|
紀温泉(きのゆ)に幸(いでま)せる時、額田王の作る歌(万1−9)
三諸(みもろ)の山見つつゆけ我が背子がい立たせりけむ厳橿(いつかし)が本
【通釈】今しばらく、懐かしい三輪の山を眺めつつお行きなさい。
いとしいあの人がお立ちになっていた、あの山の麓の、神聖な樫の木のもとを。
【語釈】◇紀温泉 今の和歌山県白浜の湯崎温泉であろうという。
斉明天皇は斉明四年(658)十月から翌年一月にかけて行幸した。
◇三諸の山 奈良県桜井市の三輪山。神体山で、祭神を大物主神とする大神(おおみわ)神社がある。
◇我が背子 兄弟、または夫や恋人など、親密な男性を呼ぶ時に用いられる語。
◇い立たせりけむ お立ちになったであろう。「い立たしけむ」と訓む説もある。
◇厳樫が本 神々しく厳(いか)めしい樫の木の根もと。
【補記】この歌の上二句は定訓がない。
原文は「莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣」。上の訓みは『萬葉集古義』によった。
額田王、近江の国に下る時に作る歌(万1−17)
味酒(うまさけ) 三輪の山 あをによし 奈良の山の
山の際(ま)に い隠るまで 道の隈(くま) い積もるまでに
つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見放(さ)けむ山を
心なく 雲の 隠さふべしや
反歌
三輪山をしかも隠すか雲だにも心あらなも隠さふべしや(万1-18)
【通釈】[長歌]三輪の山は、いつまでも眺めていたい。
奈良坂の、山の間に隠れるまでも、道の曲り目が幾重にも重なるまでも、この三輪の山はつくづくとよく見ながら行きたいのに。何度も眺めやりたい山なのに、無情にも、雲が隠すなんて、そんなことがあってよいものだろうか。
[反歌]三輪山を、まあそんなふうに隠すものか。せめて雲だけでも情けがあってほしい。隠すなんてことがあってよいだろうか。
【語釈】◇味酒 三輪にかかる枕詞。神酒をミワと言ったことから。
◇隠さふべしや 何度も繰り返し隠すことがあってよいものか。
「隠さふ」は動詞「隠す」に反復継続の接尾語フがついた語。
「べしや」は「するべきであろうか」。
このヤは雲に対する問いかけであると共に「そんなはずはない」という反語的な気持も
含んでいる。
【補記】天智六年(667)の近江大津宮遷都に際し、古京飛鳥を去るに当たっての作。
左注には『類聚歌林』からの引用として、
「都を近江国に遷す時に、三輪山を御覧(みそなは)す御歌」とあり、天智天皇作とする。
【鑑賞】「強い語調は、古の人の山川自然に對する即身的なまでに絶大な親愛の感情に發する。
古人はみな山河自然に對し、この感情をもつてゐたのである」
(保田與重郎『萬葉集名歌選釋』)。
【主な派生歌】
みわ山をしかもかくすか春霞人にしられぬ花やさくらむ(紀貫之[古今])
春日山峰にも尾にも声はしてしかもかくすか秋の夕霧(澄覚法親王)
三輪山をしかもてらせる月影にかくさふべしや杉たてる門(荷田蒼生子)
そなたぞとみつつしのばん山の端をしかもかくすかあま雲の空(鵜殿余野子)
額田王、近江天皇を思(しの)ひて作る歌(万4−488,8−1606)
君待つと我(あ)が恋ひ居れば我(わ)が宿の簾(すだれ)動かし秋の風吹く
【通釈】あの方が早くおいでにならないかと、恋しくお待ちしていると、
我が家の簾がそよそよと動き――あの方かと思ったけれど、お姿はなく、秋風が吹くばかり。
【語釈】◇簾動かし 「清風、帷廉を動かし」(『玉台新詠』巻二)など、
中国の六朝詩の影響下にあるとの指摘がある。
【補記】万葉集巻四・八いずれも、次いで鏡王女の歌を載せる。
「風をだに恋ふるは羨(とも)し風をだに来むとし待たば何か嘆かむ」。
【主な派生歌】
夕すずみあだねの床のあけ方にすだれうごかし秋はきにけり(殷富門院大輔)
たそかれに物思ひをれば我が宿の荻の葉そよぎ秋風ぞ吹く(*源実朝[玉葉])
軒はあれてすだれうごかし吹く風にねやのおくまで月ぞいざよふ(後崇光院)
天智天皇の大殯(おおあらき)の時の歌(万2−151)
かからむとかねて知りせば大御船(おほみふね)泊(は)てし泊に標結(しめゆ)はましを
【通釈】こんなことになると、以前から知っていましたなら、
陛下が船遊びをなされたあの時、お船が停泊した港に、標縄を張り巡らしておきましたものを。
【語釈】◇大殯 殯(あらき)の尊敬語。埋葬までの間、天皇の遺体を柩におさめて安置しておくこと。
◇標結はましを 標縄を張ることで、大君の魂をそこに留めておけばよかった、ということか。 または、悪霊などの侵入をふせぐことを言うか。
【補記】歌の脚注として作者名「額田王」が記されている。
山科(やましな)の御陵(みはか)より退(まか)り散(あら)くる時に、額田王の作る歌(万2−155)
やすみしし 我ご大君の 畏(かしこ)きや 御陵(みはか)仕(つか)ふる
山科(やましな)の 鏡の山に 夜(よる)はも 夜(よ)のことごと
昼はも 日のことごと 哭(ね)のみを 泣きつつありてや
百敷(ももしき)の 大宮人は 行き別れなむ(万2-155)
【通釈】大君の畏れ多い御陵にお仕え申し上げる、
その御陵のございます山科の鏡山で、夜は夜通し、昼はひねもす、
声をあげて泣いてばかりおります。
こんなふうに泣き続けながら、宮廷にお仕えする人はみな、
散り散りに別れてゆくのでしょうか。
【語釈】◇やすみしし 「我ご大君」に掛かる枕詞。「平らかにお治めになる」の意であろうという。
◇鏡の山 京都府山科区の天智天皇御陵のある山。
【補記】天智天皇臨終の際の歌では倭姫王にすぐれた挽歌がある。
吉野の宮に幸(いでま)せる時、弓削皇子の額田王に贈り与ふる歌一首(万2−112)
古(いにしへ)に恋ふる鳥かも弓絃葉(ゆづるは)の御井(みゐ)の上より鳴き渡りゆく
額田王の和(こた)へ奉る歌一首 倭京より進入(たてまつ)る(万2−112)
古に恋ふらむ鳥は霍公鳥(ほととぎす)けだしや鳴きし我が思へるごと(万2-112)
【通釈】遠い過去を恋い慕って飛ぶという鳥は、ほととぎすですね。
もしかすると、鳴いたかもしれませんね。私がこうして昔を偲んでおりますように。
【語釈】◇吉野の宮に幸せる時 持統天皇の吉野行幸。持統四年(690)から同八年頃。
当時、弓削皇子は二十代、額田王はすでに六十代の老齢であった。
◇倭京 飛鳥京。◇霍公鳥 過去を偲んで悲しげに鳴く鳥と考えられた。
一度帝位を退いたのち復位を望んだ蜀の望帝が、その志を果たせず、
死してほととぎすと化し往時を偲んで昼夜分かたず鳴いた、との中国の故事に由ると言う。
【校異】結句、西本願寺本などは原文「吾戀流碁騰」とあり、
「あがこふるごと」と訓む説もあるが、ここでは金沢本・元暦校本などに従った。
【補記】「古に恋ふる鳥かも」(昔を懐かしがる鳥なのでしょうね)と
暗に額田王を鳥に喩えて詠んだ弓削皇子の歌に対し、
中国の故事を踏まえて婉曲に「その通りです」と答えた歌。
【主な派生歌】
古に恋ふらむ鳥の声待ちて花橘は花咲きにけり(加納諸平)
吉野より蘿(こけ)生(む)せる松が枝(え)を折取(を)りて遣(おく)りたまへる時、
額田王の奉入(たてまつ)る歌一首(万2−113)
み吉野の玉松が枝ははしきかも君が御言(みこと)を持ちて通はく(万2-113)
【通釈】[詞書]弓削皇子が吉野から苔のむした松の枝を贈って来た時、献上した歌。
[歌]吉野の美しい松の枝は、なんて慕わしく思えるのでしょう。
あなたのお言葉を持って飛鳥の都まで通って来るとは。
【語釈】◇玉松が枝 この「玉」は、「魂(たま)」と同根で、霊力を持つものであることを示す。
常緑・長寿の樹である松は、生命を守る精霊の憑代(よりしろ)と考えられた。
弓削皇子は額田王の長寿を願って松の枝を贈ったのである。
|