日記

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これも『もうダマされないための「科学」講義』(光文社新書)に収録されているます。テーマはタイトルにある通りで、日本版「信頼の危機」を克服する為の科学技術コミュニケーションがどうあるべきかの論考です。これは本書の中では第四章にあたり「付録」を除いて最終章になっています。この書は直截的には、市民を騙す「ニセ科学批判」や「デマ批判」なのですが、その射程には個々の事例を越えて科学そのものの在り方。我々が生きている社会の中で科学がどのような位置と関わりを持ち、その関係の中でどういった役割を果たしていくかと言うテーマがあります。氏の論考はそれを俯瞰的に総括しこれからの展望を提示するものでしょう。

そこで語られているのはこれまでのそれ(社会における科学の位置と関わり)の簡潔なまとめと、現在の“日本版「信頼の危機」”と呼ばれる状況の分析。そして今後克服していかなければならない課題として、従来からの「欠如モデル」ではない、科学側と市民側との双方向の「科学技術コミュニケーション」の重要さが強調されています。

特に重要とされているのは「科学なしでは解けないが、科学だけでは解けない問題群」を扱う“トランスサイエンス・コミュニケーション”です。これは原発の是非などの科学だけでは決められない問題に対して、科学者と市民間のコミュニケーションだけでなく、それ以外の様々な分野の専門家や政治家、産業界、メディア等を包括したコミュニケーションです。3.11以降の科学や政治、行政等に対する市民の信頼が大きく揺らいでいる「信頼の危機」状況では、そのトランスサイエンス・コミュニケーションを築く事が重要視されています。

このトランスサイエンス・コミュニケーションがどのようなシステムと具体的な組織形態で動いていくのか。その理念からして一元的、画一的ではない多元で多様なシステムや組織になるだろうと思われます。ただ、原発の是非の様な国家的問題では、一元化する「センター」は必要でしょう。それを既存の「日本学術会議」のような組織が担うかどうかは、これからの課題だと思います。

それと、全体のシステムがどのような物になるにしても、そこにインターネットの存在は不可欠だと思います。公開性や透明性を担保するだけでなく、広く一般市民(その中に学者や専門家が含まれる場合もあるでしょう)の意識や意見を拾い上げるにも、またトランスサイエンス・コミュニケーションの場で集約された結果を市民にフィードバックさせるにも、ネットは欠かせないと考えます。組織化されてもいないしルールも何もありませんが、twitterなどは既にその原初的機能を果たしつつあるのではないか、とも思われます。少なくとも「双方向コミュニケーション」のツールとしてネットが有用である事は証明していると思います。

漠然とした全体像は国家的問題を検討するセンターと、それとは別のオルタナティブなトランスサイエンス・コミュニケーションの場が、平面的にも重層的にも多種多様にあって、それらをネットで繋ぐと言ったものでしょうか。地域的なローカルな問題は個々の場で解決し、国家的課題は全てのネットワークがその問題意識を共有し、それぞれが市民との相互コミュニケーションを図りながら、そこでの決定をセンターに集約していく。そしてその結果をフィードバックして更に議論を深め、最終的な認識を市民も専門家(政治や行政、財界等)もが共有する。といったものでしょうか。

ちょっとスケールが大きすぎるし漠然ともしすぎているので、私にはそれ以上解りません(笑)。

以下専門家と市民とのコミュニケーションに関して思いついた事を述べて見たいと思います。
(ここからは急に下世話な話になります、私の個人的偏見、科学者に対する誹謗中傷も含まれますので、ご注意ください。)

科学者(専門家)にコミュニケーション能力は必要か

科学者、特に物理系は基本的に「引き籠り」だと思います(勿論偏見ですw)。元々彼らは「オタク」的ではありましたが、現在はそのオタク度が増している気がします。いえ、前から変わっていないけど、3.11以降科学者が矢面に立たされる機会(ネットも含めて)が増したからそう見えるのかもしれません。

菊池誠氏などは半ば自虐的に「科学者のコミュニケーション能力不足」を繰り返しツイートしています。これは科学者になったからコミュニケーション能力が不足したのではなく、元々不足していたから科学の道を選んだともいえる訳です。人と人とのコミュニケーションには感性的な「信頼感」であるとか「共感」が欠かせないのですが、彼らは自分を感性的に表現したり相手を理解したりが苦手だった。つまり「感性的コミュニケーション」が非常に不得手だったのではないかと思います。

それでそう言った対人関係や他者との社会的繋がりを億劫に感じ(あるいはそう言った関係で傷つく事を恐れて)感情を排除できる世界、言ってみれば1+1=2の「非人間的社会」を選んだのではないか? 数式や術語だけの世界ならいくら議論しても感情的に傷つく事はありませんし、感性的コミュニケーションの得手不得手も関係ありません。

以上は私の全くの独断と偏見な訳ですが、もしそうだと仮定すれば科学者の社会性や政治感覚の無さも了解できる気がします。彼らはそう言ったものから無縁になりたくて科学の道を選んだのですから。しかしその場合、トランスサイエンス・コミュニケーションの立場からすると、科学者はそのメンバーとしての適格性に欠ける事になります。実際にそう言ったコミュニケーションの齟齬はtwitter上でも頻繁に見られます。私自身も何度もそんな経験をしています。

では、トランスサイエンス・コミュニケーションの場で、科学者の立場や科学的な事柄を市民側と「対話」する「人材」にはどんな人がふさわしいのか。菊池氏は「文系の人」に丸投げしようとしているようですが(w)。 実際に大学などの教育機関で「科学技術コミュニケーション」を学んでいるのは理系の人がほとんどの様です。しかしその人たちも基本は「引き籠りオタク」な訳ですから、あまり相応しいとは思えません。勿論科学者が一様である訳はなく、「引き籠りオタク」ではない理系の人もいるはずです。そう言う人がコミュニケーション能力を高めて、トランスサイエンス・コミュニケーションを担ってくれればよいのですが人材確保はなかなか難しいだろうと思います。

私は市民の側から一定の科学知識や方法論を身につけた人(文系の専門家でも勿論構いません)と、科学者側から「科学技術コミュニケーション」を学んだ人とが複数でグループを作るのが良いのではないかと思います。元々コミュニケーション能力が高く、その訓練も受けているメディア関係の人も必要でしょう。そこで「科学を市民に伝える役」と「市民の意見、考え等を科学者に伝える役」に役割分担して、そしてそのグループ内で何をどのように伝えるかを討議しながら、コミュニケーションを深めていく。

ちょっと伝言ゲームの趣ですね。その過程で科学的には不正確な事や市民側の意向が科学者側に十分理解されない事も起きるでしょうが、それはコミュニケーションを重ねる事で解決していくしかないと思います。理想的にはそんな「仲介者」なしに直接科学者側と市民側とが対話できればよいのですが、現状ではそれは「夢物語」に近いので、トランスサイエンス・コミュニケーションを具体化し実践していくには、当面そう言った「仲介者」は必要だと感じます。

あと、科学者の感性的鈍感さ(「正しく怖がる」でさんざん経験した)なんかもこきおろしたい気分ですが、それはtwitterで呟いていきましょう(笑)

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初心者です><
iphone4のauとsoftbankは、どっちがいいんですか!?
ttp://ip.au-vs-softbank.com/9y7osye/

2011/10/17(月) 午後 8:32 [ すいません>< ]

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HuQ753A5
カネ貰って
こんなエロイ事できちゃっていいのかよwww
ttp://lR73A8y5.oka.ybll.info/lR73A8y5/

2011/11/24(木) 午前 1:24 [ ちょwww ]


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