚を、そういうネガティブなものとしては思えない。
 
では、正義は是なのか非なのか。
雫さんが「美しく生きること」と表現していて、これは実に的を射ているなと思ったのです。
よく「お天道様に顔向けできない」など言いますが、自分で自分をごまかしてしまうのは正義ではないのだろうと。
 
ただ、逆にものすごく自信満々でありがた迷惑な正義を押し付ける人もいるわけで。
自分自身だけに科すのならともかく、他をまきこんで広がっていく“正義”は、本人たちにとっては誇り高い感覚なのだと思っていると思うのです。
そういうのも“正義”なのだろうか。
もっとごく個人的に、他人にどう見られるかではなく、頭に描くビジョンが自己中心ではなく他人(社会)を中心によいものに描きつつ、そこから生まれる感情であり行動が“正義”ではないのかな、と。
 
「美意識を正義と重ねること自体が美意識に反する」というのはつーたんさんの言葉ですが、これもまたうまく表現したなと思ったものです。
正義っていうのは、表現されない部分に(気付かれない部分に)あるのだと思うのですよ。
 
 
私は、正義を決して否定しません。
それはあるべきものだし、必要なものです。
ただ自分以外を犠牲にするときに「これは正義のために必要だった」と言うとき、そこにはもう正義はない。
「ああ、私は悪党だ。私を倒すことこそが正義だよ」と言えることのほうが正義ではないかな、と思ったりしました。

 
 
この記事は、『手と声の輪』企画(http://blogs.yahoo.co.jp/haruzion_handinhand/4469036.html)に寄せて書いたものです。
 

大自然

震災がおきて、某氏の「天罰」発言が波紋を呼んだりもありました。
 
私は大自然というのは、人類にとっての神であり、親のようなものだと感じています。
私たち人類は、地球上の生物の中でも新米で、赤ん坊のようなものなんじゃないかと思うのです。
 
親はその営みの中で、大きく動いたり、身体を冷やしたり熱くしたりもする。
でも、それは子への罰でも、嫌がらせでもない。
ただ、自然の営みにすぎないのです。
 
私たちは赤ん坊からやっと幼児になりかけているくらい。
オムツを替えてもらえないと泣き、ミルクをくれないと泣き、抱っこしてほしいと泣く赤ん坊ではない。
だけど、まだ自分のお尻を自分でふけるようにはちゃんとなってない。
オムツはずれはもう少し先なのかな。
 
自分のお尻をちゃんと自分でふけるようになるまではもうちょっとかかる。
でもおもらししたら自分が困るんだってことはわかるようになってきた。
そして、おもらししたからって、親はそれで子供を捨てたりはしない。
 
そんな親の面倒をみれるようになるなんて、まだまだ遠い遠い先のような感じがしますね。
 
子供はえてして傲慢で、全部自分の思い通りになるように思い込んでしまう。
だけど、親はそれを苦笑いしながらも、見守ってくれてる。
いつか、成長して親の面倒もみれるようになる将来を信じて。
 
今はまだ親の面倒も兄弟の面倒もできるほど成長はしてない。
とりあえず、自分のお尻をふけるようにならなくっちゃね。
 
 
 この記事は『手と声の輪』の企画に寄せて書いたものです。

「少年犯罪と死刑」

光市母子殺害事件は、加害者に死刑判決が確定し、一応の決着をみせた。
とはいえ、死刑だけではすまないや、少年の謝罪はどうなってるのかや、また逆に死刑反対であるとかそういうことを考えると全く解決はしていないともいえる。
 
この事件は被害者の権利や死刑について、少年犯罪についてなどいろいろと社会に波紋をなげかけた事件であったと思う。
でも、いろいろな問題を含んでるせいで、結局どの問題も決着しなかったという印象だ。
 
1)“少年”というのはどういったものを定義するのか?
一般の感覚からいえば、精神が幼いもの(こんなことはやったらいけないってわかるだろうということを平気でできるなど)ほど罪が重いと考える。
けれども判例の流れから考えると、精神が幼いほど責任能力が低いと判断される。
その差をどう埋めていくべきなのか。
本当に少年法の適用年齢を下げていくことで正解なのか。
 
2)被害者の権利と加害者の刑罰はリンクするべきなのか?
被害者の侵害された権利の大きさによって、罪は重くなることは当然ではある。
光市の第一審で、遺族の本村さんが「この手で殺したい」発言に賛否がわかれ、世間は騒然となった。
そこも含めて他の死刑相当の事件などのことを考えて、被害者や遺族がどういう人物であるかや、その発言力によって加害者の刑が変動するのは、果たしていいことなのか、と疑問に思ってしまった。
 
3)死刑という刑罰は、本当に失われた命に対して贖われるべき罪として存在するのだろうか。
国民の多くは「命」よりも「尊厳」を権利と認識し、それを踏みにじった人間を、非人間として処分しようとしているのではないだろうか。
 
問題提起だけで答えが出てないようにも思うけれど、私の中である程度の結論はでています。
法(理論)と人間(情)のおりあいは、私たちが成長していくことでしかえられないのだと思う。
 
 
 
 
この記事は、『手と声の輪』http://blogs.yahoo.co.jp/haru_zion_haha/12346373.htmlに寄せて書いたものです
 
 

労働というもの

「労働」というものについて考えた。
 
人は何のために働くのか。
それは、報酬を得るため。
そしてその報酬というのは、大きくわけてふたつあると思う。
ひとつは「自分を評価してもらう」という報酬。
ひとつは「自分の生活(娯楽を含む)を豊かにする」という報酬。
 
自分自身の生活をしていくのに、お金というものはとても活躍してくれる。
食料などの物でもらっても生きていけるのだけれども、そこには人の好みや分量というものがある。
けれどこのお金というものであれば、自分の選択の幅がひろがるからだ。
食事を質素にして衣服にかけてもいいし、携帯につぎこんでもいい。
物ではなかなかそうはいかない。
そういう意味において、お金というものの、価値というか意義はしっかり刻みこんでおこうと思う。
 
さて、世の中で「仕事」というと、労働の報酬として金銭を得ることが普通だ。
私はあえてひとつめに「評価してもらうこと」と書いた。
けれどそれを自覚して仕事をしている人はいるだろうか。
 
ただ単に金銭を得るためだけ労働をするのならば、なんでもいいはずだ。
だけどそこには「自己評価」という観念が存在するから、仕事のえり好みが発生してしまうのだと思う。
 
お金と評価とどちらもが存在していて、人間は働いていけるので、どちらかが著しく少なかったら、破綻する(仕事を辞めたり、やめざるをえなくなったり)。
 
お金さえあれば評価はあまり関係ないようにも感じる。
だけど、もしもその評価がなく金銭だけが報酬であったときは、現状の二倍三倍の給与が必要になってくると私は思う。
 
多くの人が、サラリーなど決まった給与をもらいながら、自分は本当にそれだけのお金を生み出せているかについて考えていないと思う。
給料は、自分が生活していくだけのお金が基本になっている。
人並みの暮らし(=住むところがあって、食べるものや着るものに困らず、多くの他人と同じレベルの暮らしができること)ができるだけの給料。
 
だけど、仕事ができる人(稼ぎ頭)は自分より利益をつくってない人間をみくだし、もっとお金を求める。
そう、夫が専業主婦をみくだすのを想像してみたらわかりやすいかもしれない。
 
仕事によってもらう給与は、利益の分配ではなく、自分の基本生活を向上させるための手段でしかななくなってしまった。
だからこの社会は働きすぎの人間と働きたくても働けない人間ができてしまうような気がする。
 
お金はいろんな問題を解決してくれる。
ここは忘れてはいけない。
 
だけど、お金のために働いているんじゃない。
 
もしも、最低限の生活(衣食住・医療)が保障された社会であったとしたら、人間は本当に人間らしく、感謝や奉仕というもののために労働することができるんじゃないかと思える。
 
 
 
この記事は『手と声の輪』(http://blogs.yahoo.co.jp/haru_zion_haha/12098630.html)に寄せて書いたものです。
 
『やさしさ』というものについて、よく考える。
 
私は子供のころから、ワガママだとか、他人の気持ちがわからないというようなことを言われてきた。
今は昔よりも、他人のことを理解できるようになった気がしていたけれど、やはり、よくわからないまま人を傷つけていることがあるみたい。
 
「やさしさ」ってなんだろう。
「わがまま」ってなんだろう。
 
高校生の頃はまっていたマンガの中にこういうエピソードがあった。
 
変わり者のアキラを好きなミサキ。
ハジメちゃん(♀)は自分の好きなミズキ(♂)さんのほうが絶対いい男なのに、ミサキさんは変わってるなと思い、どこが好きなのかきいてみる。
「やさしいとこ」
ミサキは躊躇なく答える。
「優しさなら、ミズキさんのほうが100万倍・・・」
優しい!と言いかけたハジメの言葉をさえぎるようにミサキは言う。
「うん。100万倍わかりやすい優しさだよね」
 
 
本当のやさしさっていうのは、わかりにくいものなのかもしれない。
誰かに気付いてもらうためのやさしさなんていうのは、本当のやさしさじゃないのかもしれない。
誰も知らない。
誰からも理解されない。
それでもやさしい気持ちでいることができたら、それが本当のやさしさを手に入れられるのかも。
 
 
 
『手と声の輪』に寄せて・・・ http://blogs.yahoo.co.jp/haru_zion_haha
 

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