ごく普通のおばさんのひとりごと

平凡な一市民がこれからの日本に不安を感じて

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ローマ・カトリック教会による日本人奴隷売買・貿易

【抜粋】


鬼塚英昭氏の著「天皇のロザリオ」(P249〜257)は、次のように述べている。
「徳富蘇峰の『近世日本国民史』の初版に、秀吉の朝鮮出兵従軍記者の見聞録がのっている。
『キリシタン大名、小名、豪族たちが、火薬がほしいぱかりに女たちを南蛮船に運び、
獣のごとく縛って船内に押し込むゆえに、女たちが泣き叫ぴ、わめくさま地獄のごとし』。
ザヴィエルは日本をヨーロッパの帝国主義に売り渡す役割を演じ、
ユダヤ人でマラーノ(改宗ユダヤ人)のアルメイダは、日本に火薬を売り込み、
交換に日本女性を奴隷船に連れこんで海外で売りさばいたボスの中のボスであつた。

『行く先々で日本女性がどこまでいっても沢山目につく。ヨーロッパ各地で50万という。
肌白くみめよき日本の娘たちが秘所まるだしにつながれ、もてあそばれ、
奴隷らの国にまで転売されていくのを正視できない。鉄の伽をはめられ、
同国人をかかる遠い地に売り払う徒への憤りも、もともとなれど、白人文明でありながら、
何故同じ人間を奴隷にいたす。ポルトガル人の教会や師父が硝石(火薬の原料)と交換し、
インドやアフリカまで売っている』と


秀吉は、準管区長コエリヨに対して次のように命じている。
>「ポルトガル人が多数の日本人を奴隷として購入し、彼らの国に連行しているが、
>これは許しがたい行為である。従って伴天遠はインドその他の遠隔地に売られ
>て行ったすぺての日本人を日本に連れ戻せ」。
2002.7.9日付北國新聞の「バテレン追放令」も当時の「宣教師達による日本人
女性人身売買」について触れている。豊臣秀吉のバテレン追放令第10条の
「日本人を南蛮に売り渡す(奴隷売買)ことを禁止」を紹介し、次のように述べている。
「バテレン船で現実に九州地方の人々が外国に奴隷として売られていること―などが
分かる。秀吉の追放令は、ある意味で筋の通った要求だった」。



おそらく大河ドラマでも高山右近などのキリシタン大名が出てくるだろうが、
娘たちを火薬一樽で娘50人を売った事などはドラマには出てこないだろう。
しかしこのようなことがカトリック教に対する日本国民のイメージが悪くなり、
ローマ・カトリック教は日本ではいくら宣教師を送り込んでも1%も信者が増えない。
かつてローマ・カトリック教は人さらいをした宗教と言うDNAが、
埋め込まれてしまったのだろう。


日本人が奴隷として売買されていた時代があったということは知らなかった。
豊臣秀吉がキリシタンを迫害した理由は学校でも教えられていない。

閉じる コメント(8)

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西欧諸国は先ずキリスト教の神父を送り込み、次に商人を送り込み、最後に軍隊を送り込むのが常套手段でしたね。
しかし日本はそれまで戦国時代だったので鉄砲や弾薬の在庫が多く、火力密度は西欧の軍隊を凌いでいたのです。
江戸末期に元込め銃が開発されるまで、実は西欧の軍隊は日本に攻め込む事が出来ませんでした。
傑作

2009/6/24(水) 午後 11:52 [ - ]

kanazawa sanetoki様、
日本が西欧の植民地になる危険は幕末だけではなかったはずというのを思い起こさせてくれます。
なるほどそういうことだったのですね。
傑作有難うございます。

2009/6/25(木) 午後 4:52 haz*k*73ry

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1500年代後半
戦国九州のキリシタン大名の大村純忠は領民を強制的にキリスト教に改宗させたり、領内の寺社仏閣を破壊した。それに抵抗する僧侶は追放、もしくは殺害された。
領内一円でキリシタンに改宗しない者は異教徒として弾圧され、そのまま奴隷として海外に売られていった。

当時、ポルトガル商人は争って日本人の女奴隷をアジアで買い漁っていたという事実がある。
ポルトガル人などの南蛮諸国の白人の間では、日本人の女奴隷は特に珍重されていて、マカオなどの奴隷の集散地や市場でもアジアの女性の需要が多かった。

奴隷は買い入れられた価格の10倍以上の値で転売されていて、商品としての利幅が大きかったが、輸送時に熱病などで死亡すればゴミ同然に海中に棄てられた。
そうした劣悪な環境での輸送では奴隷の死亡率はきわめて高く、航海が長い場合は3分の1から4分の1が死亡し廃棄された。

2013/1/3(木) 午前 8:23 [ アジアや世界の歴史や環境を学ぶ ]

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大江 卓(おおえ たく、弘化4年9月25日(1847年11月2日) - 大正10年(1921年)9月21日は日本の政治家・実業家。土佐国幡多郡柏島(現在の大月町)出身)は、
高知出身ゆえに新政府内で冷遇されていたが、明治5年(1872年)に当時神奈川県令(知事)を務めていた陸奥宗光が、外交知識の豊富な大江を県参事に引き抜いた。大江は陸奥の片腕となり、明治になって間もない神奈川や横浜の街の土台づくりに奔走し、近代日本を維持するための警察制度を作り上げた。
買われた外交知識も遺憾なく発揮し、「マリア・ルス号事件」発生時に事態を重く見た外務卿副島種臣から権令(県副知事)に抜擢され、清国人奴隷232人を、自ら裁判長となって解放した。大江の尽力に対して、在日華僑の人々より感謝の気持ちを託して大旆(たいはい)が贈られた(神奈川県立公文書館所蔵)。

2013/1/6(日) 午後 9:27 [ 高砂のPCB汚泥の盛立地浄化 ]

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博覧強記でしられた故中隅哲郎さんの『ブラジル学入門』(無明舎、一九九四年、以下『入門』と略)を読み直して、「(日本では)一五五〇年から一六〇〇年までの五十年間、戦火に負われた多くの難民、貧民がポルトガル人に奴隷として買われ、海外に運ばれていった」(百六十四頁)との記述に目が引かれた。
驚くことに、「アルゼンチンのコルドバ市の歴史古文書館には、日本人奴隷を売買した公正証書がのこされている」(百六十五頁)という具体的な内容も記されている。
さっそく『アルゼンチン日本人移民史』(第一巻戦前編、在亜日系団体連合会、〇二年)を調べてみると、確かにある。

同国の古都コルドバ市の歴史古文書館で発見された最初の書類では、一五九六年七月六日、日本人青年が奴隷として、奴隷商人ディエゴ・ロッペス・デ・リスボアからミゲル・ヘローニモ・デ・ポーラスという神父に八百ペソで売られたことになっている。
その日本人青年の属性として「日本州出身の日本人種、フランシスコ・ハポン(21歳)、戦利品(捕虜)で担保なし、人頭税なしの奴隷を八百ペソで売る」(同移民史十八頁)とある。残念ながら、日本名は記されてい

2013/2/11(月) 午後 0:46 [ 底質汚染 ]

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1549年、フランシスコ・ザビエルが来日しました。表向きはキリスト教の伝道でした。
裏では「黄金の国ジパング」掠奪が狙いでした。ザビエルはローマ法王の僧兵であり、同時にポルトガルの東方植民地における軍隊と官吏とに対する命令の全権を持っていたのです。
スペイン・ポルトガルはキリスト教宣教師たちが尖兵となって潜入し、工作を行い、軍隊を引き入れ、人民殺戮、財宝収奪、奴隷貿易を行い、植民地占領を行っていました。日本にもその魔の手が伸びてきたわけです。

豊臣秀吉は当初はキリスト教を禁止しておらず、交流を深めていました。日本に潜入した宣教師は対日諜報員、対日工作員として、日本の内情を探り、日本は武勇の国なので武力による侵略は無理だと判断します。

イエズス会、ドン・ロドリゴとフランシスコ会、フライ・ルイス・ソテロらが、スペイン国王に送った上書
「殿下(スペイン国王)を日本の君主とすることは望ましい。しかし、日本には住民が多く、城郭も堅固であるため、軍隊の力による侵入は無理であるから、福音を宣伝する方策をもって日本の国民が殿下に悦びいさんで臣事するように仕向けるほかなし」

2013/7/10(水) 午後 9:09 [ 歴史&環境&公徳心ツアー ]

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環シナ海地域の変化

1501年から1525年頃には、明、李朝、日本、琉球、東南アジア諸国の環シナ海地域においては、それまでの勘合貿易などの朝貢形式の明王朝主導の貿易ではなく、海禁政策に反する非合法な中国人倭寇商人の活動や、堺や博多の豪商などを中心にしたネットワークが構築され、また1510年には三浦の乱、1511年にはポルトガルがマラッカを滅ぼして東アジアでの交易を始め、1523年には寧波の乱が起きるなど、明王朝の海禁政策を逃れた貿易が広がっていった。

嘉靖帝の時代に、武力による海禁政策の厳格な取締りが進むと倭寇や南蛮人の活動も過激化し、1554年6月には済州島で唐人と倭人の同乗する船が朝鮮水軍と衝突する事件が起き、1555年には倭冦が明の南京や朝鮮の全羅道を侵している(乙卯の倭変)。

2013/7/13(土) 午後 0:01 [ アジアや世界の歴史や環境を学ぶ ]

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●1452年:ローマ教皇ニコラウス5世はポルトガル人に異教徒を永遠の奴隷にする許可を与えて、非キリスト教圏の侵略を正当化
・・・・・・・
●1571年:当時のポルトガル王セバスティアン1世から日本人貧民の海外売買禁止の勅令が発布されるが、奴隷貿易は根絶せず
●1587年 (天正15年):豊臣秀吉はバテレン追放令を発布して、イエズス会布教責任者であった宣教師ガスパール・コエリョに人身売買と宣教師の関わりについて詰問
●1596年 (慶長元年):長崎に着任したイエズス会司教ペドロ・マルティンスはキリシタンの代表を集めて、奴隷貿易に関係するキリシタンがいれば例外なく破門すると通達
・・・・・・・
●1603年 (慶長8年):徳川家康が征夷大将軍。江戸に幕府樹立
・・・・・・・
●1624年 (寛永元年):スペイン船の来航禁止
●1633年 (寛永10年):奉書船以外の日本船の海外渡航禁止
●1635年 (寛永12年):海外渡航と在外日本人の帰国を全面的に禁止
●1637年 (寛永14年):島原の乱
●1639年 (寛永16年):ポルトガル船の来航禁止

2018/2/12(月) 午後 1:45 [ マレーシアにまた行きたいな ]

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