アートが丘

「嵐が丘」のヒースクリフの思いは想像力?強迫観念?

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「骨董誕生」展を渋谷の松涛美術館で見たのは6年前だ。「骨董」ということばの音の響きがなんだか胡散臭い。日本で名だたる目利きのコレクションが展示されていた。「骨董」は「古びてさらに自然の味わいを増した器物を選び抜いて仲間内で共感し合うこと」だと定義されていた。俗に雨が降るという昔の八ミリフィルム映像なども「骨董」の類だろうか。
 
こういうポジションから古い陶磁器に「鑑賞」として照明を当てなおしたのが青山二郎のようだ。小林秀雄や白州正子などがそこに集まっていった。
「骨董誕生」展を見ながら、日本のわびさび系の歪んだり剥げたりなどの茶器系統はちょっと苦手な感じがした。そういうなかでは織部がすっきりした装飾性で好ましかった。
 
そこでわたしが最も興味をそそられたのは、17世紀オランダのデルフト焼きだった。
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陶土に白釉をほどこした徳利と皿の不透明でマットな白は、なんというか生活感があふれていて親しみやすかった。特に徳利は上下に鉄釉が散らしてあったのを記憶している。
中国の白磁は透明な白に憧れたオランダ人が陶土の白釉で代用していたのだ。
 
土を焼いて白くなる!?想像しただけでドキドキする。土器ではなく磁器なのに(?)
その後、多少、見るようになった陶磁器のなかかでも、白磁はやはり北宋の定窯がもっともすばらしいと感じるようになった。トーハクのコレクションでも見ることができる。世田谷美術館の白州正子展でも定窯白磁を見た記憶がある。たいして見ているわけではない。
 
「故宮博物院200選」展の青磁は、絵画や書ばかりを予想して見にいったので、青磁を発見したときはびっくりした。
そこにだされていた北宋、汝窯の「青磁盤」も捨てがたいが、南宋官窯の「青磁瓶」はいわゆる「雨過天青雲破処」の透明な青で魅惑的だった。
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本物の「雨過天青雲破処」青磁は瑠璃粉を羊歯の灰釉とまぜて釉薬にしたとかともいわれている。基本は鉄釉を施して酸素不足で焼く還元焼成でえられるのが青磁の青のようだ。
揚子江流域あたり、南宋の都、臨安(杭州)の近辺、唐が滅んだ10世紀には後周や呉越などの国が展開していた。一般的に越州窯の名称で知られている。
 
青磁の青は多彩だ。同じ越州窯青磁でも色の幅は広い。
青色をだす鉄釉は焼かれて酸化すると黄味を帯びた緑色に発色する。淡い黄緑の色味を帯びた栗色だ。「雨過天青雲破処」青磁とは色味が大きく違う。
「故宮博物院200選」展では北宋、耀州窯の「青磁唐草文瓶」が展示されていた。
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この色味の青磁は、日本でも平安貴族たちに使用されていたことはよく知られている。
「源氏物語」のなかで、もとは裕福だった常陸親王の娘末摘花が雪の夕の食事で貧しい食卓を囲んで、なにげに使っているのを光源氏が目撃する。光源氏は複雑な気分に襲われたのだろう。
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唐の末期から次の五代十国時代の後周や呉越などの国の越州窯でつくられたのが末摘花が使った青磁。いわゆる「秘色青磁」だ。
これも、古いものがトーハクにあるが、栗色系はしっとりした情緒とか親しみやすい日常感があるところは良いのだが、いくぶん土や枯れ草を連想させる。そういう土臭さや草臭さを越えた透明感が感じられれば青磁として成功したといえるだろう、と、わたしは勝手に思っている。
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わたしは、やはり「雨過天青雲破処」の透明な青がすばらしいと思う。釉薬の厚みのなかに散在する気泡が光をさまざまに屈曲透過させて千変万化ともいえるような青色の光彩を放つ。
 
 
17世紀オランダの人たちも白磁の白と並んで、青磁のこの青に憧れたに違いない。
青磁の青をつくる方法を知らなかったから、代わりにフェルメールはラピスラズリの青を絵画で使ったというと言いすぎだろう。
でもそのくらい青は人を誘惑してやむことがない。
フェルメールの絵画で、床のすぐ上の壁に一列、白地に青色で描かれたタイルが並んでいるのもよく知られている。
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中国の青花、いわゆる染め付けの白地とコバルトの青に焦がれたオランダ人が代用でつくりだした染め付け風タイルなのだ。
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白色と青色、この二つは磁器に限らず、多彩多様で不思議な魅力に富んでいる。

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