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「ニッポン城めぐり」第4弾 国立映画アーカイブで『姿三四郎』(東宝1977:岡本喜八)を見る前に、 北町奉行所 を、攻略。 東京駅八重洲北口の隣、トラストタワーと鉄鋼ビルの間の通路にあり。 北町奉行所と南町奉行所(有楽町)が1ヶ月交代で、訴状の受付を担当していたとのこと。 奉行は旗本の中から任命され、手当は3000石。 東京都教育委員会・東京都文化財めぐりのウェブサイトより 北町奉行所は文化3年(1806)から幕末まで、呉服橋御門内にありました。現在の呉服橋交差点の南西、東京駅日本橋口周辺に当たります。発掘された敷地北東部の溝から角を削り面取りした石が出土し、屋敷の鬼門・艮(北東)の方角を護る呪術的な意味があるといわれています。丸の内トラストシティの東側歩道に、復元された石組みの溝と解説板が設置されています。 遠山左衛門尉景元は幕末の北町奉行ですが、天保の改革に反対して僅か3年で罷免されます。その際、町人の生活や娯楽を守ったため、「金さん」の芝居が盛んに上演され人気を博しました。後に南町奉行に返り咲き7年務めますが、南北両方の町奉行を務めるのは異例のことでした。 ということです。 |
旅行
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「ニッポン城めぐり」第3弾 国立映画アーカイブで『野菊の墓』(東映1981:澤井信一郎)を見たあと、 帝劇地下「丸亀製麺」にて、釜揚げうどんを食べる。 毎月1日は半額の140円なり。 その後、 日比谷見附 を、攻略。 日比谷公園の入り口、入ってすぐのところ。 案内板には この石垣は、江戸城外郭城門の一つ、日比谷御門の一部です。 城の外側から順に、高麗門(こまもん)・枡形(ますがた)・渡櫓(わたりやぐら)・番所が石垣でかこまれていましたが、石垣の一部だけが、ここに残っています。 当時、石垣の西側は濠(ほり)となっていましたが、公園造成時の面影を偲び、心字池(しんじいけ)としました。 と書いてあります。 江戸城36見附のひとつ、ということで、 後の35見附もそのうち、探索してみよう。 |
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「ニッポン城めぐり」第2弾 近所の 越中島砲台跡地 です。 国立東京海洋大学の敷地内にあったとのこと。 遺構もなし、 案内板もなし、 清澄通りの向かい側、越中島公園には案内板があったと記憶していたが、 後日確認してみます。 |
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「ニッポン城めぐり」というアプリを手に入れて、 少しづつ「城跡攻略」始めました。 原則として、初めてのところは、 その場所に行ってから攻略する予定です。 昨日は、「目黒氏館」を攻略しました。 跡地は何もなく、中目黒1丁目の目黒学院中学校・高等学校(以前の私立目黒高等学校、1998年から現在の名称となり、2011年から男女共学)らしいというこです。 裏山がちょっとした林になっていて、昔の武士が住んだ屋敷跡のおもかげがありそう。 武蔵七党(平安時代後期から鎌倉時代・室町時代にかけて、武蔵国を中心として下野、上野、相模といった近隣諸国にまで勢力を伸ばしていた同族的武士団)の一つ、横山党の一族に目黒氏がいたとのこと。 目黒氏は鎌倉幕府の御家人で、桓武平氏の流れを汲む江戸氏に圧迫され、奥州へ流れていった、という説もあり、詳細はまだ解明されていないようです。 中目黒駅の近く、山手通りから目黒方面へ向かって駒沢通りを渡って左折、そして右の小道を入ると、目黒学院あり。学校の隣近所はすべて民家で、校門から見上げた林にはたどり着けず。ぐるっと回って、 中目黒1丁目1番地の住所表示の元個人宅の空き地をパチリ。 今回はこれでよしとしよう。 実際の行程は、目黒シネマの1回目に間に合わず、次の『幻魔大戦』までの待ち時間で山手通りを中目黒をめざした次第。帰りは目黒川沿いの遊歩道を通ったら、行きの半分ぐらいの時間で戻れた。 |
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円覚寺舎利殿 源実朝が宋の能仁寺から請来した仏牙舎利を奉安する堂宇で鎌倉時代に中国から伝えられた「唐(から)様式」を代表しています。 その最も美しい建造物として国宝に指定されています。
残念ながら、遥か遠くから眺めるだけでした。
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