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さて、一つ前にホビージャパンの創業者、佐藤光市元社長の名前を出しましたが、私は佐藤元社長を尊敬しています。玩具問屋の丁稚奉公から始めて一代であのホビージャパンを築き上げた人です。ジャパン社内では「先代」と呼ばれてますが正確には先々代ですね。今の社長の松下さんの前には山口さんという佐藤元社長の娘婿が社長を務めてます。
佐藤元社長はとても強い人でそして怖い人でもありました。売られた喧嘩は必ず買うし勝つまで決して止めない。自分に歯向かった人間は決して許さない人でもありました。それが日本遊戯銃協同組合(以下組合と略します)の大騒動を招きましたし、アサヒファイアーアームズのM40事件へとも繋がって行った。(ありましたと書いたのはすでに亡くなられているからです。)
組合騒動の発端は賛助会員であったアームズマガジンの除名です。当時、銃に関する専門誌は「GUN」「COMBAT」「Arms」と三誌あって皆組合の賛助会員となっていた。賛助会員というのは組合費は免除だが組合広報の為に無料で誌面を提供する、というものです。
その中のアームズが1991年春にいきなり除名処分となった。除名の理由はアームズがサバゲの記事で高圧のエアタンクを紹介した、というものです。
当時の組合はサバゲを公認してはいなかった。現実にはサバゲの大流行でエアガンが売れていて、各メーカーともゲーマーの要望に応える製品を作っていたのに、建前では「人を撃ってはいけません」というマナー指導を繰り返して、人が撃ち合うサバゲを否定していました。同時に厳格な自主規制を敷き銃の改造も一切認めませんでした。一方アームズはその前身であるホビージャパン別冊の「ガンスミス」シリーズから、サバゲ向きの改造やサバゲ記事をメインにしてきた雑誌でしたから、組合の建前と最初から齟齬があったわけです。このアームズ除名にはライバル誌のコンバットも絡んでるんですが、それは今回触れずにおきましょう。
で、この除名に佐藤元社長が激怒した。尤も最初の矛先は当時の岡崎編集長に向けられてました。編集長がしっかりしていなかったから除名されたんだと。しかしマルゼンがCO2のグリーンガス導入を強行したことで、その矛先はマルゼンとマルゼン前田専務が理事長を務める組合に変わりました。高圧エアでアームズを除名しておいて、自分たちはもっと高圧なCO2を導入しようとしている、というわけです。
それでアームズの1991年8月号から、グリーンガスと前田理事長の組合支配を強烈に批判する連載記事が始まりました。そのタイトルは「検証!! 告発追求シリーズ」です。これはこの後8ヶ月続きました。記事には「アームズマガジン特別取材班」とクレジットがありますが、まあ、古い話だからもういいでしょう。実はこの記事は私ひとりで書いていました。佐藤元社長の指示で。私は佐藤元社長の「兵隊」でしたから社長が戦略、戦術を立案し私がそれを実行してました。社長の方針に沿って記事を書き、それを実証する実験を行い誌面を作る。外部には出さず版下も社内で作ってました。
この頃私は今と同じフリーのトイガンデザイナーで、東京マルイで仕事をしていました。東京マルイ(以下マルイと略)が屋上(旧社屋です)にプレハブで私の研究室を作ってくれて、二人の若手社員を助手としてつけてくれていました。そこでマルイの新製品の開発、研究をしていたんです。ですから昼間はマルイにいて夜にホビージャパンで検証シリーズの原稿を書くという二重生活でした。
前田理事長は表向きはアームズは反組合だからあまり協力しないようにと、やんわりといっていましたが、裏では各メーカーに直接電話で「アームズに広告を載せるな」と厳しく命令していました。電話での口頭なら証拠が残りませんから。それでアームズから一斉にメーカーやショップの広告が消えました。雑誌、新聞、TV、ラジオなどは広告収入で持っている媒体です。広告収入がゼロになれば立ち行かなくなる。しかしそんなことでくじける佐藤元社長じゃありません。前田理事長の組合と徹底的に戦う決意をしたんです。それが「検証シリーズ」になった。
全ての広告が無くなって一見アームズは四面楚歌のようですが、実はそうではなかった。前田理事長の独裁的組合運営に批判的な組合員も多かったんです。Toy-tecの永吉社長、KM企画の木村社長、そしてWAの国本社長も皆アームズの味方をしてくれました。皆さん組合員ですから表向きは理事長に逆らえませんが、裏では様々な方法でアームズを助けてくれました。当時から最大シェアを誇っていたマルイは組合の専務理事の立場でしたが、どちらの味方もしないという中立でした。でもそうではなかった。
私は昼間マルイの屋上にいた。あるとき専務(当時)から「ちょっと来てくれ」と社内電話があった。しかし専務の執務室に行くと誰もいない。そして机の上には無造作に組合内部の極秘資料が広げられていた。もちろん私はそれを直ぐにコピーしましたよ。これはマルイが内部情報をリークしたんじゃないです。ついうっかりと資料をしまい忘れたままトイレに行っている隙に私に盗み見られただけですからね。また、専務が理事会の議事録を持ってきて「組合内部で今こんなことが話されてるんだがどう思う?」と聞いてきたこともありました。これもリークじゃありませんよ。私はフリーですからねマルイの社員でもホビージャパンの社員でもない。組合とも関係の無い第三者です。善意の第三者に常識的意見を求めただけです。もし後で問題になったら「何っ、あいつは佐藤社長の回し者だったのか。だまされた!」とでも言えばすむ話です。まあ、当時はマルイもそんな腹芸をしてました。
そんなこんなでアームズ側は組合内部を全て把握してました。理事長や副理事長が何を考え何をしようとしているか。ことの詳細は割愛しますが、8ヶ月以上に及んだ佐藤元社長と前田理事長のバトル、アームズvs組合の戦いは両者が矛を納め、業界の発展に尽くすということで和解しました。でも実際は佐藤元社長、アームズの完勝です。前田理事長と築地副理事長は引責辞任して、初代理事長だったマルシンの川島さんが臨時の理事長になったんですから。そしてアームズにはメーカーやショップの広告が復活し、騒動が始まる以前より充実し発行部数も伸びました。アームズにとっては万々歳でしたが、佐藤元社長はそれで納得するほどお人よしではなかった。自分を窮地に立たせた前田、築地を絶対に許さないという気持ちは揺るがなかった。それがアサヒファイアーアームズのM40騒動につながっていきます。
その話もいずれまた。
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2017年05月28日
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私がLSの仕事を始めたのは1985年からです。LSのことを知らない人もいると思うけど岐阜県にあったプラモデルメーカーです。Wikipediaに詳しく書かれているので参照してください。
LSの「L」と「S」は創業時の社名「サンライト」が由来で初めはSLでした。もっとも後には「リバティー」と「ソーシャル」だという説明も当時の木村社長はしていました。LSは兄弟で運営していた会社で弟さんが専務でした。
前にもヤフオクで書きましたが、トイガンメーカーは兄弟で始めた会社がなぜか多い。LSの他にマルゼン、東京マルイ、ハドソンもそうです。そしてハドソンの山田ブラザーズは私の知る限り仲は良いですが、他はどこも兄弟仲が良くない。
そのLSは結局兄弟喧嘩で分裂してしまいました。弟さんの専務が独立してMMCというトイガンメーカーを立ち上げた。MMCとは「ミリタリーマニアコレクション」の略です。その名のとおりマニアックな凝った作りで、その拘りが兄弟分裂の引き金にもなったようです。製品の開発方針で社長と専務で意見対立が起きたんでしょう。
私はLSとの関係が深く、実質的にはLSでトイガン設計者としてデビューしたようなものです(その前に東京マルイの仕事もしてましたが)。しかし心情的にはMMCに近く。内心はMMCを応援してました。ただマニアックすぎて最初のM16A2は実用性が低かった。メカ的には精密ですがサバゲに使える耐久性は無かったですね。そのMMC製品が実用性を獲得したのは2作目のL85-A1からです。MMCも岐阜にあって、その社屋にお邪魔したときは丁度そのL85を開発中でした。社屋は近代的なビルではなく古民家のような趣のある木造で、社長室にはL85の原寸大図面が掲げられていました。MMCはL85に社運を賭けてました。
ところがそれに真っ向から対立してきたのがLSでした。MMCがL85 を開発中なのは公開されてましたが、LSもL85を作ると言い出した。結局タッチの差で1990年にLSの方が先にL85を発売しました。最初はコッキングガンでした。そしてMMCがL85のフルオートガスガンを出すとLSも直ぐにガスフルオートのL85を出すという、ガチンコの兄弟喧嘩になりました。このことで両社はたがいに潰し合う形になって、ともに消えてしまいました。LSは1980年代後半から爆発的に流行り出したエアガンでかなりのシェアを持っていましたから他のメーカーが漁夫の利を得た形になりました。一番ほくそ笑んだのは東京マルイだったでしょうね。
その東京マルイの岩沢辰男元専務さんも岩沢社長の弟さんで、当時はLSを見て「兄弟喧嘩なんかしてるから潰れるんだよ」てなことを言っていたんですが、その専務さんも兄弟喧嘩で東京マルイを飛び出してしまいましたね。今のマルイの専務さんは元専務のご子息で、現社長は元社長のご子息です。元社長は会長になってます。元専務さんがマルイを辞めたんで私とマルイとの関係もなくなりました。
東京マルイの製品は全てこの元専務さんが作ってきたようなものなので、マルイにとっては痛手でしょう。今は過去の遺産で持ってますがこの先どうなるのか。昔からの優秀な生え抜きスタッフが健在なうちは大丈夫でしょうが、それらの人が去った後はどうなるか。すでに少しおかしくなってるような気もします。ちょっと前にマルイのBOYs(10歳以上用のお子様仕様です)用のスコープをアマゾンで買ったんですが、あまりの酷さに驚きました。だからアマゾンのレビューには最低の星一つでぼろくそに書いてやりましたよ。元専務の岩沢さんもそれを見て「こりゃ酷い、今のマルイには監督する人間がいない」てなことを言ってました。
さて話がそれましたが、LSは私のトイガン設計の原点とも言える存在で、色々と思い出深いです。1985年当時はまだ広告代理店に勤めていてグラフィックデザインをやってました。だから昼間は会社でグラフィック。夜は自宅近くの仕事場(知人の廃業したアパートを丸ごと全室無料で借りてました)でインダストリアル、という二重生活でした。まだこの世に存在しない、自分の頭の中だけにしかないイメージを二次元で表現するという点において、グラフィックデザインも機械設計もおなじです。ただその表現の形が少し違うだけ。もっともそれまで設計の経験は無く、中学の「技術・家庭」程度の知識しかなかったので、初期の設計はかなり杜撰でした。図面もいかにも素人が描いたものでした。
LSで設計した最初のM16シリーズの構造図とトンプソンの構造図。トンプソンのドラムマガジンは最初はこんな風でゼンマイの多弾数マガジンではなかったんです。
最初の頃は作図した日付けすらない図面を描いてました。
LSが倒産したのは1992年の冬だったかな。この頃私はホビージャパンの社員になっていてアームズマガジンの編集兼ライターをしてたんですが、LS倒産の報を聞いて会社近くの酒屋でカップ酒を二本買ってきて、自分のデスクで飲みながらLSの冥福を祈りましたよ。しみじみと。会社は無くなってしまったけど、その製品は今でも生きていてヤフオクにもよく出品されます。私もよく出します。ファンやマニアの間ではこれからも生き続けるでしょう。
さて、LSの社名の由来はWkipediaにある通りですが、昔からの「おもちゃ屋さん」では創業者の名前を屋号にしている会社が多いです。東京マルイは丸にイの字の「岩沢商店」で「丸イ」が「マルイ」になった。マルゼンは丸に前の字の「前田商店」で「丸前」から「マルゼン」になった。そのマルゼンも兄弟でやっていたことは上に書きましたが、ここも兄弟仲は良くなくて、弟の専務さんはすでに手を引かれているようです。この専務の前田徹雄さんは「日本遊戯銃協同組合(ASGK)」の理事長も努めた人で、なかなか男気のある人物だと思うのですが、すこし強引なところもあったようで、それが元で組合を二分するような混乱を起こし、結局、副理事長の築地恵さん(アサヒファイアアームズの中心人物)と一緒に引責辞任しました。それにはホビージャパン、アームズマガジン、そしてホビージャパンの創業者だった佐藤光市元社長。そして私自身も深くかかわっています。その話はまた今度しましょう。
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