転世塵語

yeonsoの気ままな文章です

教育

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全1ページ

[1]

著者、根津さんは僕の元組合仲間である。
闘いの人である。
日の丸・君が代に対する意見は僕と同じなのだが、僕とは行動力が根本的に異なる。
僕は君が代を唄う自分が想像できず、君が代を唄ってしまったら僕が僕でなくなる、と教職を去った。
根津さんも君が代拒否までは同じなのだが教職にあり続け、君が代起立を拒否し続け、処分になっても戦い続けている。

根津さんのHPは次のとおり。
http://www.din.or.jp/~okidentt/nezusan.htm

で、本であるが、僕の本
http://homepage3.nifty.com/hasunuma/starthp/subpage01.html
は闘いの経過のみで教職員以外にはとても読みづらいものになってしまったが
根津さんは
どのような育ちで教員になったか、
どうして日の丸・君が代に疑問を持つようになったか、
などゆっくり経過を説明しながら現在の状況を述べている。
そして「希望は生徒」のタイトルのとおり、自分の行動は生徒があってこそ、と
静かに語っている。

日の丸・君が代を反対していた同僚が翌年には自ら進んで歌う・起立するようになっても
それを責めることなく、そういう教育状況なのだと分析する。
しかし、「そういう教育状況」に妥協してしまったら自分は自分でなくなる、と。

日本の教育界で、「憲法を守れ・思想信条の自由を守れ」と当たり前の闘いを続ける教員はもう根津さんが最後かも知れない。

「頑張ってください」とは僕は言えない。
ちょっと前に読んだ本の中で「頑張ってください」と書く人は自分は頑張らない宣言をしている、とあったから。そういう人は自分の問題として捉えていないのだから。

アフリカの難民の映像を見て「かわいそう」と思うことも同じである。
自分は冷暖房の効いた室内で残した食べ物を捨てていながら「可哀想」は行動力に欠ける。本当に傷みが理解できていない。

さて、僕は根津さんと共にどうしようか。
アフリカの飢餓状況をどうやって食い止めようか。

「国語」と日本語

イギリスでは自国の言葉をENGLISH(イングランドの言葉)という。
スペインでは自国の言葉をラ・スパニョーラ(スペインの言葉)という。
フランスしかり、ドイツしかり。
中国でも「中国語」、韓国でもハングンマル(韓国語)という。

おそらく、日本の教育だけが「国語」という。
「国の言葉」は200以上あるというのに何故「日本語」と言わないのだろうか?
国史・国学・国文学など同じ発想の用語には「国というのは日本だけ」という暗示が含まれている。

「母国語」という言葉もある。
生まれた時から日本に住んでいる韓国人にとって「母国」とはどこだろう?
日本語を話せるが国籍が外国にある人にとって「母国語」とは何か?
ドーデの「最後の授業」の中でアンドラ地方が侵略されたときに「フランス万歳」と書いた教員が
支配者側だとすればあれは美談なのであろうか?あるいは国の政策でいれられた教材であるのか?
ということを田中克彦氏は岩波新書「国家と言語」の中で説得力ある説明をしてくれている。
「母国語」でなくて「母語」だろう、と。

そして、僕の「母国」が日本であって欲しくない。
こんな政治体制・教育体制の国を「母なる国」と誇りをもてない。
日本は僕にとって単に「生まれた国」であり「戸籍登録されている国」である。(戸籍制度があるほうがまれなのだが)
僕はあえて言うなら「地球人」であり、この国にいる間は「在日日本人」として生きている。

「美しい国」を作りたい総理大臣は「美しい世界」まで視野が広げることができないのだろう。

教育再生「懐疑」

「教育再生会議」がまたとんでもない提案を行った。 
(実は再生されなければならないのは教育でない。日本の民主主義と政治なのだが)
とりあえず「再生」せねばばらないとしたらその原因はまず政府や教育委員会がこれまで憲法や教育基本法を遵守せず、教育をたんに利用してきらからに他ならない。
ともあれ、提言をみてみよう。

「【1】「ゆとり教育」を見直し、学力を向上する」
ゆとり教育を推進し、生活科・総合科などによって学力を低下させてきたのは何だったのか?
そして「授業時数の10%増加」とはどこを見て言っているのか。
時間数は増やす必要はない。単に生活科・総合科・書写・道徳など必要ない時間を置き換えるだけで十分である。

「【2】学校を再生し、安心して学べる規律ある教室にする
 いじめと校内暴力を絶対に許さない学校をめざし、いじめられている子供を全力で守る」
いじめとは人権や生命が重視されないことである。その原因は日の丸・君が代・天皇制が絶対的価値があり、個人の価値を軽んじてきたこれまでの方策のせいである。
対処療法では原因はなくならない。教育基本法が改悪されてしまった今、こういうしかない「学校でも憲法をまもるべし」

「【3】すべての子供に規範を教え、社会人としての基本を徹底する」
ここでいう「規範」とは権力に従順に従うことをさしているとしか思えない。

 「【4】あらゆる手だてを総動員し、魅力的で尊敬できる先生を育てる」
これは無理である。権力・校長に従順に従う教員を文部科学書は「魅力的」というのであろう。
子どもよりに上を優先する教員は子どもにとって魅力的ではありえない。

「教育職員免許法等を改正し、教員免許更新制を導入」
これも上記同様。文部科学省や教委にとって不都合な教員を排除するのが狙いでしかない。
更新はどのようにするのか?校長の証明か?更新講習の面接試験か?
いずれにしても権力の教育方策にとってふさわしいかどうか判定するためのリトマス試験であり、更新制度を素直に受け入れるかどうかの”踏み絵”にすぎない。

「【5】保護者や地域の信頼に真に応える学校にする」
ここでいう「保護者や地域」も上記同様。校長や教委の側の立場を指す。

「【6】教育委員会の在り方そのものを抜本的に問い直す」
単に教育委員会に国が口出しできる機会を増やそうということらしい。

「【7】「社会総がかり」で子供の教育にあたる」
これからの教育に窒息しかけた子どもの逃げ場を奪うわけです。

憲法と政治家

A総理大臣候補は「日本国憲法・教育基本法は押し付けられたものだから改正すべき」という。
憲法・教育基本法の内容についての議論より前に。
それならば国旗国歌も押し付けないか?というとそうでないらしい。
現総理大臣は「憲法で思想の自由は認められているから憲法改正の考えも自由だ」という。確かに日本国憲法は言論の自由を認めている。
しかしそのように憲法を引用するのは間違いである。憲法第99条には次のように定められている「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」と。
現憲法の下で選任された総理大臣なら、一般国民よりも憲法を尊重せねばならないのだ。その憲法の保護の下に「言論の自由だから日本国憲法の改正の言論も自由…」というのは日本国憲法を利用・蹂躙していると思われても仕方ないのではないだろうか。
さらに「押し付けはよくない」という人々に限って「日の丸・君が代」を押し付けている事実がある。
政治家は憲法の立法趣旨を理解してもらいたい。

ブログを立ち上げ!

このブログは管理者Yeonsoの思いのままの文章を載せるものです。話題としては教育・社会・精神世界・ビル管理などです。気が向いたら読んでください。コメント・息抜き的雑談も歓迎します。なお、管理者の思想的立場から憲法・教育基本法改悪に賛成の方の書き込みはご遠慮ください。(その他の発言も内容によっては気がついた時点で無断削除することがあります)

全1ページ

[1]


.
yeonso
yeonso
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

標準グループ

登録されていません

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!
いまならもらえる!ウィスパーうすさら
薄いしモレを防ぐ尿ケアパッド
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
いまならもらえる!ウィスパーWガード
薄いしモレを防ぐパンティライナー
話題の新製品を10,000名様にプレゼント

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事