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私がLSの仕事を始めたのは1985年からです。LSのことを知らない人もいると思うけど岐阜県にあったプラモデルメーカーです。Wikipediaに詳しく書かれているので参照してください。
LSの「L」と「S」は創業時の社名「サンライト」が由来で初めはSLでした。もっとも後には「リバティー」と「ソーシャル」だという説明も当時の木村社長はしていました。LSは兄弟で運営していた会社で弟さんが専務でした。
前にもヤフオクで書きましたが、トイガンメーカーは兄弟で始めた会社がなぜか多い。LSの他にマルゼン、東京マルイ、ハドソンもそうです。そしてハドソンの山田ブラザーズは私の知る限り仲は良いですが、他はどこも兄弟仲が良くない。
そのLSは結局兄弟喧嘩で分裂してしまいました。弟さんの専務が独立してMMCというトイガンメーカーを立ち上げた。MMCとは「ミリタリーマニアコレクション」の略です。その名のとおりマニアックな凝った作りで、その拘りが兄弟分裂の引き金にもなったようです。製品の開発方針で社長と専務で意見対立が起きたんでしょう。
私はLSとの関係が深く、実質的にはLSでトイガン設計者としてデビューしたようなものです(その前に東京マルイの仕事もしてましたが)。しかし心情的にはMMCに近く。内心はMMCを応援してました。ただマニアックすぎて最初のM16A2は実用性が低かった。メカ的には精密ですがサバゲに使える耐久性は無かったですね。そのMMC製品が実用性を獲得したのは2作目のL85-A1からです。MMCも岐阜にあって、その社屋にお邪魔したときは丁度そのL85を開発中でした。社屋は近代的なビルではなく古民家のような趣のある木造で、社長室にはL85の原寸大図面が掲げられていました。MMCはL85に社運を賭けてました。
ところがそれに真っ向から対立してきたのがLSでした。MMCがL85 を開発中なのは公開されてましたが、LSもL85を作ると言い出した。結局タッチの差で1990年にLSの方が先にL85を発売しました。最初はコッキングガンでした。そしてMMCがL85のフルオートガスガンを出すとLSも直ぐにガスフルオートのL85を出すという、ガチンコの兄弟喧嘩になりました。このことで両社はたがいに潰し合う形になって、ともに消えてしまいました。LSは1980年代後半から爆発的に流行り出したエアガンでかなりのシェアを持っていましたから他のメーカーが漁夫の利を得た形になりました。一番ほくそ笑んだのは東京マルイだったでしょうね。
その東京マルイの岩沢辰男元専務さんも岩沢社長の弟さんで、当時はLSを見て「兄弟喧嘩なんかしてるから潰れるんだよ」てなことを言っていたんですが、その専務さんも兄弟喧嘩で東京マルイを飛び出してしまいましたね。今のマルイの専務さんは元専務のご子息で、現社長は元社長のご子息です。元社長は会長になってます。元専務さんがマルイを辞めたんで私とマルイとの関係もなくなりました。
東京マルイの製品は全てこの元専務さんが作ってきたようなものなので、マルイにとっては痛手でしょう。今は過去の遺産で持ってますがこの先どうなるのか。昔からの優秀な生え抜きスタッフが健在なうちは大丈夫でしょうが、それらの人が去った後はどうなるか。すでに少しおかしくなってるような気もします。ちょっと前にマルイのBOYs(10歳以上用のお子様仕様です)用のスコープをアマゾンで買ったんですが、あまりの酷さに驚きました。だからアマゾンのレビューには最低の星一つでぼろくそに書いてやりましたよ。元専務の岩沢さんもそれを見て「こりゃ酷い、今のマルイには監督する人間がいない」てなことを言ってました。
さて話がそれましたが、LSは私のトイガン設計の原点とも言える存在で、色々と思い出深いです。1985年当時はまだ広告代理店に勤めていてグラフィックデザインをやってました。だから昼間は会社でグラフィック。夜は自宅近くの仕事場(知人の廃業したアパートを丸ごと全室無料で借りてました)でインダストリアル、という二重生活でした。まだこの世に存在しない、自分の頭の中だけにしかないイメージを二次元で表現するという点において、グラフィックデザインも機械設計もおなじです。ただその表現の形が少し違うだけ。もっともそれまで設計の経験は無く、中学の「技術・家庭」程度の知識しかなかったので、初期の設計はかなり杜撰でした。図面もいかにも素人が描いたものでした。
LSで設計した最初のM16シリーズの構造図とトンプソンの構造図。トンプソンのドラムマガジンは最初はこんな風でゼンマイの多弾数マガジンではなかったんです。
最初の頃は作図した日付けすらない図面を描いてました。
LSが倒産したのは1992年の冬だったかな。この頃私はホビージャパンの社員になっていてアームズマガジンの編集兼ライターをしてたんですが、LS倒産の報を聞いて会社近くの酒屋でカップ酒を二本買ってきて、自分のデスクで飲みながらLSの冥福を祈りましたよ。しみじみと。会社は無くなってしまったけど、その製品は今でも生きていてヤフオクにもよく出品されます。私もよく出します。ファンやマニアの間ではこれからも生き続けるでしょう。
さて、LSの社名の由来はWkipediaにある通りですが、昔からの「おもちゃ屋さん」では創業者の名前を屋号にしている会社が多いです。東京マルイは丸にイの字の「岩沢商店」で「丸イ」が「マルイ」になった。マルゼンは丸に前の字の「前田商店」で「丸前」から「マルゼン」になった。そのマルゼンも兄弟でやっていたことは上に書きましたが、ここも兄弟仲は良くなくて、弟の専務さんはすでに手を引かれているようです。この専務の前田徹雄さんは「日本遊戯銃協同組合(ASGK)」の理事長も努めた人で、なかなか男気のある人物だと思うのですが、すこし強引なところもあったようで、それが元で組合を二分するような混乱を起こし、結局、副理事長の築地恵さん(アサヒファイアアームズの中心人物)と一緒に引責辞任しました。それにはホビージャパン、アームズマガジン、そしてホビージャパンの創業者だった佐藤光市元社長。そして私自身も深くかかわっています。その話はまた今度しましょう。
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