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竜騎士07(竜さま)の同人ゲーム『ひぐらしのなく頃に』(以下『ひぐらし』と略します)がコミケ(コミックマーケット)に登場してから、かれこれ10年になります。この間ゲームからドラマCD、アニメ、実写映画、コミック、とメディアミックス的展開をしてきましたが、この「正解率1%」とというキャッチーなコピーをつけられた作品群の、
真の謎についてはいまだ言及されていないように思います。
その謎とは言うまでもなく「何でこんな物が売れたのか!?」という一点に尽きます。
推理ゲームとして見れば反則技のオンパレードであり、第1ランド終了を待たずに反則負けを宣言されるレベルです。あるいはホラー作品、ファンタジー作品として見ても、その設定やストーリー展開は完全に破たんしていて、完結した作品としての体をなしてません。
確かに部分部分を抽出してみれば見るべき点はあります。淡く切ないラブロマンス、萌要素、ラブコメ的ユーモア、猟奇的エログロも満載です。だが、それらはジグソーパズルの断片であって、全体のまとまりを欠いてます。物語としての整合性もリアリティーも全く無視されちゃってます。
すなわち!『ひぐらし』の最大の謎は
「何故、こんなできそこないがヒットしたんだー!」
ということです。それをこれから考察していきます。
私には最初、それがまったく理解できませんでした。アニメも全て観た。実写版の映画も観たまし。しかしそれでも謎は解けませんでした。特に実写版はレナ役の「前田愛理」と梨花役の「あいか」が可愛かったという以外、何の収穫もないひどいものでした。どっかの大学の映研が撮ったの? 16ミリですかぁー? というくらいひどかったです。大石蔵人(おおいしくらんど)役の杉本哲太が続編出演を断ったのも当然と言えましょう。杉本哲太には同情を禁じ得ません。 そんな私に天啓を与えてくれたのはアニメ版監督の今千秋とシリーズ構成、脚本担当の川瀬敏文の対談でした。いや、対談というのは正確ではなく、今千秋が司会役を務めたスタッフの座談会と呼んだ方がいいでしょう。それはジャイブ出版が出していた『ひぐらしのなく頃に 公式キャラクター&アナライズブック 』に収録されていました。
いま、現物が手元にないので記憶をもとに書くいてます(あまり正確ではありません)が、その座談会での川瀬敏文の発言
「オチのつけようがないので投げちゃった」と、
今千秋の
「物語に整合性をつけようがないので、刹那的に部分部分だけやった」という発言が、私に謎を解く鍵を与えてくれました。
ジャイブ出版『ひぐらしのなく頃に 公式キャラクター&アナライズブック 』
考えてみれば『ひぐらし』はその通りの作品なのです。オチもなく、整合性もなく、投げられてしまった物語。何も悩む必要はありませんでした。素直に、ありのままに受け止めればよかったのです。その「投げた」と「刹那」にすべてのカギがあったのです。
さて、『ひぐらし』の謎ときをする前に『ひぐらし』とはどんな作品であるか、ざっとおさらいして、おましょう。
ゲームとしての『ひぐらしは』出題編として
1.鬼隠し編2.綿流し編3.祟殺し編4.暇潰し編があり、さらに解答編として
1.目明し編2.罪滅し編3.皆殺し編4.祭囃し編があります。
アニメではかなりの省略が行われていますが、それらについてはここでは述べません。 詳しく知りたい人はウィキペディアでも参照してください。 一応、出題各篇に対応して回答編があるのですが、すべての謎や矛盾が明らかにされているわけではありません。その理由は。原作者がどう言い訳しようが「素人の作品」だったから。
といえるでしょう。
後述する様にこの作品には「魔法のアイテム」とも呼べる、どんな矛盾も解消できるようなご都合主義の「神アイテム」が多数用意されています。でもそれでもカバーできないほど、物語は破綻に満ちてます。結局、 同人のお遊びレベルだったのね。
実例を挙げましょう。
まず物語は主人公である前原圭一が雛見沢村に引っ越してきたことから始まります。しかし、ここが突っ込みどころ。
そんなん、ありえねーよ! って、モニター見ながら思わず突っ込んじゃいました。
圭一は多感な思春期の少年です。しかも一人息子。母親にとっては最愛の存在ですよ。
その母親は高学歴でミステリーファンの設定。息子の教育にも熱心です。 雛見沢村で起きた猟奇事件の事は当然知ってたでしょう。仮に父親が引っ越したいと言い張っても、母としては絶対に反対するはずですね。 「そんな危ない村に圭一を連れていけない、行きたいのならあなた一人で行って」 となるのが普通。 子を思う母の気持は非常に強い、ましてや最愛の一人息子であればなおさらです。 母親は子供の為なら自分の命も投げ出す。ヤシマ作戦で我が身を捨ててシンジの盾となった綾波のようにです。 これは極論を言っているのではないですよ。現今の福島第一原発事故で漏れ出た放射能物質から、わが子を守ろうとしている多くの母の姿を見れば誰でも納得できるでしょう。 ま、結局素人なんですよ。
プロの作家なら、少なくとも、
圭一と母親は町で暮らしていて父親だけ雛見沢村のアトリエ兼別荘で仕事をしている。そしてゴールデンウィークに父のアトリエに遊びにきてレナたちと知り合い、意気投合して祭りに誘われ、事件に巻込まれて行く。
といった程度のプロットは作ったでしょうね。
さらにひどいのは大石蔵人。わざわざレナたちがいる学校まで圭一に会いに来て、会ったことはレナたちに秘密、って、ヲイ!頭、大丈夫かーって突っ込み…ませんでした。もう呆れてましたから。
この辺りで確信しました。間違いなく原作者の竜さまの頭は○○だって。
とにかくひどいんです。重箱の隅をつつかなくても、ざくっと箸を入れただけでぼろぼろボロがでてきます。で、謎が生まれたわけです。何でこんなでたらめなのが売れたの? ヒットしたのかな、かな?
ゲーマーも素人だったということもあるでしょう。コミケのゲームですから、最初からプロの完成度は求めていなかったかもしれない。しかしアニメとなるともっと多くの不特定多数の人が観て、そしてヒットした。何で?
だらだら書いていても仕方がないので、結論に行っちゃいましょう。 『ひぐらし』がどれほどひどいかは、ネット上にいくつかの論考があるので、それらを参考にしてください。たとえばこれなんかはよくまとまっているし、読み物としても秀逸です。 どうして、こんな物が売れたのか?それは
「創る喜びだからで〜す←結論」
『ひぐらし』は推理ゲームではありません。ファンがやってたのは 「推理」ではなく「創作」です。
それが「カケラ紡ぎ」の本当の意味です。 オリジナルの『ひぐらし』は投げられちゃった作品です。穴だらけ、矛盾だらけで、できそこないのジグソーパズルです。
しかし一つ一つのピースはそれなりに魅力的なのです。今千秋が「刹那的に部分部分だけ」というように、部分部分はファンの心を繋ぎ止めておくだけの力を持っていました。 それでファンは「推理」だと錯覚しながら、この投げられたでたらめな物語をより完成したものに
「創作」していったのです。
そのための便利アイテムは山ほど与えられています。ご都合主義の塊のような魔法のアイテム。 恣意的に発症も症状レベルも自由に変えられる「雛見沢症候群」、それから来る「妄想」。全てを「妄想ですから〜」で解決できます。
工作部隊「山狗」。不可解な事があれば 「それは山狗が暗躍したから」でオケ!
秘密結社「東京」。国家を動かすほどの権力集団。裏で 「東京」が動けば何でも可能。
そして究極の「オヤシロサマ(羽入)」。 なんせ「神様」なんですから何でもありです。その言動が不条理でも 「人間には神様の心は理解できないのです、にぱー」 でおしまい。どんな矛盾も謎も、これら便利アイテムですべて解決。『ひぐらし』は難易度の高い推理ゲームなどでは決してなく、極めて難易度の低い「ロールプレイングゲーム」です。誰でも魔法のアイテムでクリアできるような。
だから論理的思考の苦手な人でも、想像力に乏しい人でも、それなりに「推理」という名の「創造」で物語(解答)を作ることができました。まさしく「創る喜び」ですね。 これは「怪我の功名」です。竜さまは計算して『ひぐらし』をそうデザインしたのではないでしょう。同人の、いわば悪ふざけのような遊び感覚ででたらめな物語を創作した。しかしそれが時代にぴたりとはまってしまいました。
その時代とは言うまでもなく今のネット社会です。誰もが受け手であると同時に送り手である社会。受け手送り手という概念が無意味となった社会を前提として、この『ひぐらし』の成功があったでしょう。
旧来であればこんな不完全ででたらめな作品は、欠陥品として捨てられていたでしょう。しかし誰もが送り手、言いかえればクリエィターである社会では、その未完成さゆえに恰好の素材となりえたのです。 魅力的な個々のパーツを持ち、しかも全体としてはバラバラな素材。でもそのパーツを繋ぐ魔法のアイテムもいっぱい用意されている。誰でもそれらを紡いで自分の物語を創作できる。これが『ひぐらし』がヒットした理由なのではないか。というのが私の分析です。
ご意見のある方は、異論でも反論でもご自由にコメントいただければ幸いです。
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2011年06月22日
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