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(この小文は池田さんのエッセイを批判する意図ではなく、この文章がもたらす影響や人々がどう受け取ったかをちょっと考えてみたものです。)
このエッセイは信濃毎日新聞に掲載された「トカゲのしっぽ 蟻の影 3『避難したあなたへ』」というものです
大変心優しく避難した人への思いやりに満ちた文章で、これを読んで感動した人も多いと思います。
しかし、そういった表面的な優しさや思いやりを脇に置いて、この文章全体の意味を分析して見ると、そんな単純に感動ばかりしていていいのかとの疑問も持たれます。
サブタイトルに「人生懸けた決断を支持」とあるように、池田さんは一貫して避難した人を支えようとしています。そして避難した事を肯定しています。ですがその文章を良く読んでみるとかなりの矛盾を含んでいます。
「発災当時、私たちにはなんの知恵もありませんでした」
と書いて、だからその不安から避難したのも当然だとします。
しかし
「あれから、情報は日々改まり、わかってきたことがたくさんあります」
と続き
「福島でも学校給食からはほとんど放射性物質が検出されない」
「福島の部活の高校生79人をホールボディカウンターで計ったら、心配なほど内部被曝している人は一人もいなかった。」
と書いた後
「極め付きは、放射線の影響がより深刻だとされていた子どものほうが、むしろ被曝をはねかえす力をもっていることを示す知見です。」
「修復能力も子どものほうが上なのだそうです。」
上の「子どものほう…被曝をはねかえす力をもっている」「修復能力も子どものほうが上」は科学的には誤りですが、そんな不確か事例もあげて安全性を強調しています。
このように当初は何も知らなくて、その不安から避難したけれど、今は色々と分ってきた例をあげて、そんなに心配ではないという意味の言葉を連ねています。これだけでは当初避難したのは仕方ないが、今避難し続けているのは誤りという事になります。今重要なのは過去がどうだったかではなくこれからどうするかですから。
ここで疑問がわく訳です。避難したのは「危険かもしれない」からです。それが避難の理由です。しかし池田さんはいくつかの例をあげてその危険性を否定しています。「情報は日々改まり、わかってきたことがたくさんあります」と。
さらに
「避難した人びとは考え過ぎだったのだ、という声もあると聞いていますが、それは後知恵です。」
と書いてます。
これは避難した事を擁護する書き方ですが、同時に「当初、私たちはなにがなんだかわからなったから…当然でした」が、今になって振り返れば「考え過ぎだった」という意味にもなります。後知恵とは後から分った事なのですから。
この文脈で「当初避難したのは情報不足で仕方ないけど、いまは様々な情報があって心配するほどの危険は無いのだから戻ったら。」という結論なら、この文章全体の整合性は取れるのですが、ここで池田さんは
「安心材料が出てきたとはいえ、だれも何年も先までの安全は保証できません。どうするかは一人一人にゆだねられています」
と、結論をぼかし
「どちらに決めても、私はあなたの味方です。」
と書いて、優しさと思いやりを発揮しています。
文章全体としては歯切れが悪いというか、何の意味があるの? と思ってしまうエッセイです。現時点では安全なのだから避難し続けるのは間違いだ、とも読める事を書いておいて、何年も先は解らないしリスクを負うのは当事者だから個々で判断して、って、結局何も言ってないのと同じです。池田さんは単に「私はあなたの味方」と優しい言葉をかけたかっただけなのでしょうか。
この何とも意味のない文書がどうして書かれたんだろうと考えていた時、下の池田さんのツイートを読んで納得できました。
避難に大きなコストを払った人は「被曝、現状はそれほど懸念はない」「瓦礫広域処理」「再稼働」を認めたら、自分がした事を自分で否定するような気持ちになるのかもと思ってます。なんとかサポートしたいけど…RT @kumikokatase: @kikumaco_x @son_in_law
返信する RTする ふぁぼる ikeda_kayoko 2012/06/08 23:19
池田さん自身はこのエッセイにある通り「安全だ心配ない」と思っている(少なくとも無意識のうちに思っている)。「被曝、現状はそれほど懸念はない」と思っている。だから本心は「戻ったら」と言いたいのではないでしょうか。ただそれは言えない。何年も先の事は保証できないし、戻って何かあったときの責任も負いたくない。だから「一人一人にゆだね」るしかない。でもそれだけではいかにも人として冷たい。それで結局「私はあなたの味方」と優しさと思いやりの言葉をかけたのではないかと思えます。
このエッセイに関してtwitter上で何人かの人とやり取りして感じたのは、この文章の表面的優しさや思いやりしか読み取っていない人の多さでした。例えば「避難した人びとは考え過ぎだったのだ、という声もあると聞いていますが、それは後知恵です。」を単に避難を擁護したとだけしか読んでいない。その裏には、「今にして思えば考え過ぎだった」という意味がある事を理解できない。
最初、私はこれを単なる読みの浅さと考えたのですが、どうもそうではないと思い始めました。多くの人がこの池田さんの優しさに同調したのは、多分その人たちも池田さんと同じ気持ちだからではないかと考えました。
つまり上に書いた「被曝、現状はそれほど懸念はない。だから戻ったらと言いたい。しかし戻って何かあったときの責任も負いたくないから一人一人にゆだねるしかない。でもそれだけではいかにも人として冷たいので優しさと思いやりの言葉をかける」という事です。
普通の人の普通の常識や倫理観にぴったりとあてはまった反応なのでしょう。困ってる人を助けたいという普通の同情心から優しいだけの言葉をかけたという事でしょう。でもそれで傷ついたという避難している人もいました。
(「被災者の心を傷つける文学の力−池田香代子氏の「避難したあなたへ」 #原発 #被曝 #福島」http://togetter.com/li/319336
「私はあなたの味方」のエクスキューズを除いた文意は、避難した事は考え過ぎだったけど当初は仕方なかった。しかし今は安全だから戻るのが正しい。でも自己責任だから自分で決めてね。なのですから。
菊池誠氏が言うように「やすっぽい正義感は、所詮は自己実現」なのでしょう。
余談ですが、以上の事を考えていたら「一杯のかけ蕎麦」の話を思い出しました。
この件に関連した私のtogetter纏めです。
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