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なぜ広島に原爆が投下されたのか■
▽マンハッタン計画▽
●原子力の発見と第二次世界大戦
 1938(昭和13)年12月、ドイツで原子の核分裂が発見され、その後、核分裂の際に大量のエネルギーを放出することが確認されました。原子力の発見です。翌年9月に始まった第二次世界大戦は各国とも国を挙げた総力戦となり、科学の進歩とともに兵器の開発も目覚ましく、航空機などの性能は飛躍的に向上しました。こうした中、原子力は爆弾に利用されました。

●新型爆弾の開発に着手
 ナチス・ドイツの迫害から逃れるためアメリカに亡命したユダヤ系科学者のレオ・シラードらは、ドイツが核分裂を利用して新型爆弾を開発しているのではないかと恐れました。このため、著名な科学者であるアルバート・アインシュタインの署名をもらい、アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領に新型爆弾の研究を促す手紙を送りました。ルーズベルトはこれを認め、1939(昭和14)年10月、アメリカは原爆の研究に乗り出しました。

●太平洋戦争のぼっ発
 1941(昭和16)年12月、日本軍はマレー半島へ上陸するとともに、ハワイの真珠湾にあるアメリカ軍基地を奇襲攻撃して、太平洋戦争が始まりました。日本は開戦後しばらくの間優勢でしたが、翌年6月から次第に劣勢となりました。

●マンハッタン計画
 1942(昭和17)年8月、「マンハッタン計画」と名付けられたアメリカを中心とする極秘の原爆製造計画が始まりました。軍と科学者と産業界を総動員して進められた巨大軍事開発事業でした。44年9月にはこの新兵器を日本に対して使用することを決めました。
 3年の歳月と20億ドルの経費をかけて原爆は完成し、45年7月16日、西部ニューメキシコ州の砂漠地帯にあるアラモゴード実験場で、世界最初の原爆実験を成功させました。人類は、原子力を用いた武器を手にしたのです。広島に原爆が投下される、ほんの3週間前の出来事でした。45年5月までに、ドイツは無条件降伏し、戦況は連合軍の圧倒的な勝利に傾いていました。

 
▽急がれた原爆投下▽
  1943(昭和18)年5月、アメリカが原爆投下の対象に想定していたのはドイツではなく日本でした。翌年9月、アメリカとイギリスの首脳は日本への原爆使用を合意しました。米国が原爆投下を急いだ理由は、次の3点にあると思われます。
 ・日本をできる限り早く降伏させ、米軍の犠牲を少なくしたかった
 ・1945(昭和20)年の米、英、ソ連の首脳によるヤルタ会談で、ソ連はドイツの降伏から3カ月以内に日本に参戦することを極秘に決めていた。米国はソ連の対日参戦より前  に原爆を日本に投下し、大戦後世界でソ連より優位に立ちたいと考えていた
 ・アメリカは原爆という新兵器を実戦で使い、その威力を知りたかったと同時に、膨大な費用を使った原爆開発を国内向けに正当化したかった


▽広島が原爆投下目標に選ばれた理由▽
  1945(昭和20)年春から、アメリカは投下目標都市の検討を始めました。投下目標は、原爆の効果を正確に測定できるよう、直径3マイル(約4.8km)以上の市街地を持つ都市の中から選び、空襲を禁止しました。7月25日には目標都市の広島、小倉、新潟、長崎のいずれかに対する投下命令を下しました。広島を第1目標とする命令を出したのは、8月2日。それは目標都市の中で唯一、連合国軍の捕虜収容所がないと思っていたためです。

 また、終戦までに日本の主要都市は米軍の空襲でほとんど壊滅状態でした。そのなかで、広島はまだ決定的な被害を受けていませんでした。広島が原爆投下の目標に選ばれた理由には、次の2点も考えられます。
 ・都市の大きさや山に囲まれた地形が、原爆の破壊力を探るのに適していたため。広島はまだ空襲を受けておらず、原爆の威力を確認しやすかった
 ・広島には軍隊、軍事施設、軍需工場が集中しており、それらがまだ破壊されずに残っていた。8月6日、広島の天気は晴れ。広島の運命は決まりました。

①入念に行われた投下目標の検討
 投下目標は、軍人と科学者で構成する目標検討委員会で、軍事的観点から検討されました。1945(昭和20)年4月27日の第1回会議で目標地域の選定基準が決まり、17地域が研究対象として選ばれました。その後、投下目標の選定は、爆風で効果的に損害を与えることができるなどの条件で進められました。5月11日の第2回会議で、京都、広島、横浜、小倉の4つの目標が選ばれました。

②投下目標都市への空襲の禁止
 アメリカ軍による日本本土への本格的な空襲は、1944(昭和19)年11月から始まりました。翌年3月からは、東京など大都市への無差別爆撃が始まりました。5月28日には、原爆の効果を正確に測定できるよう、同規模の都市が空襲を受ける中、投下目標都市に対する空襲が禁止されました。

③警告無しの使用の決定
 アメリカのトルーマン大統領の承認の下、19455(昭和20)年5月に暫定委員会が設置されました。6月の会議で、原爆の使用について、「労働者の住宅に囲まれた軍需工場に、事前の警告無し」で行われるべきだと決められました。これに対し開発に携わった科学者の一部は、無警告の原爆投下に反対しました。

④原爆の模擬爆弾の投下
 原爆はそれまでの爆弾と投下方法が異なるため、アメリカ国内の砂漠などで、繰り返し投下訓練が行われました。さらに実戦面の訓練として、地理に慣れ、目標へ確実に投下するため、1945(昭和20)年7月から8月にかけて目標都市の周辺地域に原爆の模擬爆弾(通称「パンプキン」)を投下しました。

⑤第1目標に選ばれた広島
 原爆の投下命令は、1945(昭和20)年7月25日付で発令されました。それには、8月3日ごろ以降、広島、小倉、新潟、長崎のいずれかに原爆を投下するよう記されていました。その後、新潟を除外し、8月2日付で、攻撃日を8月6日、第1目標は「広島市街地工業地域」とする命令が出されました。これは、目標都市の中で唯一、広島に連合国軍の捕虜収容所がないと思われていたからです。

⑥広島の運命を決定した好天
 原爆投下は、当時最も信頼された目視で行うこととされていました。1945(昭和20)年8月6日未明、マリアナ諸島のテニアン島から気象観測機が広島、小倉、長崎に向かい、その後原爆を搭載した「エノラ・ゲイ」と科学観測機、写真撮影機の計3機のB29が離陸しました。第1目標が好天との連絡を受けた「エノラ・ゲイ」は、広島に向かいました。照準点は市内中心部にあるT字型の相生橋。午前8時15分に投下された原爆は、相生橋の南東約300メートルにある島病院の上空約600メートルでさく裂しました。


▽原爆投下目標にされた都市▽
<投下目標の変遷(1945(昭和20)年)>
4月27日 投下目標の研究対象として、東京湾、川崎、横浜、名古屋、大阪、神戸、京都、広島、呉、八幡、小倉、下関、山口、熊本、福岡、長崎、佐世保の17地域を選定
5月11日 京都、広島、横浜、小倉を選定
5月28日 京都、広島、新潟に対し空襲を禁止
6月14日 小倉、広島、新潟を選定
7月25日 8月3日ごろ以降、速やかに広島、小倉、新潟、長崎のいずれかへ原爆を投下する命令
8月 2日 8月6日に投下する命令。優先順位は広島、小倉、長崎
8月 6日 広島へ原爆投下(ウラン爆弾)
8月 8日 8月9日に投下する命令。優先順位は小倉、長崎
8月 9日 長崎へ原爆投下(プルトニウム


イメージ


「すでに破壊された地域は除外されるべきである」との条件がついている。初めて使用する原爆の破壊力を確認するには空襲の被害を受けていない都市が望ましいとされたからだ。

転載元転載元: しあわせの青い鳥

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