佐藤先生と安教授

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自分の人生に多大なる影響を与えてくれた先生です。
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安教授 10

10.
普段はこういうお話はなさらない方ですので、へーこんな一面あるんだという感じでした。

ゼミなんかでは卒業生にはこう言ってました。

「自分の好きなことを職業として選びなさい。野球が好きな人は野球関係。料理が好きな人は調理関係。

私は勉強がだいすきで一日中本と向き合っていても飽きないので学者になった。

自分の好きなことをしなさい。

マックス・ウェーバーが言っているが、好きなことをやって困難な壁にぶち当たることもあるかもしれない。


しかし、 
それにもかかわらず、

それにもかかわらず

と自分の信念に従って生きていきなさい。

これから世界は日本がスタンダードになる。

日本のある特定の分野で一番なら、それが世界で一番になる。

自分の好きなことを職業に選びなさい。

それが一番しあわせなことだよ。」


今、私は自分の好きなことしかしていません。


大学にいってよかった。

安教授に出会ってよかった。

大学で「人生の経営」ということを学べてよかった。

大学に行って、師匠と呼べる人に出会って本当によかった。


最後まで読んでくださってありがとうございます。

安教授 9

9. こうしている中にまた15年が過ぎた。

永島教授は、給料がよいといううわさが流れるや、創価大学の創立にかかわり、家を三軒を持ち、宇佐美に別荘を持つほど金持ちになり、まさに元金・言葉のとうりの元金の利子で食える40歳代の最後に過労で急逝した。


後残されたものは、不動産だけで学問的業績はゼロであった。

そして6年たった今日では、彼を記憶するものはいない。

それに反して、秋永教授は不動産は何も残さなかったが、日本政治学会理事長としての名誉や、『現代政治学』などの著作のほかに、20数人の弟子を残された。

どちらの先生の行き方が正しかったのだろうか。


私は、永島教授の『人生経営論』はすべての職業に通用する名言だと思う。

しかし、彼はその名言を自分の職業に適応するとき解釈を間違えてのではなかろうか。


なぜなら学者なら体で稼ぐのは金ではなく学問をする業として、語学や方法論や、それぞれの科学の先人の遺産を習得することではなかったか。


そしてそれが40代前半に出来ていれば、その学問の「元金」でその後、時代の課題に50年先の視点から寄与するなら社会に役立つがゆえに、当然社会もそれに酬いるがゆえに飯を食っていけることになるのではなかろうか。

私に大きな影響をあたえた2人の先生は今はこの地上にはいない。

永島先生の言葉は、人間は足を地に付けて生きようという戒めであり、秋永先生の言葉は、人間は人間であろうとしたらそれぞれの職場で使命を果たさなくてはならない、つまり社会を構成する一人としてそれぞれの持ち場で「職人」たることを要求しているものであった。

私は、この「二つの律法のはざま」で、いつもその緊張の中で悩み、ひたすら、秋永先生の言葉により強く引っ張られている自分を見て、これでよいのだと諦感している。

(1985年3月9日夜10時 記)

<引用終わり>

安教授 8

秋永先生の言葉どうり、学問に励んだ甲斐あって、戦後日本政治学会の宿願といわれていたヘルマン・ヘラーの『国家学』邦訳を成就し、未来社から出版するなど学会においてわたしの学問に関心を持ってくれる人もあらわれ、少しづつ学問で召しを食える体制も整えられていった。


そんな折、あるひとを介して流通経済大学でドイツ語を教えていた永島栄一教授にあい、人生における「二つの律法のはざま」をウェーバーが、やっと同様に別の観点から眺める新しい観点を教えられた。

永島教授は私の年と、経歴を聞いて呆れた顔をしてこう絶句した。

「あなたは人生の音痴だね!」と。

同氏はその理由としてこう説明した。

人間の一生も企業と同じように、経営しなくてはならない。

人生70年の間、体力で稼げるのは40代の初期まででありる。


そのときまで体で稼いで元金をつくり、その後はその元金の利子で食べていくように人生を設計しなくてはならないのだよ。


なぜなら、50歳過ぎてからだで稼ぐにはしんどいばかりでなく第一、みじめだよ、そうおもいませんか?君は35.6歳になっても、人生経営論からみたら、率直に言って落伍者としかいえないね。

しかし、あと5.6年で体力で稼ぐことが出来るからまーがんばりなさいよ。

もしそうしないなら、あなたは、のたれじにするよ。」と訓戒された。


かれは、自己の信念に従って、体力がある限り金を稼いで50歳以降、それまで稼いだ元金の利子で悠々左団扇で暮らすんだといって、一切学問はせず、得意のドイツ語を生かして翻訳のバイトをして、大学教授の給料の3倍副収入を得ていた。


私は秋永先生と正反対の立場にある大学教授をみて愕然とした。

確かに、世間の常識からすると永島教授の言うことは正しいしし極めて現実的であった。


しかし、彼がサラリーマンであったなら正しかったであろう。


ところが、卑しくも語学教授とはいえ大学教授として学問に携わるものとしての生き方としては、やはり強い抵抗を感じぜざるを得なかった。

安教授 7

そのように職人としての技を教えられる反面、「学者の使命は、先人の学問の遺産をまず受け継ぎ、それを土台に自分が生きている時代の課題に対して50年先の観点から解決の方針を理論的に提示することである。」と学者たるものの魂は何たるかを叩き込まれた。

秋永先生の言葉は、「職位業としての学問」を選んだ私にとって神の言葉、「福音の律法」に等しいものであった。

この秋永先生の言葉を忠実に守ったかいあって、先生から独立して少し学問の真似事がすることが出来るようになったと思えたときにはすでに、36歳を過ぎていた。

学生時代の友人の中で、出世の早いものは、役所や超一流会社の課長になっているものもおり、立派な住宅を構えてバリバリ会社の中堅として活躍していた。

それにひきかえ、学問一筋に生きてきた私は、ハットきずいた時には、木造アパートの一間で就職の当てもなく本に埋もれていた。

世間の常識からすると完全に人生の落伍者となっていた。

それで、私は秋永先生に就職のことをお願いすると「私は君をどこかの大学教授に就職させるために学問を指導したのではない。

しかし、日本の学界は腐ってはいないと思う。

ほんものの学問の身に着けてよい仕事をしておれば、いつの日か学会の誰かが引っ張ってくれるであろう。

したがって就職のことなどをくよくよ考えないで学問によりいっそう励み、よい仕事をしなさい。」と、世間の常識の立場からする私の願を、学者の本分立場から批判され一言もなかった。

先生の言葉は、学問さえまじめにやってさえ入ればいつの日か神の「見えざる手」によって学問で飯が食えるようになるだろうというのに等しかった。

つまり、好きな学問をしているのだから、霞を食って生きる覚悟でいなくてはならないという風にも取れた。

まだ、学問の情熱に燃えていた。

二十代末までは、この先生の言葉を忠実に守って学問一筋に励んだが、しかし人生の折り返し点にたつ36歳を過ぎて、子どもまで持つ身としては、学者の本文である律法の外に、夫として、この父としての別の律法にも従わない限り社会人としては失格の烙印を押されるのは必至であった。

そこで、学問を放棄して位置から出直して、一般会社に就職しようかと何度の考えた。

しかし、学問は麻薬と同じもので、一度その味を知ったものはそこからよほどの決意がなければ抜けきれるものではない。


もしかすると、このまま人生の落伍者として墓場に直行するのではないかという不安に駆られ、世間の常識の声に従おうと何度も努めたが、ついに学問を捨てることは出来なかった。

安教授 7

そのように職人としての技を教えられる反面、「学者の使命は、先人の学問の遺産をまず受け継ぎ、それを土台に自分が生きている時代の課題に対して50年先の観点から解決の方針を理論的に提示することである。」と学者たるものの魂は何たるかを叩き込まれた。

秋永先生の言葉は、「職位業としての学問」を選んだ私にとって神の言葉、「福音の律法」に等しいものであった。

この秋永先生の言葉を忠実に守ったかいあって、先生から独立して少し学問の真似事がすることが出来るようになったと思えたときにはすでに、36歳を過ぎていた。

学生時代の友人の中で、出世の早いものは、役所や超一流会社の課長になっているものもおり、立派な住宅を構えてバリバリ会社の中堅として活躍していた。

それにひきかえ、学問一筋に生きてきた私は、ハットきずいた時には、木造アパートの一間で就職の当てもなく本に埋もれていた。

世間の常識からすると完全に人生の落伍者となっていた。

それで、私は秋永先生に就職のことをお願いすると「私は君をどこかの大学教授に就職させるために学問を指導したのではない。

しかし、日本の学界は腐ってはいないと思う。

ほんものの学問の身に着けてよい仕事をしておれば、いつの日か学会の誰かが引っ張ってくれるであろう。

したがって就職のことなどをくよくよ考えないで学問によりいっそう励み、よい仕事をしなさい。」と、世間の常識の立場からする私の願を、学者の本分立場から批判され一言もなかった。

先生の言葉は、学問さえまじめにやってさえ入ればいつの日か神の「見えざる手」によって学問で飯が食えるようになるだろうというのに等しかった。

つまり、好きな学問をしているのだから、霞を食って生きる覚悟でいなくてはならないという風にも取れた。

まだ、学問の情熱に燃えていた。

二十代末までは、この先生の言葉を忠実に守って学問一筋に励んだが、しかし人生の折り返し点にたつ36歳を過ぎて、子どもまで持つ身としては、学者の本文である律法の外に、夫として、この父としての別の律法にも従わない限り社会人としては失格の烙印を押されるのは必至であった。

そこで、学問を放棄して位置から出直して、一般会社に就職しようかと何度の考えた。

しかし、学問は麻薬と同じもので、一度その味を知ったものはそこからよほどの決意がなければ抜けきれるものではない。


もしかすると、このまま人生の落伍者として墓場に直行するのではないかという不安に駆られ、世間の常識の声に従おうと何度も努めたが、ついに学問を捨てることは出来なかった。

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