全体表示

[ リスト ]

 今回はアサヒファイアーアームズ(以下アサヒと略)のM40 A1事件の話です。長い話なので一回では終わらないかもしれない。この騒動が起きたのは1992年。そして実銃と認定され摘発されたのが1994年。四半世紀くらいしか経ってません。真相を暴露するにはまだまだ早いという気もします。しかしこの事件の真の主役だったホビージャパンの佐藤光市元社長は亡くなっており、ヒール役になったアサヒの築地恵氏も既に故人となっている。この事件に直接かかわった人間はもう数人しか残っていないでしょう。その中で事の顛末を全て知っているのは、私ともう一人しかいないと思います。そのもう一人というのは当時のアームズマガジン編集長だったO氏です。しかしO氏はその後ある不祥事でホビージャパンを去り、今は消息不明です。もしかしたらその時の真相を語れるのは私一人だけかもしれない。その私ももう爺です。まだ元気なうちに書き残して置きたいと思います。

 ただ最初にはっきりとさせておきたいのは、アサヒのM40は本当に危険でトイガンの世界には存在してはならない物でした。銃自体は無改造で実弾(実包)が撃てます。.22LR用のアダプターを使うので、それが「銃」だと詭弁を弄する者(アサヒやアサヒ擁護のマニア)もいましたが、こういった物は実銃の世界にはある。.30口径や.44口径のライフルやリボルバーから、.22口径の弾を撃って気軽なプリンキングを楽しむためのコンバージョンキットがある。大口径バレルの中に.22用の細いバレルを挿入して、.22用のアダプターを使う。だから決して特殊なものではないんです。少し銃に詳しいものならそういったアダプターがあることは知っている。

 さて、事の発端は私がアームズマガジンに書いたコラム的記事でした。これはアームズ創刊以来ずっと私がやっていた“AIR SOFT GUN Tuning Guide”という連載のなかで、読者から寄せられた「蓄気式カートリッジ」に対する評論記事でした。その中で私は先に摘発されていたコクサイのM29を例に挙げて、蓄気式の危険性を強調しました。この中にはアサヒM40という言葉は出てきません。しかし「バレル後座式」「日野式拳銃のブローフォアード」と書いたのは明確にアサヒM40を思っての事でした。この事件の渦中でGUNマニアの同人誌“SIGHT”からM40事件はアームズのこの記事が発端と批判されたときには、「M40発売のずっと前に書かれた記事で、一般論として蓄気式の危険性を言っただけ。」とトボケましたが、これはアサヒのM40を標的にしたものでした。だってバレル後座によって高圧エアを開放するメカの蓄気式はアサヒM40しかないんですから。(余談ですがこの後この同人誌の中心メンバーが改造銃を作っていて、銃刀法違反で逮捕されたといオマケもつきます。そんな違法なものを作るなんてろくなマニアじゃない)

イメージ 1
Arms MAGAZIN 1992年1月号97ページ。私が書いたもので暗にアサヒM40の危険性を指摘したものです。

イメージ 2
バレル後座による蓄気式はアサヒのM40しかないし、日野式拳銃のブローフォアードを知ってる者なら直ぐにその危険性が理解できます。

 後に日本テレビに協力してM40の実射実験を行い、組合から除名されそうになった某トイガンメーカのS氏は、裁判所に提出した「意見陳述書」で、このアームズの記事でM40の危険を知ったと記していますが、実はこのS氏も「佐藤元社長と愉快な仲間たち」の一人でした。そう、M40事件は佐藤元社長が中心となって、すべて佐藤元社長の筋書きで運んだ事だったんです。

 でも発端となった私の記事は佐藤元社長の指示で書いたものではなかった。私個人の判断でアサヒM40が危険だと思ったから書いたんです。アサヒM40には実弾(実包)を発射する為に必要な要素が揃っていた。弾丸を発射するための金属製の薬室と銃身。鋼鉄製ボルトの頑強な閉鎖機構、そしてカートリッジを発火させる強力な撃発機構。全て揃ってました。唯一つ無かったのはプライマーを叩く「撃針」。しかしそれはアダプターを使えば簡単にできるアサヒM40は本当に危険なものでした。ですから私個人の判断でその危険を知らせる記事を書いたんです。しかし佐藤元社長はこれによって築地さんのアサヒを攻撃できる格好の材料を手に入れました。

 この時はひとつ前に書いたアームズの「検証シリーズ」が続行中でした。事の始まりから半年経ってました。しかしアームズ側は既に勝利を確信していた。前に書いたようにアームズに協力する組合員は多かった。それらの人たちの力でアームズは全ての情報を手に入れ、常に前田理事長、築地副理事長の先手を打つ事ができた。「この戦いはもう勝ちだ。我々の完勝だ」と思っていた。それで検証シリーズの内容も、それまでの批判からより建設的な「提言」に変わった。この号のタイトルは「ASGKへの提言 組合民主化と自主規約遵守のために」でした。アームズ側としては「もう勝負は付いてるんだから、あとはどういう形で終わらせるか」という段階に移っていた。この騒動でアームズは多くのものを得た。多数のメーカーやショップとの絆が深まりました。ともに前田理事長、築地副理事長の専制と戦った同志になれたんですから。しかし佐藤元社長はそれだけでは納得していなかった。そんなところにアサヒM40が舞い込んできたんです「飛んで火にいる夏の虫」状態で。

 まあ、今回はこれくらいにしましょう。続きはまた。

 【追記
当時を知らない人はどうして理事長がそんな強大な権力を持てたのか不思議に思う人もいるでしょうね。でもその頃は組合発行の証紙がないと製品が売れなかったんです。流通も組合が抑えてましたから証紙のない製品は問屋も扱わない。そしてその証紙の発行権限を理事長が握ってたんです。理事長に逆らったら発行どころかその前提となる検査も妨害される。だから皆、理事長に逆らえなかったんです。
 

閉じる コメント(0)

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

開く トラックバック(0)


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事