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安物のランドセル

年末押し迫る中、当事者でない人たちには早すぎる感じもあるだろうが、新入学の子供たちの親は、そろそろ入学用品の準備に心はせてる頃だと思う。
私も子供が春には中学生。制服やかばんをどうしようかと財布と相談しながら、近所のお母様がたから情報収集している昨今だ。

そんなつい先日、テレ朝の番組「マツコ有吉の怒り新党」で視聴者からのこんな投稿があった。

娘(母)が、孫のためにランドセルを買ってくれと頼まれた祖母の投稿。
娘は、「安物のランドセルだと子供が学校でいじめられるから、5万円以上のランドセルにしてくれ」というものだった。
この内容に「はぁ?」と怒りふつふつな私であったけど、それよりもそのあとのマツコさんと有吉さんのやりとりで、「そうか、ランドセルでいじめられるよね。そういう時代だよね」というような結論になったことが、更にイライラしてしまった。

主に腹がたったのはふたつ。
まずはじめに、この母の手法は悪質なセールスと同じところに腹がたつ。
幼児教育などの市場は大きいときくが、健康から勉強からいろいろある。
でもだいたいのきまり文句が「母親なら子供のために買ってあげるべきだ」的な言い方。
たとえば英語の教材なら「お子さんが将来英語で苦労したら、お母さん恨まれますよ」というような言い方。
言い方はいろいろあるが、わからない将来のことをあたかも買わないと起こる事実のように言い親の不安をあおり、また買わない人間は母親失格かのようなニュアンスも含んでいる。
この番組の投稿も、「もしこの子がいじめられたら、お母さんのせいよ」と言わんばかり。
実際、投稿の内容も孫がいじめられたらかわいそうだから、ランドセルは高いの買ってあげたほうがいいですよね、的な祖母の言い回しだった。
高いランドセルでもいじめられるよ。
「何あの子調子のって」といじめられるパターンだってあるでしょう。
母親がわが子のために立派なランドセルを使わせたいというのはいい。
そして祖父母などに頼むのも今の王道だから別に相手が了承するならそれもいい。
だけど、「いじめ」などを持ち出して、自分の希望のランドセルを買わそうとするな。
孫と祖父母で決めさせればいいじゃんか。
金額も、デザインも。
本当この母親には腹がたつ。

さて、もうひとつ。
前の怒りのところでも少し触れたが、高いランドセルでもいじめられる。
そもそもいじめというのは、いじめられる側が解決する問題ではなく、いじめる側に問題があるんだから。
「いじめはいじめる方が悪い」
あたり前で言い尽くされてきた言葉だけど、実は多くの人にはこの本当の真意は浸透していない。
なぜなら多くの人の中に「でもやっぱりいじめられるほうにも原因がある」って思ってるからだ。
これは、実際に(いじめてる人ではなく割りと第三者的な立ち位置にいた人たちから)何人もからきいた言葉だ。

あの、原因があってもだからいじめていいわけないじゃん。
私も小学校のときいじめられっこだったとき、いじめっこたちの理論は「あんたが悪いから私たちは指導してるのよ」というめちゃくちゃな上から目線でした。
これはいじめに限らずDVなんかでもよくあること。
いじめてるほう(DVしてるほう)は、ダメな人間をまっとうな人間の自分がただしてあげてると本気で思い込んでる場合も多々ある。

親として、そういうことを心配してまずやることは、いじめられないために、他人におもねることを教えることじゃないでしょう。
おもねるならまだいい。
この投稿者にでてくる母は、わが子に対して「安物のランドセルを使ってる子はいじめられても仕方ない」と言ってるも同然だ!
もしも祖母が買ってくれたのが安いランドセルだったとき、もしもそれで学校で誰かに悪口言われたりしたとき、親としてやることは「これはおばあちゃんが大好きなあなたのために買ってくれたとっても愛情のこもった素敵なランドセルなんだよ。値段なんて関係ないよ。あなたのこのランドセルはとっても素敵なものだよ」って教えてやることじゃない。

ランドセルと具体的な例をだしたらよけいわからないかもしれないけど、いじめられて帰ってきた子供に、親はそのいじめられた内容を肯定したらダメだよ。
「汚いって言われた」「じゃあきれいにしましょう」
「きもいって言われた」「じゃあおしゃれにあかぬけさせましょう」
「勉強できないバカって言われた」「じゃあ勉強させて成績あげましょう」
etc...
そんな対処療法、そのばしのぎでいじめの解決になってない。
まずは「そんなことでいじめるその相手が悪い」って言ってやんなよ。
そのうえで、「○○ちゃん汚くないよ。だけどいちいちからまれるのは嫌だから相手にかまわれないようにしようか」というようにすべきだ。



結論を言うと、いじめっていうのは基本普通でない人が対象だ。
それは秀でていても劣っていてもだ。
「秀でてる」「劣ってる」と言ったが、それも「クラス」という小さなコミュニティの中の矮小な価値観の中でだ。
社会にはありとあらゆる価値観が混在している。
また、現在は昔よりその価値観がずっと認められる時代だ。
小さなコミュイニティの価値観に左右されて「普通」でいることで、いじめられなくても、社会にでて何もできないじぶんという無力感におそわれるかもしれない。
自分らしく生きていいんだよ。
ただ、他人を傷つけてはいけない。それだけ。
逆に言えば、価値感が違うからって自分の価値観を押し付けて他人を傷つける。それがいじめなんだよ。

集団の中で孤独であることはとても辛いことだけど、回りに迎合しながらも超えてはいけない一線は必ず持っておかないといけないと思う。

日曜日放送中のドラマ『下町ロケット』もロケット打ち上げ編が終わったようです。
なんかいままでのひっぱり方からしては、最後の関門がずいぶんとあっさりだったような気がしました。

とはいえ、毎週とても楽しみにしています。
今週の放送ですごく印象に残ったのが、主人公佃社長と娘とのやりとりのシーンです。
部活でのスランプを抱えて苦しむ娘との会話で
「お父さん、私を信じてくれるの?」
「当たり前じゃないか。娘を信じない父親がいるか!」
「じゃぁ、ちゃんと見ててね」
というもの。

このやりとりは、この日のドラマの後半に大きく関わってくるわけですが、「信じる」っていうことの意味について、改めて考えさせられました。

以前も『信じる』というテーマについては何度も記事を書いてきました。
それらとそれほど変わったわけではないです。
再確認のようなものなので。

『信じる』という言葉を使うとき、とかく人は「相手が言ったことを本当だと思ってあげること」のように使います。
でも、「あなたのことを信じます」と言ってしまうのは、間違うと相手を見捨ててしまうことにもなりかねない言葉なんですよね。

『青少年講演の備忘録』の記事のところで、「親は間違った守り方をしてはいけない」という講演会の話を紹介しました。
間違った守り方。
それは子供や事実を見ずに、ただ子供が言うことを「そう言うならそうなんだ」としてしまうことですよね。

そうではない。見ること。知ること。わかってあげること。
それが本当の意味での『信じる』なんですよね。

『ゴールデンスランバー』という堺雅人主演の映画で、こんなシーンがありました。
犯人として追われる息子(堺雅人)について、テレビなどのレポーターたちがその父親(伊東四郎)に詰め寄る。
「息子はやってない」
「息子さんを信じたい気持ちはわかりますが」
「信じてるんじゃない。知っているんだ」

子供はうそをつきます。
もちろん、子供だけじゃない。恋人だって、夫婦だってそう。
うそをつきます。
だけど、なにもやましいことをしないという偶像を相手に押し付けて、追い込んで「信じてたのに」と言うやり方は、自分のためだけの行為で、ちっとも相手を見ていない。
だまされたっていい、「信じられないのか」と相手を怒らせてもいい。
でも、それも含めた全部をちゃんと見てあげて、本当に必要な助けは何かを見つけ、本当に必要なタイミングで助けてあげられること。
それが一番大事なんじゃないかな。

辺見まりの洗脳授業

昨日、なにげにテレビをつけてたら、「しくじり先生」とかいうような番組で、辺見まりさんが昔洗脳されていて、大金をだまされたという話を学校の授業形式で発表していた。

その生生しい体験談は、本当に身が震えました。
一緒に見ていた子供たちも興味津々に見ていました。

ネタバレ的に最初にその体験談を要約すると、辺見まりの元マネージャーKに紹介されて、拝み屋のK(中年女性)に会い、最初はお金も請求されず怪しい話もされなかったので、身の上相談して終わる。
けれど、悩みをきいてくれる人として頻繁に会うようになったときに、家族の体調のことを言い当てられ、信じていくようになる。
そして、Kに大金をとられ、そのあとはKのもと一緒に修行していたA子が今度は拝みやになって大金をとられ続けた、という話。

「自分はだまされるわけない」はだまされる入り口ってのは、本当にそうだなと思った。
話だけきいてたら、自分はありえないって思うんだけど、回りの空気にのまれるっていうのは絶対にあると思う。
番組で洗脳について詳しい専門家の話で、グル(数人で組む)になってやると成功率があがるような話があったけれども、周りがみんな信じてる場所にいたらその場の雰囲気に流され、ありえないようなことを信じてしまうのは、絶対にあると思う。


そんな番組を見ながら、小6の娘が私にきいてきた。
「神様って、いないんだね?」
ちょうどサンタさんはいるいないがとても気になっていたし、一方でオカルト(本当にあった怖い話などの怪談話)に興味ありありの時期でもあるからこその、質問だったろう。
娘が本当に知りたかったことではないかもしれないが、私はこう答えた。
「神様はいるかもしれないし、いないかもしれない。でもね、それは問題じゃないんだよ。超能力とか不思議な力だってあるかもしれないけど、目の前にいるその人が本当にそれを使っているかどうかはわからないんだから。だからね、大事なのはそれを信じるか信じないかじゃなくて、今それをやりたいかやりたくないかを判断することだよ」
と。

以前から何度か記事に書いてきたかもしれないが、男性は特にすぐに「科学的に○○はない」とかそういう結論で話をしたがる。
女性が占いとか不思議な話とかしている時は、そんなことは実はどうでもいいのだ。
特に占いにのめりこんでいる人は、内に人には言えない悩みを抱えている場合が多い。

実際、辺見まりさんも悩みを話せるところで(否定せずにただただ聞いてくれた)、そこにのめりこんでいったわけだから。
逆に言えば、Kのように話を聴いてくれる人が、本当に身近にいたら(下心ない友人が)、辺見まりはそういう被害にあうこともなかったと思う。
そういう辺見まりさんのような人がいたとき、すぐに「だまされてる」とか「Kは悪いやつだ」などと言ってその人をひきとめようとしてしまう。
でも、そこにKへの信頼があったとしたら、それは忠言した人への不信感にしかならないと思う。
正しいことを言って説得することよりも、ただただ話をきいてあげること、気持ちを受け止めてあげることがなによりも効果的ではないかと思えた。

辺見まりさんが番組後半で言っていた。
「社会と断絶されていたのに、(お金のために)芸能界に復帰させられたことで、社会の常識やいろんな考え方があることを知った」と。
まずは、社会と断絶させないことではないかと思った。
自分の「よかれ」と思う正義をこんこんとおしつけるように語るのではなく、まずは相手の話をきき、受け入れ、そして信頼を築いていく中で、だんだんと世の中のことを知っていけば、いいのではないかと。

では最後に、以前にこのブログでも紹介した河合隼雄先生(心理学者)の言葉を〆の言葉とさせてもらいます。

「100%正しいことを言うことは、なんの役にもたたない」


「ナンバーワンにならなくてもいい、もっと特別なオンリーワン」という歌が流行ったとき、個性というものがとりざたされました。
極端な話、犯罪者も個性として受け入れられるのか、という議論です。

先日、私の行っている託児ボランティアの研修で、「障害は個性」という話があっていました。
発達障害(自閉症スペクトラム)などは、個性ととらえるという話ですが、これはしつけや環境で変えられないよという話でもあります。
ただ、それだけではなく、でも実は私たちの個性もこれはしつけや環境からではなく、生まれつきのもの(遺伝子)なんだよ、というお話でした。

つまり、自分自身も親のしつけや環境で今の自分(個性)が築かれたと思っているけど、本当は遺伝子なんだよ、という話。
まあ人は信じたいものしか信じないので、そう言ったところで「いや、自分の個性は親の教育のたまものだ」と思ったら、そうしか思えないですものね。

私はこの遺伝子理論、すごくふにおちたんですよね。
双子を育ててるせいかもしれません。
男の子と女の子という差はあるのですが、もう0歳のときから二人とも個性があって、同じ育て方をしてるのに、反応や興味などはまったく違うのです。

でも、じゃあどんな育て方しようが子供の将来には一切関係ないのかとなると、そうは思いません。
私が思ったのは、「親の思い通りには育たない」というとこですね。
勉強したらできるとか、がんばればできるとか、それは親(大人)の基準であって、遺伝子基準ではないということ。
「できなくてもしょうがない、だからしなくていい」ではない。

マンガ「HUNTER×HUNTER」の念でたとえると、強化系能力者なのに、具現家系の能力を極めようとするなということ。
強化系能力を鍛えつつ、となりの放出系も修行するのがよい方法。
って、読んでない人にはわからないよ!!!てか(笑)

閑話休題。
親のやるべきことは、親が思い描くように子供を育てることではなく、子供の属性をみきわめて、見守りつつも、危ないほうに行っていたらひきとめたり、時には手助けすること。

当たり前だけど、大人ってなかなか自分の価値観から抜け出せないのだよね。
あ、だからこそ反抗期というものがあるのかもね。

他人の幸せ

イジメとかって、基本「あいつが悪いからいじめる」という正義感がある。
イジメは悪いことという社会的一般的モラルがあるから、大人はイジメは悪いと叱ったり、諭したりする。
だけどほとんどの子供たちは納得してないのだと思う。
「だってあいつが悪いのに」という思いがあるから。

まあ基本ほとんどの大人が「ひどいヤツはバチが当たって当然→ひどい目にあってもいい→こらしめてもいい」という発想を多かれ少なかれもっている。
極端な話、残虐な殺人事件とかがあったら、ほとんどの人が「犯人なんて死んでしまえばいい」と思うだろう。
「それとこれとは別」
とこれまた多くの大人は思ってしまう。
だけど、子供はそういう大人たちから果たして説得力をもってイジメが悪いと思うだろうか。

もちろん、今のは「極端な話」だ。
だけど、最近子供たちは「○○はいい思いをしてる。だから、あいつに言われたくない」などという発言のように、他人が楽してるから自分も楽してもいいとか、自分は理不尽な環境でがんばってるから、恵まれた環境にいる人に面倒なことをやらせてもいいという考え方を持ってるという気がする。

でなぜそんあ極端な話をしたかというと、先日ドラマでまさにそういうセリフをきいたから。
そう、殺人犯の言葉。
「あいつらはあんなにいい思いをしている。自分は苦労して苦労してのしあがろうと努力してるのに。毎日遊んで暮らして。バチがあたったんだ」と
金持ちである人たちが恵まれてるのは、バチがあたるという感覚。

そう。「バチがあたってもいい」人間とか、自分がいかに苦労しているか、不運かというのは、結局統一されたモラルではなく、おのおのの価値観なのだ。

子供たちに、自分の環境をうらんだり、他人をうらやましく思う気持ちと、じゃあ相手をイジメたり自分が楽していい理由にはならないことを、私たち大人が教えていかなくてはないけないなら、まず私たち大人がそこに気づかなくてはいけないんだと思う。

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