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			<title>全国偽善者連合</title>
			<description>日々の戯言をつらつらと・・
悪事にも飽きたら趣味の偽善の世界へようこそ</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/hassy3532</link>
			<language>ja</language>
			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
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			<title>全国偽善者連合</title>
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			<description>日々の戯言をつらつらと・・
悪事にも飽きたら趣味の偽善の世界へようこそ</description>
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			<title>ホールド性能とその是非</title>
			<description>貧乏ながらの無茶な改造を施し、「お前の車は走らないくせに無駄にうるさい」と上々の評判を得ている我が愛車だが、自分的に「これは一分の一スケールのプラモデルだ」と割り切ってからというもの、その無茶ぶりに磨きもかかり、いまやパネルフードまでなくなっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今年の春にひょんなことからシートを手に入れた。泣く子も黙るセミバケットのレカロシート。気分は５馬力アップだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そのホールド性は純正のそれをはるかに凌ぎ、そこそこの距離のドライブでは体への負担が激しく減った気がする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
心地よい包容力に包まれながら夜の街を走り、だめな２５歳は斯く考える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「せめてこのシートくらいの包容力をもった女に出会いたいもんだ・・」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もうじき２６歳。そろそろ落ち着け俺。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/hassy3532/42386566.html</link>
			<pubDate>Thu, 05 Oct 2006 00:32:18 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>少しだけ社会派に</title>
			<description>東京都で教職員の国旗掲揚時の起立及び国歌の斉唱の通達、圧力が違憲であると裁判所の判断が下った。&lt;br /&gt;
憲法によって彼らの思想の自由は保障されているらしい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
難しい話はきっといろんな所で議論されているだろう。ここではそんな野暮な話はやめよう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
誰一人彼らに、教師になってくれと頭を下げたものはいない。いたとして彼らの親位か。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自ら試験を受け、頭を下げて就職し、あげく定められたルールは守れない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なのに彼らは自分たちの定めたルールに生徒が従わなければ、相応の処分を下す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アナーキストは誰なんだろうかなぁ</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/hassy3532/41907488.html</link>
			<pubDate>Thu, 21 Sep 2006 23:32:58 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>痛覚への注文</title>
			<description>　タンスの角に小指をぶつけた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
漫画のような話である。足元への注意の無さと、そこにタンスを設置した人間。どちらにしても自分以外に責めようの無い問題である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
猛烈な痛みは軽率な僕に「絶対今のは折れた」と軽率な判断を下させるのにさして時間を必要としない。念のためだがもちろんそんなことで骨に異常が起きるわけが無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
僕の思う限りでは、痛みというのは生命の危険を察知するためのセンサーである。&lt;br /&gt;
たとえば足が折れた時、大自然の中では逃げる力を失うわけであり、それは即ち捕食の対象へとつながる。多量の出血は根本的に生命の危機を暗示させ、それをいち早くわかりやすい形で知らしめるのが痛覚、つまり痛みとして信号を送るのだと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし今、そのセンサーが僕に伝えようとしている痛みはタンスにぶつけた小指だ。&lt;br /&gt;
或いは、小指を失うことで俊敏さを失った僕がサバンナに放たれたら、ライオンから逃げ切れずに食べられるやも知れない。しかしここは日本であり、小指をぶつけて数分間の痛みに耐え切った後には、充分過ぎるほどの文化的な生活が待っているのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
捕食される危険も無い環境におかれながら、たかが小指をぶつけただけでのた打ち回る自分が情けなくなると同時に、これからは生命の危険にさらされるような痛みで無い限り、平静を保つことが文化的な人間の務めであると感じた。そう思えば大抵の痛みなど命を脅かすものではないではないか。痛みと精神を切り離せてこそ強い人間になれるというものだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今しがた机の下に落としたライターを拾う際、しこたま後頭部を打ちつけた。きっと頭蓋骨が陥没したに違いないと涙ぐむ自分に、人間とその痛覚への不条理を感ざるを得ない。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/hassy3532/41300048.html</link>
			<pubDate>Wed, 06 Sep 2006 00:30:51 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>冷やし中華終わりました</title>
			<description>さて、放置のしすぎである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この数ヶ月間、パソコンが壊れたことも手伝ってまーったくもってこのブログもおざなりになっていた。&lt;br /&gt;
こんな放置ブログでもカウンターは微増して行く。心当たりのある方、本当にありがとう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そしてこのブログを放置するにいたるもうひとつの理由としては、仕事柄一人になる時間が多く、当然思案にふける時間も多くなり、記事を連ねようと思ってもどうしてもまじめな方向にシフトしてしまいそうだったということが挙げられる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
僕は軽率な人間でありたい、と常日頃から思っている。軽いステップで、自分、世間、社会というものを斜め４５度くらいから眺めて、斬新な思想を持ちつつも世間にうまいこと埋没していようと。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「似非関西」と称される某ｍ県にいた時、僕の言葉を額面どおりに理解してくれる人がたくさんいた。&lt;br /&gt;
誤解を恐れずに言えば、決して学歴が秀でているわけでもない、立派な肩書きも無い人たちだったが、軽快なステップで話をすることができた。時にはまじめな話も。「ボケとツッコミ」称するのはいささか言葉が足りない気がするが、やはり斬新な言葉の往来というものが確実にそこにはあったのだと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
地元に帰ってきてはや半年、学歴や肩書きはあれど、まともに会話が成り立つ人間に出会っていない。土地柄か前世か、おそらく日ごろの行いも考えるとその辺にも原因があるのではないだろうか・・&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
とにかく斬新な言葉のやり取りが無いと、すべてが自己解決に向かい、結果人間としての成長も無ければ、余裕のある言葉も出てこない。文筆を生業としているわけではないが、「ここは僕の日記帳なんだ、何書いたっていいじゃないか」という開き直りのスタンスには立てない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現状に愚痴をこぼすのは小学生でもできる。残念ながら小学生的な立場に甘んずるつもりも毛頭無い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今改めて、１人の人間として、一偽善者として、軽率で軽快なステップを歩むべき時にきているのだと、自分にささやかなプレッシャーを与えてみる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
初夏に中華料理屋を賑わした「冷やし中華始めました」というのぼり。その終焉は誰に知らされること無く突然やってくる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
僕のブログはこれからも適当に続きます。初秋の冷やし中華のようにひっそりと。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/hassy3532/41250868.html</link>
			<pubDate>Mon, 04 Sep 2006 21:42:16 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>偽善者的奉仕活動</title>
			<description>気付けば三週間の放置である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それはそうと、さかのぼること３ヶ月前。昔たいそう世話になっていた人から連絡を頂いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「地元に帰ってきたそうじゃないか。登録を済ませてポストは用意してあるから、来週の会議に来てくれたまえ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　体のいい強制連行である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これが仕事の話なら、当時職探しに奔走していた僕にとって渡りに船であるが、実際にはそうではなく、昔やっていたある団体の世話役をしてくれというわけだ。そしてそのある団体とは&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ボーイスカウト&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「共同募金おねがいしまーーす」のアレである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これまた似合わない単語が出てきたな、と僕の過去の記事をくまなく読んだ奇特な方々は思われるだろうが、事実は小説よりも奇なのである。かくして半ば強制的に「リーダー」という名前だけはたいそう立派な肩書きを頂きやけくそ気味でがんばっているのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
どうせ子供の面倒見てりゃいいんだろうと高をくくっていたが現実はそうは甘くない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
甘くないその　土日がつぶれるのなんのってもう奥さんアタシ大変！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　何をおいても子供たちの安全確保が最大の責務である以上、現場の下見に安全対策計画・・会議会議会議！！そりゃ土日なんて一瞬で無くなるわい&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
甘くないその◆体力ってのはもう低下してるのね・・・&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　最初に顔合わせを含め僕が合流したのは一泊二日のキャンプであった。子供たちのあの体力・・・おまえら何喰ったら朝から晩まで走り回れるんじゃぁぁぁぁ！！追いかける身が持たんわぁ！！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
甘くないその：酒は飲んでも飲・ま・れ・る・な♪&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　怒涛の１日も終わり夜である。子供たちも寝静まったころ、懇親会という名の飲み会が始まる。そこはさすがに大人たち。節度ある量を節度ある飲み方で・・ってあなた方&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　お酒強すぎます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
下戸の僕にはただの罰ゲームにしか思えません。ヒロシです・・・&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ここまで言っておきながら、とって付けたようなフォローではないが、ボーイスカウト自体は楽しいものである。子供のころは見えなかったもの、逆に子供にしか見えないもの。そこそこいっぱしの「オトナ」といわれる歳になって改めてこのような場所に身を投じ、偽善的な視点からこの活動について今後この場で語ることもあると思う。どうか関係者の方々にこのブログの存在が見つからないことを祈るばかりである。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/hassy3532/38398529.html</link>
			<pubDate>Mon, 26 Jun 2006 22:06:14 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>自分の在り処</title>
			<description>＊書き終わってから注釈を付けるのもなんだが今回は多少グロテスクな内容になってしまっている。&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　その手に弱い人は見ないでちょうだいな&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
東海地方も梅雨入りして、これからしばらくうっとうしい季節になるわけだ。雨というのも嫌いなタチではないのだが、さすがに六月の雨というのは終わりが知れず、あまり気分のいいものではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
先日小さな怪我をした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
怪我と言っても指先を切った程度のもので、血が少々出たほかはこれといって日常生活に不便を生じさせるようなものではなかったのが幸いだった。文化的な生活はときに大きな事故の可能性をはらみ、手足を落としてしまったという話も耳にすることがある。長井秀和的に言うところの「きをつけろぉ」である。いちいち表現が古い。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
仮に手を落としてしまったとしよう。僕の知りうる限りでは&lt;br /&gt;
「体を落としてしまった手」&lt;br /&gt;
という話は聞かない。やはりそこにおいてアイデンティティーというのは体側に宿るのだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
何かの事件ではないが、首を落とされたとしよう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
何気なく今書いた日本語のとおり落とされるのは「首」である。解剖学的なところでは「自我・心」というのは脳に拠るわけで、狭義での体というのはいわば従属物である。絶命するまでの一瞬、その狂乱の意識を支えているのはまぎれも無く「落とされた」側であるにもかかわらず、静観する側としては彼の自我の宿り先を「落とした」側の体に求めるのだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
非科学的な話をすれば、僕の落とした血の一滴は、主を離れ、つかの間の自我を味わうのであろうか。&lt;br /&gt;
常に脳をはじめとする体の側は表現の手段を持つ。考えたことを言葉にする口があり、文字にする手がある。表現の手段を持ち得ない従属側としては、その自我を表す術がない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし純粋に自我として取り出した脳にも、表現をする端末が無ければ、ディスプレイの無いパソコンのように、他者によってそこに自我があるとは認めづらい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この文章を書いて読み返しているうちに、僕が相当病んだ人間ではないかと思われる危険を感じたが、なんのことはない。自分の中の自分でなくてもいいところを削っていったら、2リットルに満たないであろうことに気付き、しゃくに障っただけである。心配はご無用である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
雨が降り仕事が暇だとろくなことを考えない。やはり僕は雨が嫌いなのかもしれない。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/hassy3532/37575815.html</link>
			<pubDate>Thu, 08 Jun 2006 20:01:04 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>今日の一言</title>
			<description>有能な人間は叱られる&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
無能な人間は怒られる</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/hassy3532/37573791.html</link>
			<pubDate>Thu, 08 Jun 2006 19:04:36 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>禁欲の果てに</title>
			<description>タイトルからして下の話っぽいがそうではない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
人間の欲望というのは底が知れず、誰もがおいしいものを食べ、理想の異性と過ごし、いい服をて・・・まぁきりがない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし一方ではその欲望を抑え、禁欲的な暮らしをしようではないか、という人たちもいる。宗教家などに言わせれば、時にそれは修行とも称されるのだろうし、そうでなくても世間一般にとって禁欲は美徳というか、なんというか&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　「禁欲バンザイ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
的な風潮に現在はあるのだなぁと感じる。&lt;br /&gt;
余談だが、某国ではデブと喫煙者は一定以上のポストには就くことさえできないらしい。欲望に勝つことのできないダメ人間の烙印を押されるというわけだ。ニコチンジャンキーの僕にしてみれば困った話だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ある日僕はふと思うのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　「禁欲というのもまたひとつの欲望の形なのではないか？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
無欲と禁欲は似ているようで違うものである。禁欲というのはまず「欲ありき」なわけで、自ずとわいてくる欲を律しようという「欲」がまた自ずとわいてくるのだ。なんだかんだ言っても結局欲によって支配されているわけじゃないか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
考えてみれば、人間を除く全ての生きものたちは（一部のネコを除き）食べ物にわがままを言わず、着るものにもこだわらず、その生命を全うし、子孫を残すことに懸命である。そこには一切の人間的欲望は感じられない。そしてなにより煙草を欲しようとしない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　「禁欲という欲にも負けず、ただ自分の良心に従い生きていく」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それはなんと清清しいことだろう。ビバ非禁欲。ビバ喫煙。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今年に入り四回目の禁煙を断念した今日、またひとつ僕は賢くなった。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/hassy3532/36024049.html</link>
			<pubDate>Mon, 15 May 2006 20:50:03 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>電話中に出た一言</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-44-21/hassy3532/folder/1442394/39/33679739/img_0?1145458146&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
奇跡を願わない人間には奇跡すら起こらない</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/hassy3532/33679739.html</link>
			<pubDate>Wed, 19 Apr 2006 23:49:06 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>久々の更新</title>
			<description>さて、桜も散り黄砂が舞い、洗車するたびに雨が降る・・そんな季節がやってきた。諸事情があり、このところさーーーーーっぱりブログを更新してなかったわけで、気付くと四ヶ月ほど放置してあったわけだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
諸事情と言ったところでその大半は「めんどくさい」の一言に尽きたわけだが、放置の末ここにきて再開した理由も「なんとなく」の一言に尽きるわけで、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「めんどくさい」「なんとなく」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
まるで最近の若者のようなこの言い訳をする自分が、ひょっとしたら知らないうちに「最近の若者」になってしまったのではないかと鏡を見ると、そこにはただのおっさんがひとりいるわけで、時の流れには抗えないのだと、否応なしに気付かされる今日この頃である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
四月というと何かと環境が変わる人も多いだろうが、僕も例外に漏れず環境が変わったひとりである。大きな声出はいえないが、平たく言うと七年にわたる学業を放棄し、実家に帰ってきたのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大学中退という親不孝な経歴を携えて、その後の生活など微塵も考えずノープランで帰ってきた僕がまず直面した問題、そう、就職である。おそらくまっとうな大学生というものは、三年生くらいから就職活動を始め、長い時間と労力を惜しまず、何十社も受け、時にはコネも駆使して紆余曲折の上自分の将来を決めていくものらしいのだが、ひどい人になると１年就職活動をしていても内定がもらえない場合があるらしい。僕が引越しを終えたのが３月２３日。年度変りまであと一週間・・・・&lt;br /&gt;
各方面からお叱りの言葉を、それはもうたくさん頂戴した。&lt;br /&gt;
「こんな時期まで内定もらってないやつが仕事につけるわけが無い」だとか&lt;br /&gt;
「中途採用しか残された道は無い」だとか・・・&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そんな中、２日間の長きに亘る就職活動の末、欠員一名の所に無理やりねじ込んだ形だが・・そこそこ名の知れたメーカーの県総合代理店に採用が決まり、なんとか４月１日仕事始めに間に合わせることに成功した。まさに奇跡である。我が悪運の強さにはほとほと愛想が尽きる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
混乱の中なんとか無事就職も決まり、新しい生活が着実に進んでいく。四ヶ月のブランクの中で起こった事件も、これからこのブログのいいネタになることだろう。再び更新が激しく途絶えることの無いように、以後は適当に記事を連ねていくことにしよう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
余談だが、社長面接の際に志望理由を聞かれ、&lt;br /&gt;
「求人情報誌のページを適当にめくって一番最初に開いたところに載っていたからです」&lt;br /&gt;
とは口が裂けても言えなかった</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/hassy3532/33477698.html</link>
			<pubDate>Mon, 17 Apr 2006 22:03:39 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
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