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私としては初めての事だが二日続けて日記の更新だ(´∀`*)
今日たまたまtwitterのタイムラインに、先日アメリカのコネチカット州ニュータウンにあるサンディ・フック小学校で起きた銃乱射事件後のNRA(全米ライフル協会)の対応に対する呟きが流れてきた。
NRAの対応とは、こういった凶悪事件に備えて学校に武装警備員を常駐させるというもので、その費用を援助するといった内容だ。twitterの呟きはそれに批判的なものだったが、私はそれに対して
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私は全米ライフル協会の主張は支持してるんだけどね。「銃が人を殺すのではなく人が人を殺す」「銃を規制すれば権力と悪人だけが銃を持つ」は正しいと思うよ。
と空リプ(誰かに対してではなく、独り言の呟き)をしたのだが、その空リプに反応があって2、3人の人と話をした。そして最後に私の考えを次のようにまとめた。
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1.米国で銃規制が進まないのはNRAの政治力が強いからだが、その背景には独立戦争以来の建国の歴史と文化がある。まず銃を持って立ち上がった一般人からなる民兵によって英国の植民地から独立できた事。そして銃によって身を守り、食料を得、広い大陸を開拓して発展してきた歴史。(続く
2.開拓時代に銃が必要だったのは身を守る為だが、同時にそれは平和をもたらす物との考えも生まれた。互いに相手を撃ち殺す力を持っていれば逆に争いを避けようとする。これが“PEACE MARKER”の由来。これは力の弱い者を暴力的支配(国家支配も含む)から守るという考えにも繋がる。(続く
3.銃を持っていれば、か弱い女性も屈強な男に支配されずに済む。銃は自由と平和と平等をもたらし民主主義を実現させる物だ、というのがNRAの主張であり、多くの米国人がその考えを支持している。それが変わらない限り米国で銃規制が進むことはないだろう。
これに関して、もう少し詳しくまとめてみたい。
米国で銃規制が進まないのはNRAが頑強に抵抗しているからだが、NRAは右翼ではなく思想的には左翼だ。
米国の独立戦争は市民革命でもあって、その思想的源流はフランス革命と同じだ。フランス革命では王制を打倒したが「アメリカ革命」では宗主国であったイギリスの支配を打倒した。ともにその主体となったのは「市民(農民)」であり、アメリカの場合はそれが民兵として組織され、イギリスの支配から自由となった。
これが「合衆国憲法修正第二条」の根拠であり、「自由と民主主義」を建国の理念とするアメリカの考えだ。
合衆国憲法修正第二条
「規律ある民兵は自由な国家の安全にとって必要であり、人民が武器を保有、携帯する権利を侵してはならない」
A well regulated militia being necessary to the security of a free State, the right of the People to keep and bear arms shall not be infringed.
NRAの主張はこの理念に則り、修正第二条を銃規制に反対する根拠としている。すなわちNRAの主張を一言で要約すれば「自由な国家を守る為に我々は銃を手放さない」という事になる。これは権力が自由と民主主義を奪うのなら銃でもってその権力を打倒するという宣言だ。NRAのスローガンの一つである「銃規制すれば権力と悪人だけが銃を持つ」はそれを表している。
映画監督のマイケル・ムーアなどはこのNRAの姿勢を批判し、銃規制の必要性を強く訴えているのだが、銃規制を厳しくして市民から銃を奪えば安全な市民社会が出来るかどうかは単純な問題ではない。日本では銃によらない大量殺人も起きている。凶悪犯から銃を奪っても別の凶器で大量殺人を犯すだろう。銃規制すれば銃による凶悪事件は激減するが、凶悪事件件数自体はそれに比例しないだろう。
更にこの場合困った事には銃規制によって一般市民が「丸腰になる」という問題も生まれる。上記のサンディ・フック小学校での事件にしろ、学校側が丸腰だったから多大の犠牲が出たと見る事もできる。NRAが言う警備員を配置するという考えは、平和な日本の感覚からすればトンデモかもしれないが、アメリカの現実においては合理的な判断でもある。
NRAの「権力と悪人だけが〜」と言うのは銃規制の厳しい日本の現実でもあって、実際に多くの日本の暴力団は銃を隠し持っているか容易に入手できる。確信的犯罪者は銃規制があっても非合法に銃を入手する。米国でこれまでに起きた数々の銃乱射事件でも非合法で入手した銃が使われた例は多い。米国では「銃で強盗を撃退した」「銃で暴漢から身を守った」といった事例が普通の市民社会に多数存在する。単に銃規制で市民から銃を奪うだけでは、市民の防衛力をなくし、逆に市民の安全を低下させる事にもなりかねない。
マイケル・ムーアの主張が間違っているとは思わないが、それが実現される為には銃がなくても市民が安全に暮らせる社会に米国がならなければならない。その場合市民を守る一義的責任は警察が負う事になる。しかしそこにも問題はあって、それは必然的に警察権力の増大を招く。警察による市民社会の管理、すなわち「警察国家」に近づく。
更には、銃規制は銃その物の規制にとどまらず、それに関連した様々な規制をもたらす。銃を製造可能な工作機器類や素材の規制。様々な薬品類や高圧ガスに関する規制。銃器に転用可能な部品類の規制等等だ。これらは全て市民の自由を制限するベクトルとして働く。
これはNRAの主張の裏返しで「銃を棄てて権力に自由を奪われる」という事に繋がる。合衆国憲法修正第二条の、人民の武装権によって自由を守るという理念の放棄になる。建国の理念として自由を掲げている米国の多くの人々はそれを受け入れるだろうか。むしろそれを受け入れないからこそ、米国の銃規制が進展しない現実があるのではないかと考える。
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日記
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