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1. はじめに
「幸せ」について考えてことはありますか?
身近な問題なのに避けて通りたがるのではないかと思います。
結論だけ先に言います。
「幸せ」とは、主観的絶対のことです。
主観的絶対なんてはじめて聞く言葉だと思います。
主観的とは、自分本位でという意味で、絶対とは、絶対です。
何のことだかわからなくなってきましたが、要するに自分がこうだと思ったらそれが絶対的に真理なんだということです。
もう少し噛み砕くと、自分自身が幸せだと思える環境にいて、自分自身それが幸せだと感じていれば、誰がなんと言おうがその状態が「幸せ」なんだということです。
たとえば、滅茶苦茶貧乏そうでみすぼらしくても、自分がその状態が幸せだと思っていれば「幸せ」。
家が無くて、ひとからホームレスといわれようが言われまいが、あーでもないこーでもないという上司や
とやかく言う煩い妻がいなくて清々していて俺は自由で幸せだと思えれば、それが「幸せ」。
つまり、自分自身がどのように、自分の置かれている環境を捉えているかということが重要だということです。
話しは飛びますが、キッチンリーダーだったころ宗教に勧誘する人がいました。もれなく私も勧誘されたのですが、その人いわく、その宗教に入信しないと不幸になるって言うわけですよ。
なんでも、その宗教に入信しない日本人は滅ぶんだそうです。
その時点でカチンときて、「幸せ」の定義から話しをしてやって、そもそも赤の他人がとやかく言うことではないし、大体、人の幸せを祈ったり、道徳的・倫理的に人を人として正しい方向に導いていこうというのが宗教の宗教たらしめている所以なのに、なんで人が不安になり何かに陥れるような活動するんだ。
すげー矛盾しているわけですよ。
その人が幸せになるように、一緒に信仰しようと誘っている行為自体が、不安を先導したり、脅かしたり、そしてお金を巻き上げたり。
やっていることおかしくないですか?っていうんだよ!
そういうあんたが幸せそうに見えないから、誰も一緒に信仰しないんじゃないの?
っていうことを言ってしまいました。
その時は、向こうのちょっとお偉いさんらしき人も居たんだけど、「あなたは何を信仰しているの」なんて聞くから、「宗教的なことは一切やっておりません。強いて言えば、私は自分自身を信じてます。」って。そうしたら向こうのお偉いさんが「あなたは、教祖ですね。」だって。
私は、人が何を信仰しようが関係ないのですが、人様にご迷惑がかかるような生き方をしなければ言いと思っているのです。
自分自身が信じられればそれでいいのです。
社会不安や政治的不安定な時代なので新興宗教にはまってしまうのは分かりますが、人にその価値観を押し付けるのは「オウム」と同じですよね。
価値観を押し付けるのは、良くないと思います。
押し付けようとするから、おかしなことになっていくんですよね。
こうやって、いろいろ考え始めるときりがないのですが、少しだけお付き合いください。
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