人生には波がある

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順風万班だと思われているのですが、そうでもないのです。波があるのでそれが読めるようになると楽に、楽しくなります。生きるのがね。
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トラブル

トラブルがありました。

従業員と喧嘩っぽくなり、


今日話し合いをして、和解したら、


次男が喘息で入院。


会社(店)と家庭ってそういうところで連動してますね。

やはり波がありますね

これ書くの久々なんですが、人生には波があるというのは本当だと思います。

人事異動で、江東区にきて人がいないのでいろんなことしました。

求人誌にだしたり、チラシ作って店に置いたり、紹介頼んだり、応援よんだり、求人のチラシを1000枚ポスティングしたり。

で、5人着てくれたんです。そのうちの一人は、ある団地にまいていたんですが、28号棟まである大団地で28号棟、27号棟、26号棟間でまいたら嫌になったので、あきらめてほか移ってしまったんです。

そうしたら2時間後にバイトの面接希望者から電話はいって、聞いたらその団地の26号棟からでした。

確率にして0.1%なんですが、最近の傾向は0.01%ぐらいの反応率しかないのでそうとう高確率です。

ちょっとびびっていたら次々紹介してくれた人から連絡はいったりして5人です。

よかったよかったと思っていたら、現金違算と、苦情のおはがき。


波ってありますよね、って言う話しです。

人生には波がある 1

   最近感じることを記します。

それは、「人生には波がある」ということです。

何だそんなことかとおもうでしょ。

そんなことなんですが、何か自分に不幸なことが降りかかると人は悩みますよね。また、日々人間関係で悩んでいますよね。

ある意味悩みがなくなるということはないのですが、言いたいことはその悩みから逃れると次はもっと大きな波にのまれてしまうと言うことです。

いろいろな悩みは、「人生には波があるんだ」と言うことを認識していれば意外と楽に乗り越えられるということを最近感じるのでここに記します。




1. プレッシャーの話

皆さん日々プレッシャーと戦っているここと存じます。

一般的にプレッシャー = ストレス みたいに皆さん考えているかと思います。

しかし逆に言えば、プレッシャーがないと人間は成長しなくなってしまう生き物だと思います。

ですから、いい意味でプレッシャーに打ち勝ってもらいたいと、常日頃思っております。



 

では、私自身はプレッシャーがないのかと思いますよね。

実は、いつもプレッシャーと戦っております。

店長になるまで、プレッシャーとの戦いの歴史でもあります。

私も言い方も悪いのですが、入社してすぐ店長になってバリバリ仕事をこなしているようなイメージでたまに見られることがあります。

実は、全然そんなことはありません。

副店長時代は、北○袋で、ぼこぼこに従業員たちにつぶされました。

成○に行ってからは、女性店長にぼこぼこにされました。

その店長が異動して次に来た店長がまた女性の店長で、「服部君は、あーじゃない、こーじゃない」といじくられ、スケジュールも毎日15時間は店にいないとどうにもならない状態まで追い込まれ、あと半年この生活が続いたら死ぬなと思っていました。

そんなとき8月1日付けで、東○町の店長に任命され命からがら逃げ延びてきたというのが真相です。

私にとっては、店長に任命されるイコール「奴隷解放」だったのです。

そして今だって、プレッシャーだらけです。

朝起きるのつらいし、腰痛いの直らないし、妻にはいつも仕事ばかりしていて全然家庭のこと顧みないとか言われているし、服部ならこれぐらいの売り上げと利益を上げれれるだろうとDMにもほかの店長にも思われているし、「4人も子供いてすごいねー」って言われ、敬われながら本当は「大丈夫なの?」なんて蔑まれていたりしいて、結構プレッシャーとの戦いで普通なら毛が抜け落ちていると思います。だから、そのかわりに寿命を縮めている気がします。


でも、負けたくないのです。

自分に負けたくないのです。

実は、今まで負けの連続でした。

話しは、中学生時代に遡ります。

人生には波がある 2

2. 中学時代の話

はっきり言って中学時代は、負け犬でした。

女にもてたい一身でサッカー部に入ったのが運の付き。

毎日毎日、先輩の「しごき」。

「いちねーーーーん」と2年生の不機嫌そうな声。


そうです、「しごき」の開始なのです。

何するのかというと、ひたすら、ただひたすらダッシュ。

ダッシュ、ダッシュ、ダッシュ。


一位の人間だけが上がりになる、ちょっとしたサバイバル。

私も小学校のころは足の速いほうでしたが、そこは中学校。

小学校からサッカーをやっているやつも多く、要は、いつもクラスで一番とか二番とかの早いやつの集まりなわけです。


全然上がれず、十数本過ぎてくると、息が上がってもう大変。

最後から二番目とかにやっと上がれて、その間みんな玉拾いをしているわけです。

「ナイシュー!(ナイスシュート)」とか、「ナイスキー!(ナイスセーブキーパー)」とかいって、そん時だけボールが触れるんです。

そして、先輩が飽きてくると、「じゃー次は土手マラ」とかいって、中学校の隣に流れている川の土手を5キロぐらいマラソンしてくるのです。

一日中走っているわけです。

これほとんど毎日続くんです。

先輩が機嫌の悪いときは最悪で、全員全然上がらしてくれないのです。

ほとんど、いじめですよ。

でもって、私は小学校のころから口が達者だったので、先輩たちに結構にらまれてましたね。同級生にも。

そのころは、学校に行くのが苦痛でした。

だってダッシュだけをしにいくようなものなわけですよ。

しかも辞めるやつがいないんですよ。一人も。

そこで同級生に聞いたら「内申書に響くから辞めない」だって。

みんなそんな感じでした。

見えない鎖につながれて、走ってばっか。

サッカー部じゃねーのここは、なんて思ってもだめ。

あとで知ったのですが、そのときの3年生が結構荒れていて、ドラマのスクールウォーズみたいで、授業中校庭にバイク乗り込んできたり、暖かいのにきれいな雪が降ってきたなーなんて窓の外見ていたら、上の階でガラス割られていたり。

隣の新○北高では、しょっちゅう救急車がきていて、喧嘩が絶えないとかのうわさで持ちきりだったときもあります。

また、卒業式の日は、必ず先生に焼入れがあるという噂もありました。
先生たちも、いじめられておりました。

サッカー部の先生は「課長」とよばれておりました。

何でかというと、サッカー部の部長よりへたくそだったから、その荒れている先輩たちに、「部長の下は課長だから明日から課長ね」なんていわれておりました。

もちろん、「課長」はそんなサッカー部に愛着もわくわけも無く、ほとんど部活動中は来ませんでした。

部室なんてひどいもので、エロ本、タバコは当たり前で一、二年のときは中にあまり入ったことがありませんでした。

また、隣のクラスは女性の担任で、いつもガタイ大きい生徒にからかわれていて、授業どころではありませんでした。


その先生はしょっちゅう泣かされておりました。


そんなこんなでも、2年生になると進路のことなんか少しずつはなしをするようになりますね。

私は、絶対に北高には行かないと思い、一念発起して勉強に力を入れたら学年で450人中38番になってしまいました。

私の学年は、サッカー部でも成績がいいのがたくさんいて、当時の○和高校に1人、○和西も1人、○沢高校に2人、朝○高校4人。

サッカー部では、上から5番目ぐらいっだと記憶しております。

そうです。

みんなあんな学校には行きたくないと必死になって勉強したのです。


あんな先輩たちと同じ高校には行きたくないと思いみんながんばったのです。

そんな中学校時代でした。


ある意味荒んだ学校、荒んだサッカー部にいました。

そして、結構休みました。学校。

だって、いきたくないんだもん。

ちょっと登校拒否気味でしたが、みんなが言う「内申書」というのが怖いのと、このままでは何も変わらないと思ったのと、とりあえず今の現状から脱出したくて行きました。


そんな中学時代でした。

人生には波がある 3

3. 高校時代の話

このままではいかんと思いました。

自分の根性をたたきなおすために、何か武道みたいなガッツリ硬派みたいなのをさがしていたら目の前に剣道場があり、覗いてみたら「初心者歓迎」みたいなポスターがありました。

「やったことないのですが大丈夫ですか?」って先輩らしき女性部員にきいたら、「何人かいますよ」といわれたので、いっちょやってみるかーなんて軽い気持ちで入部したのが運の付き。

はじめは、優しい先輩方が、本入部決まると、手のひらを返したようになりました。

その剣道部は伝統があり、埼玉県下では、強いティームでした。

関東大会出場は当たり前。

西部地区大会は、練習試合状態。もちろん毎年優勝。

インターハイ予選はもちろんシード校。

男子は毎年ベスト4入り。

女子は、インターハイの常連。

女子の先輩で、「全日本女子剣道選手権」で全国3位。

それはもう道場の壁は、賞状だらけでありました。


そして、剣道というスポーツ柄、防具をつけているときはなんでもありでした。

ある意味、防具と竹刀を持ったルールのある喧嘩でした。

稽古中、先輩たちは後輩に何でもあり。

竹刀で面を横からたたいたり、ひっくり返し上に乗ったり、面を打ってこいといって先輩は竹刀を下げ、打ち込むタイミングで竹刀を上げる、直接のどに刺さる反則技でもある「向かい突き」をしたり。

そこは、無法地帯でした。


しかし、私にとってはサッカー部時代はもっとひどかったので、少し免疫が出来ておりました。

一時期はわたしも部活が嫌になり、夏休み終わったころ3年生の部長さんにやめたいと伝えたのですが、まー部長としてはあたりまえですが、一応引き止めておこうか程度の対応っだたと思います。自分にとっては、「1学年上は神様」的に教育されてきたので雲の上の三年生のしかも部長さんが引きとめてくれたということで感激してまいました。


「もう少しがんばります。」と伝え電話を切った記憶があります。


ここがターニングポイントでしたね。

ほかの1年生男子部員は全部で15人程度いたのですが、夏前には9人になっておりました。

夏休みの地獄の稽古と合宿が終わった段階で、私が脱落しそうになりましたが、ほかの先輩たちも後は大丈夫だろうとみんなおっもておりました。


もちろん、高校で剣道初めた初心者の私が乗り越えてきたので、私自身も他のメンバーは大丈夫だろうと思っておりました。

どころがです。

どんでん返しがありました。

1年生で一番強かった北野君がやめると言い出したのです。

その理由は、先輩のいじめに耐えられず、かつ弱肉強食、下克上の世界でもあった実力主義の部だったので、2年生の部長が、「お前には期待していない」みたいなことを言ってしまったらしいのです。
思っていたより打たれ弱かったのでした。

そうしているうちに、他の部員もみんなで辞めようぜ見たいな議論になっていましたが私は自分の中で気持ちに整理がついていたので議論に参加しませんでした。


そして、忘れもしない10月2日。

12人いた男子全員やめてしまったのです。

サー大変。

伝統ある剣道部始まって以来の事件でした。

引退している3年生まで出てきて引き止めにかかったりしましたが、散々いじめられてきたみんなは頑として聞きませんでした。


免疫のついている私にはなんとも思っていなかったことも、彼らにはひどくショックだったらしくいじけていたのでした。


そうなると、後の祭り。

やめると意思表示した部員は、散々いびってきていまさら何を言うかって感じでした。

先輩たちが何を言っても、他の部員のもどって来ないことが確定しました。

そうしたら、今までひどいことのオンパレードだった先輩たちが急に手のひらを返したように私に優しくなりました。


私がやめると伝統が途切れていまうからです。 

世の中そんなものだよなーってこの時思いました。


これも「試練」だと思いました。

そのとき、「運命とはなにか」と私のその後の人生のテーマにもなる命題が生まれてきました。

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