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twitter上の一部で話題になっている『もうダマされないための「科学」講義』(光文社新書)を読んでみました。この新書は「菊池誠」「松永和紀」「伊勢田哲治」「平川秀幸」「片瀬久美子」各氏の(関連はあるが)それどれ独立した、5つの論考から構成されています。その中で片瀬氏の「放射能物質をめぐるあやしい情報と不安に付け込むひとたち」は「付録」という位置付けにされています。

最初に片瀬氏の「付録」から読み始めました。「付録」を最初にしたのはそれがtwitter上で批判を受け話題になっていたからです。そこでは主張の是非ではなく、表現の仕方とか著者の姿勢とかが批判対象とされていた印象でしたが、ここではそれに関連しつつ、この「付録」を読んで思った事を述べてみたいと思います。

この部分は新書にありがちな“HOW TO”的色合いの強いもので、様々な「デマ」のパターンや具体例の紹介と分析により、その「デマ」に騙されない為の考え方や姿勢と言った物を提言しています。

一読して違和感を持ったのは、「デマ」の例としていくつかの事例が紹介されているのですが、その中には動植物の奇形や変異があり、現時点では原発事故で漏れ出た放射性物質の影響である可能性が「極めて低い」と推論することはできるでしょうが、それを「デマ」だと決めつけるのは乱暴に思えました。と同時にずいぶんと勇気のある主張にもとれました。ここでの片瀬氏の論理は「他にも同様の事例がみられるから原発とは関係ない」と言うもので、原発事故によるそう言った影響は「無い」と言っているのに等しいように感じます。これは後にそう言った事例(被害)が出ても原発とは無関係だと言う論理的根拠となり、被害者に不利益を与える事も考えられます。決して「全く影響はない」と断定している訳ではありませんが、読者の方がそういう風に受け取りかねない書き方になっているように思えます。(これに関しては最後にもう一度触れます。)

科学に不信感を抱く人々には届かない

もっとも、私が抱いた最大の違和感、疑問はそこではなく、この「感想」のタイトルである「伝えたい人々に届いているか」と言う点です。片瀬氏の目的が「デマ」に騙されて健康被害や金銭的損失を受ける人々を救いたい。またそう言う被害を予防したい。と言う事であるのは疑えません。しかし問題は、この「付録」がその目的を達成できるかであり、ひいては本書そのものがその目的の為にどこまで有益か、という疑問です。収録されている5編の論考は(バラバラではないが)その問題意識もテーマもそれぞれに異なっているので、一括りにするのは難しいのですが、片瀬氏の目的に限って言えば、本当に伝えたい人、救いたい人々には氏の思いは伝わらず、その目的達成は不十分に終わるのではないかと言う疑念です。

氏のスタイルは、科学的思考法や方法論で事実を理解すれば騙されない(騙されにくくなる)という、所謂「欠如モデル」なのですが、「信頼の危機」にある現在、それを受け入れるのは既にそう言った科学性を(潜在的にであれ)身に付けている人か科学的思考法が正しいと信じている人で、その人たちは元々「騙されにくい存在」だと考えられます。一方「騙されやすい存在」があるとすればその人たちは科学的思考や科学そのものに不信感を抱いている人達であり、その人達に対して「欠如モデル」はほとんど無力ではないでしょうか。彼(彼女)らはけして蒙昧でも論理や合理が理解できない訳でもなく、科学的に正しくない事は理解できても、それでは納得できない人達だと思います。

この事は私自身も「Oリングテスト」で経験しました。二重盲検法でテストの非科学性を立証するのは簡単なのですが、納得はしてもらえなかった。科学的に理解はしても科学的思考や方法論だけが正しい訳ではないし、それが全てでもないからです。

その意味ではこの新書の書名自体が、すでにそう言った人たちを「排除」していると思います。この書名は、「あなたたちはダマされている。もうダマされないようにこの本を読んで科学を勉強しなさい」と読めます。これを受け入れられるのは科学を信奉している人だけです。最もダマされやすいであろう科学に不信感を持っている人や科学を嫌いな人は引いてしまいます。「ウエカラ目線で何言ってんだ」と反発する人もいるでしょう。実際の購買層も科学者たちと同じ立場かその同調者がほとんどではないかとすら思えるのです。実際に騙されてほしくない人たちに届くのだろうか。これは「科学なしでは解けないが、科学では解決できない」トランスサイエンス コミュニケーションの領域の話だと思えます。

毒をもって毒を制する事は可能か?

では、そう言った、科学が全てではないと思っている人たちが騙されないようにするには、具体的にどのような事が考えられるもでしょうか。大切なのは「あれもデマ」「これも嘘」と否定ばかりするのではなく、「こうしたらよい」と具体的な方法や行動指針を勧める事だと思います。「○○mSv以下は科学的に安全だから気にしなくて良い」ではなく、少しでも被曝を減らす具体的方策(それが科学的にはほとんど無意味だとしても)を広める事ではないかと思うのです。

「被曝の危険よりそれを心配するストレスの方が悪影響」。と言った、不安を感じている人を責め立てて追いつめるような言動ではなく、こうすれば被曝が軽減できると言った、安全で経済的負担も少ない方法で、少しでも不安を和らげストレスを減らす事が重要ではないでしょうか。そしてそこには「イワシの頭」的な必ずしも科学的ではない物を含んで良いと考えます。

御幣を恐れずに言えば、危険を孕む「デマ」や「ニセ科学」に対し、もっと安全で経済的負担も少ない別の「デマ」や「ニセ科学」を作りだし、それをぶつける事でもあります。無茶な暴論に聞こえるでしょうが、かの武田邦彦先生は意図的にそれをやっていると思えなくもありません。これは科学的正確さを身上とする科学者には不可能なことでしょう。やる事は科学ではなくある種の「芸」と呼べるものだから、芸達者な武田先生の様な人で無いと務まらないだろうと思います(菊池誠氏にはその才がありそうですが)。←これは私の誤解でした(2012.05.16註)

これをトランスサイエンスと呼ぶのは無理すぎるでしょうが、騙されている人、騙されやすい人を助けるのに重要なのは、「デマ」だ「ニセ」だと否定するのではなく、(たとえそれが科学的な言動ではなくとも)、それを「肯定」し支える事だと思えます。

相手がどう思うかがコミュニケーションの基本でしょう

ここで先ほどの「デマ」の件をもう一度考えてみます。念のために言っておきますが、以下は片瀬氏を批判するものではありません。

付録には具体的な「デマ」の例として1から6までの事例があげられています。その中で気になったのは「【デマの例5】耳なしウサギ」です。他の例はそれが「デマ」である事を事実で否定しているか、もしくは「○○と考えられる」と著者の考えを明確に述べているのに対し、このウサギの話だけその結論が無いのです。以下に引用します。

「福島県浪江町で原発事故後に生まれた耳のないウサギがネットで公開され、珍しいので放射線による影響ではないかと話題になった。しかし、福島第一原発事故とは関係なく、耳なしウサギは世界各国で生まれていることが報告されている。」(『もうダマ』付録P224)

ここには「○○と考えられる」といった結論がありません。奇形は様々な要因で起こりますから、他に同じ耳のないウサギがいても、それで福島のウサギが放射線の影響ではないとは言い切れません。勿論、この文章には何の断定もありませんから嘘でも間違いでもありません。しかし問題は、これを読んだほとんどの人が勝手に「このウサギの話もデマなのだ」と思ってしまうだろうと言う事です。

片瀬氏が意図的にこういう書き方をしたとは思いませんが、これは「ダマす側」のテクニックでしょう。これは広告のテクニックでもあります。私が今でも最高傑作だと思っているCMは桃井かおりさんのSONYのCMです。このCMは彼女が「ソニーだからね」と呟くだけです。いいとも悪いとも何も言っていません。しかしこのCMを見たほとんどの人は「ソニーだから素晴らしい」「ソニーは特別」と思ってしまう。広告のプロはそれを計算して作っている訳です。これは「相手の言いたい事を推し量る」という日本文化を前提としているので外国では通用しないでしょうが、「言い間違いは聞き手の粗相」などと言われるように、言葉の論理ではなくそこに込められた「心」を読まなければならない、日本独自のコミュニケーション形態でしょう。

これが非常に効果的なのは、その評価などが外から押しつけられたものではなく、自分が「勝手に」そう思ったからです。つまりその評価は内在化して「信念」となる訳です。しかもこの信念は根拠のないものですから他との比較を許さない「絶対的な物」となります。他社と比較してSONYが良いと判断したのではなく、自分が勝手に自分の意思で根拠もなく信じたのですから。

これはもっぱらダマす側のテクニックとして悪用されるのですが、こういった手法を良い方のコミュニケーションテクニックとして利用する事も可能かもしれません。

話が少しそれましたが、ここで言いたいのはコミュニケーションで重要なのは、その言葉を相手がどのように受け取るかを常に考えなけれないけないと言う事です。科学技術コミュニケーションでは、科学的に正確に言わなければならないのは当然としても、科学的知識も乏しく訓練も受けていない素人がどう受け止めるのか。が重要だと考えます。

こんな事を書いたのもtwitterで科学者と一般人の会話を側聞していて、科学者側の言葉の使い方の「無神経さ」が気になったからです。特に感情面では相手がどう反応するかまるで考えていないような発言も少なくありません。また最近のプルトニュウムが「飛ぶ、飛ばない」の議論でも学者間では了解済みの概念でも素人には全く通じない事も多々あります。

3.11以降科学や科学者の存在は市民にとって非常に重要となっています。そこで科学技術コミュニケーションの重要性もかつてないほど高まっているのですが、現状は円滑なコミュニケーションとは言えない状況です。市民の側が科学を学ぶのは必要ですが、科学者側も一般市民がその言葉や理論をどう受け止めるのかに、注意が必要だと思います。

追記:これを書いた当時は片瀬さんの事は良く知らなかったので、自分としては善意に解釈して好意的に書いたつもりでした。しかし現在では片瀬さんに対して、その姿勢や考え方に疑問を抱いているので、今書きなおすとすれば正面からの批判になると思います。(2011.05.16)

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