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故・吉田茂元首相が残した訓辞を紹介したいと思います。
吉田茂首相(当時)は昭和32年(1957年)2月に行われた防衛大学第1回卒業式において次のような言葉を卒業生達に贈りました。
「君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、歓迎されることなく自衛隊勤務を終わるかもしれない。きっと非難とか叱咤ばかりの一生かもしれない。
御苦労だと思う。しかし、自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、 国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。
言葉を換えれば、君達が日陰者である時のほうが、国民や日本は幸せなのだ。 どうか、耐えてもらいたい」 私が自衛隊に入隊した昭和57年(1982年)当時は、自衛官の地位は低く
成人式に制服で出席しようとしたときは、成人式会場の入り口で入場を阻止されました。阻止した人たちは共産党員でした。
人に職業を聞かれたときはただ、「公務員」と答えるのが無難な時代だったのです。
幸いなことに、外国からの大規模な侵略もなく(領土問題は存在したままですが)
自衛隊の昼夜を問わない訓練によるプレゼンスと日米安全保障条約の下、平和を享受してきた戦後の日本。
奇しくも大震災と大津波により、自衛隊始まって以来の災害派遣行動が必要になろうとは・・・
政府の稚拙な対応とは裏腹に、自衛隊の行動は粛々と行われています。
まず、指揮系統(Chain of Command)です。
自衛隊初の統合任務部隊(Joint Task Force) が編成されました。
これは、被災地を管轄する東北方面隊(仙台)の東北方面総監を指揮官とする部隊を編成し、陸上自衛隊の方面総監(陸将)が派遣された陸上自衛隊・海上自衛隊・航空自衛隊を統合運用する指揮系統です。
派遣された自衛官は全国から10万6千人あまり。それぞれの部隊がそれぞれの指揮で行動しては効率的な行動は取れません。
一人の指揮官に作戦遂行をまかせる、指揮の一元化は有事において必要不可欠な要素なのです。報道で目にするヘリコプターの映像で画面右上に「JTF東北」とあるのは、Joint Task Force 東北の略です。
先日、活動人員の削減が発表されました。特に、航空自衛隊や海上自衛隊は訓練だけではなく、領空侵犯や海上における監視任務等、実戦に従事している部隊も少なくありません。陸上自衛隊は、初動における遺体収容や行方不明者の捜索からがれきの除去、ライフラインが復旧するまでの給水支援・給食支援・入浴支援、民生支援等、今後も部隊を交代させながら長期に渡る活動を続けることになるでしょう。
現場で活動している隊員達に上司はこう言うそうです。
「我々は被災地の人たちに感謝されている。しかし、感謝されても驕るなよ。我々が感謝される状況というのは、国民が不幸なときだけなのだから・・・」
50数年の時を超えて吉田茂元首相の言葉がよみがります。
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陸上自衛隊
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7月4日(日)鹿追駐屯地創立53周年記念行事が開催されました。
オヤジの最終勤務地です。
飲食店組合員として招待状が届いたので行ってきました。
駐屯地司令、業務隊長や戦車隊副隊長をはじめ、各科長、中隊長、運用訓練幹部
は店のお客さんでもあります。
久しぶりに駐屯地の門をくぐり懐かしい面々と対面です。
戦車の前方に整列。式典の模様。
観閲行進。先頭は第5戦車隊旗を捧持した観閲部隊指揮官の戦車隊副隊長
副隊長は、オヤジのカラオケ仲間。一緒にふきのとう、NSP、浜田省吾などを歌っ
てます。
偵察小隊の偵察警戒車
施設小隊の施設作業車。
戦車回収車。
偵察小隊のオートバイ。
地雷原処理車。
戦車橋。
第1戦車中隊の90式戦車
第2戦車中隊の90式戦車
第3戦車中隊の90式戦車
第7師団(東千歳)や富士学校(静岡)の観閲式に比べたらとても小さな規模で
行進参加車両数は少ないけど、こんな間近で見学できるのは鹿追くらいでしょう。
町民以外の一般客には、でかい一眼デジカメを持ったミリタリーマニアもかなりいま
す。
行進が終了した頃にデジカメの電池が・・・充電してくるの忘れた。
その後の模擬演習(訓練展示)の模様は、エツコママの携帯電話を借りて撮影しま
した。ヘリコプターが観客の頭上すれすれを飛行していきます。
これも鹿追ならではでしょうね。とても迫力ある模擬戦闘でした。
その模様は後日アップしたいと思います。
記念式典終了後は、体育館で行われた懇親会に参加しました。
車で行ったし、夜は仕事なのでノンアルコールで。
年に一度の駐屯地一般公開。地域住民との交流を通じて自衛隊に対する理解を深
めていただき、普段どんな訓練をしているのかを直接確かめていただく絶好の場で
す。鹿追町は人口5700人の小さな町。隊員とその家族が人口の約1割を占めてい
ます。
第5戦車隊の警備地区は鹿追町・清水町・新得町・士幌町・上士幌町の5町。
地域の防災を始め祭りやイベントへの協力など、なくてはならない存在となっ
ています。自衛隊勤務時代は全国の駐屯地で勤務しましたが、これだけ密接かつ
親密な関係を築いている自治体は珍しいと思います。
これからも地域と共に歩む駐屯地として存在してくれることを切に願います。
駐屯地の正門前にある大木には「我らここに励みて国安らかなり」と刻まれていま
す。
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戦艦三笠の記事をアップしましたが 実物の写真ではなかったので ここにアップさせていただきます。 今年は明治時代がブームになる予感が・・・・ 以下は、戦艦三笠保存会の説明文です。 三笠は、明治35年(1902年)にイギリスで建造された戦艦であり 日露戦争においては東郷平八郎司令長官が乗艦する連合艦隊の旗艦として大活躍しました。 特に、明治38年の日本海海戦では、ヨーロッパのバルト海から派遣された ロシアのバルチック艦隊を対馬沖で待ち構え 集中砲火を浴びながら勇敢に戦い 海戦史上例を見ない圧倒的な勝利に大きく貢献しました。 日露戦争は、帝政ロシアの極東進出により、存亡の危機に立たされた日本が イギリスやアメリカの支持を受け、国民一人一人が力を合せて戦い抜いた防衛戦争であり この戦いに勝ったことにより、日本は独立と安全を維持し、国際的な地位を高め また、世界の抑圧された諸国に自立の希望を与えました。 大正12年、1923年に現役を退き、大正15年に現在の地に記念艦として保存され 国民に親しまれていましたが、太平洋戦争後、占領軍の命令により 大砲、マスト、艦橋などが撤去され、見る影もなく荒れ果てました。 その後、「三笠」を元の姿に戻そうとの声が内外で高まり 多くの人々からの募金、政府の予算、アメリカ海軍の支援により 昭和36年(1961年)に現在の姿に復元されました。
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自衛隊ネタではないのですが |

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自衛隊の生の姿を取材し、報道する番組は過去にもあったがシリーズ化されることは |

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