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>ストックホルムはゲットー化しており、ほぼすべての通りはとても危険な状態
警察は慢性的な人員不足、低賃金、重労働である。 職務中も脅迫され、銃撃され、唾を吐かれ、クソッタレと罵られる。 スェーデンの移民はカネになるいい商売なのである。 退職した貧乏なスェーデン人より多くを貰える。 政治家は移民に気に入られるよう彼らの犯罪の取締りを制限している。 ゲトー化した100の都市を回復させるのには過激な方策をとっても30年はかかる。 低強度の内戦状態はすでに始まっている。 憎悪に満ちた危険なイスラム過激派の社会か、 それとも安全で調和のとれた国家を保つ伝統的な価値観の、どちらを取るのか? >ブリュッセルは欧州の首都とも呼ばれてきたが、
毎年8千人のベルギー人が国を去り、1万2千人の移民が押し寄せテイル、ヨーロッパ最大のイスラム人口を抱えている。 10年、20年後のブリュッセルはイスラム化しているだろう。 移民政策を取ったヨーロッパ先進国はすべて失敗している。
注意すべきは報道、政治家、財界も頼りにならず(むしろ彼らは常に移民の見方をする)
私たち国民が反対の意思を表す以外に道は無いことを肝に銘じなければならない。
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戦争と平和
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「14歳からの戦争論」西部邁著・ジョルダン・ブックス 14歳は侍なら元服の年齢、 西部氏はこの本の読者を高校生、中学の優等生を想定したそうです。 「大聖」(マハトマ)とよばれていたガンジーは「非暴力・非服従」をインド国民に訴えました。
つまり暴力で抵抗すること、しかし植民統治への(集団的な)抵抗は絶対にやめない、ということです。 それは、具体的にいうと、打たれても傷つけられても殺されても、抵抗のための集団的なデモンストレーション(示威運動)を続けるということになります。 「長時間」の非暴力・非服従は、国家の制度あるいは政策の在り方として、国民に無理難題を課すに等しいということです。 人間は不完全な存在です。つまり、臆病、卑劣、軽率、野蛮から完全には免れることができない、それが古今東西における人間の姿です。 全国民に向かって「聖人たれ」と要求するのも同然なのがガンジー主義です。 それは過酷な要求であり、そういう理想主義は、晩かれ早かれ現実主義によって裏切られます。 20世紀初頭の思想家ギルバート・チェスター曰く 「勇気とは何か?」 「自分の命を守るために発揮される精神の力だ」 「真の勇気とは何か?」 「自分の生命を犠牲にするのを厭わぬことだ」 この自問自答のなかに「国家の戦争と国民の生命」のあいだの矛盾の有様が端的に示されている。 自由民主主義の代表たるアメリカに追随しているのが社会主義的だという冷戦期の考えは迷妄の一種にほかなりません。 どだい、アメリカは国民において歴史感覚が乏しく、社会主義国と同じく壮大な社会実験として国家を建設してきました。 したがってアメリカはむしろレフティズム(社会主義)の代表国なのです。 ここで思い起こさなければならないことがあります。 「左翼とは、フランス革命時に「自由・平等・博愛」のためにアンシャン・レジーム(旧体制)をすべてぶっこわせと叫んだいわゆるジャコバン派の連中のことだったのです。 ついでにいうと、社会主義が世間を騒がせはじめたのは、それから50〜60年後のことでした。 社会主義だけが左翼なのではありません。 アメリカにおけるような(歴史意識の貧困な)個人主義も左翼に属します。 というよりも左翼のむしろ見本なのです。 欧米社会の日常語において、パシフィスト(平和主義者)という言葉が、おおむね「卑怯者」の意味で使われていることに、私たちは少しは注目してみるべきです。 アメリカが社会主義の見本というのは意外でしたが、根拠が「歴史意識の貧困と個人主義」というので「なるほど!」とおもいました。
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「戦争論」西部邁著、日本文芸社 1991年に出版されたのだが3分の一ほど読んで投げ出していた本をもう一度読み直してみた。 当時はまだテレビに出演する論客といわれる人たちは殆どが左翼だった為、わたしも西部氏の話を「ちょっと過激だな」と興味が湧き、これを買ったが、拒否反応もあり理解できなかったのである。 以下に重要だと思ったことを書き出た。 「戦争論とはすべての古典と同じく教養の一部である」といったのは岡崎久彦しである。
「デモクラシーの社会では、皆が戦略的白痴になるか、だれが戦略を持っているか、どちらかの選択しかない」といったのも岡崎久彦氏である。 私は氏の言に同意し、そして日本人が総体として戦略に対して無教養であり、白痴であることを認めるものである。 日本人は戦争について思考停止に陥っている。 戦争についての感受力と行動力を失った国民は、平和の有難味を知ることすら叶わぬのではないか。 ガンジー主義とは「武力を持つぐらいなら自滅も辞さず」ということ つまり「戦争がない状態」という意味での平和がこの島国において、永続するであろうという見込みに立って、そしてその平和が誰のいかなる努力によって達成されたものであるかについては顧慮せずに、戦争になるくらいなら自滅するといってみせているだけなのだ。 自分らの言説が嘘であるということがばれないですむであろうという計算にもとずいて、絶対平和というのは、要するに甘やかされた子供たちの振舞いにすぎない。 「博愛についても同じである。 これは人類が戦争と革命との裏切りと喧嘩との歴史であるという事実を見つめればすぐわかるように、人間はベネボレンスつまり博愛は、ほんの一時人々の耳に心地よく響こうとも、それをいっている本人がエゴイズムから自由になれない以上、それはいずれ欺瞞や偽善に堕ちる。 平和主義者とはかなりの程度において「きれい事をいう無責任で嫌な奴」のことなのである。 平和主義という言葉くらい偽善と欺瞞に汚されているものも少ないからに他ならない。 そもそも平和とは、それ自らで自足しうるような積極的な概念ではない。国際関係でいえば「戦争のない状態」それが平和というものであるにすぎない。 平和主義が強い影響力を誇示しえたのは、戦争の足音が高まっている、または戦争の余韻が消え去らぬという意味の好戦主義の時代においてである。 「戦争のない状態」は場合によってはほとんど何人(なんびと)も我慢できないような劣悪状態でありうるという点である。 つまり、自分の同胞が辱められ、殺されても、自国の主義が踏みにじられ、奪われようとも、自分が物理的、武力的、暴力的抵抗をしなければ、それはそれで「戦争のない状態」だという意味で平和だということである。 平和主義とは「ガンジー主義」のことでしかありえないのである。 肝心のインドの現実がガンジー主義からほど遠い状態にあることについては論を俟たない。 平和主義とは史上稀にみる残忍、酷薄なイデオロギーだというしかない。 「14歳からの戦争論」については近日UPします。
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「パール判事の日本無罪論」
・東京裁判とは何だったのか「戦争裁判の法的欺瞞」 ・太平洋戦争はなぜ起きたか「【共同謀議】という焦点」 ・戦争における【殺人の罪】「贖罪意識の植え付け」 ・東京裁判のもたらしたもの「国際論争と戦後日本人の意識」 以上の四章から論じられている。 帯に 東京裁判の真の被害者は「法の真理」だった。 判事11名の中ただ1人日本無罪を主張した彼は国際法に拠らず、事後法によって行われた裁判を、戦勝国による「リンチと何ら変らない復讐」であり、違法裁判であると非難した。 後にその主張は世界中で高く評価された。 本書はパール判決文を中心に、マッカーサーも認めた「東京裁判の不正」を問う。 多くの日本人が信じて疑わなかった東京裁判史観と、戦後日本人の歪んだ贖罪意識にメスを入れる不朽の名作を復刊。 靖国神社問題や教科書問題の根はここにある。 とある。 象徴的な記述として 混沌たる判決の中に、一つだけ一貫しているところがある。 それは、これら七被告(絞首刑になった七人)はすべて、訴因第54と第55(両方とも残虐行為関係)の双方か、あるいはどちらかの一つで、有罪とされていることだ。 松井・・中国 木村・・ビルマ 板垣・・シンガポール(イギリス) 武藤・・バタ−ン(フィリピン) 東条・・真珠湾(アメリカ) 土肥原・・満州 広田・・ソ連 なんのことはない、これら七被告の首は、初めから米、英、中、ソ、比などへ割りあてられていたのだ。 もし、七人の誰かが、松岡や永野のように、裁判の途中で死亡したりすれば、つまり配給の予定に狂いが生ずれば、彼らはたちまち 代替え品を充当したであろう。 被告の数は多かったし、理屈はどのようにしてもこじつけられたのだから・・・・ 1952年パール博士は再度日本を訪れたのではあるが、この悲しむべき日本の事情を看視し、大阪の弁護士会館で、法律家を前に、次のように訴えた。 「(略)法律の番人であり、法律を守る事を職業とし使命としている皆さんが、国際法の論争に無関心であるということは、私には信ぜられないことである。どうかプライドをもって、堂々とこの論争の中に加わっていただきたい。法の真理を守る法律家になっていただきたい。」 「日本とドイツに起きたこの二つの軍事裁判を、他の国の法律学者が、このように重大問題として真剣に取り上げているのに、肝心の日本において、これがいっこうに問題視されないということはどうしたことか。 (略)どうか、この混乱、動揺した世界情勢の中にあって、国際法の問題をもっと深く研究し、それに対する名判決を下されるようお願いしたい。(略)」 パール博士の言葉を借りれば「この裁判は法律的外貌はまとまっているが、実は、ある政治目的を達成するために設置されたもので、それは占領政策の宣伝効果をねらった”興行”以外の何ものでもなかった。」のである。 学者やジャーナリストの多くは、戦時中は軍部に、敗戦後はアメリカに、占領が終わると親ソ反米に傾く、(略) 広島、長崎に投下された原子爆弾の悲惨きわまりない禍害も、日ソ中立条約を一方的に破棄して満州になだれ込んだ、ソ連軍の侵入も、ともに日本の侵略戦争を終熄させるための正当なる手段で、悪いのは日本の軍閥である。 8月15日の終戦は”日本の黎明であった”このような意見が日本人自身の口から臆面もなく堂々と放送されたのである。 同じ敗戦国のドイツ、イタリアではとうてい信じられない事であった。 終戦後の憲法制定に携わったアメリカ人も同様に「日本人はすぐにでも憲法改正すると思ったが未だにそれがないというのは信じられない事だ」と述べていた。 戦後の日本人の思考の原点ふたつが丸呑みされたまま自分達で検証しなおす事をしなかったことが経済は発展させたが戦前には確かに有った日本人特有の思考力をどこかに置いてきてしまったのではないか?
この本は日本人が読まなければならない本だと思う。 |
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ブログ[中韓を知りすぎた男]コメント欄より 『非同盟中立主義者』のコメント 安保反対 戦後の歴史の中でアメリカが一番ひどい戦争をやってきたことは事実です。イラク戦争を見ればわかりますね。 それに日本は協力してきました。日本は今でもアジア侵略をやめたとはいえないのです。 武力を持たないで侵略された国はありません。非武装こそがいちばん強いのです。 良識的な人たちはわかっていると思いますが、一部のネット右翼勢力は困ったものです。 (このブログもそうみたいですが。) 2008/09/26(金) 23:53:36| URL| 非同盟中立 #- [編集] ;『これに対する反論コメント』 >非同盟中立さん 1949年 東トルキスタンを侵略、新疆ウイグル地区を設置 1950年 朝鮮戦争参戦、同年チベットへの軍事侵略開始 1962年 中印国境紛争で、チベットを越え、インド侵略 1969年 中ソ国境紛争。珍宝島問題で、ソ連と軍事衝突 1979年 中越戦争で、ベトナムを軍事侵略 1996年 民主化された台湾の総統選挙を妨害の為、基隆沖海域に ミサイルを発射 2008年 チベット動乱。チベット仏教の僧侶やチベット人デモ隊を虐殺 アメリカも戦争してきたのは事実ですが、すぐそばの中国も外に向けてこれだけのことしてますよ?今も日本に向けて、核ミサイルも大量配備してますよ?現実的に考えませんか?アメリカが睨みを利かせてる(日米安保)から中国が未だ手を出せないだけで、非武装だから手を出してこないという夢想はやめましょう。 2008/09/27(土) 01:13:19| URL| dorapong #- [編集] 『非同盟中立主義者』 武力によって平和は実現しない 相手が武力を持っているからといって武力で立ち向かうのでは、永久に武力から解放されません。 こんな簡単なことがわからないのですか。 あるいは意図があってわからないふりをしているのか。 武力をちらつかせながら平和を語っても意味がないでしょう。 まず日本が率先して武力を放棄し、話し合いによる平和を目指すべきです。これは憲法9条に書いてあることです。 私たちは憲法にのっとって国家をつくっているのではないですか? もちろん国家はできればないほうがいいのですが、今は必要だとすれば平和と民主主義にのっとったものでなければなりません。 武力による侵略を受ける国は必ず武装しています。武力を放棄した国で武力侵略された国はありません。 2008/09/27(土) 01:48:18| URL| 非同盟中立 #- [編集] 『反論』
無抵抗でも関係ないです。 >非同盟中立 さんへ 御存知でしたか? ダライ・ラマ法王は毛沢東のもとを去りました。 まもなく中国の高地戦闘特殊部隊がチベット国境を侵犯。 まともな軍備を持たない「祈りの国」は,ひとたまりもなく侵略されてしまいました。 そして1959年の3月、首都のラサで、人類史上空前の大規模な 「民族浄化」が開始されました。 殺戮に次ぐ殺戮。破壊に次ぐ破壊。強奪に次ぐ強奪。 レイプに次ぐレイプ・・・。 チベットにはそれまで15万人の僧侶と尼僧がいましたが、 虐殺と強制改宗によって1400人に減らされてしまいた。 すべて残虐行為は、「改革解放」の名で強行されました。 ある僧侶は、大きな仏像をくくりつけたロープを滑車に通して首にかけられ、 仏像の重みを使って絞首刑になりました。この処刑は公開でおこなわれました。 ある尼僧は、警棒の形をした5万ボルトのスタンガンを 性器に入れられ、感電死させられました。 彼女の死体は裸のまま 路上に捨てられました。 一般民衆は強制労働へと駆り出され、過労死するか自殺するまで、 徹底的に働かされました。た 「強制断種」(チベット男性の生殖機能を手術によって奪うこと)。 「強制交種」(チベット女性を中国男性と交わらせ民族の血統を絶つこと)。 そして、子供たちは親元を引き離され、散り散りになりました。 死者の総数は、なんと128万人に達しました。 祖国を失ったチベット国民に、インド首相ネールはヒマラヤの街『ダラムサラ』を 提供しました。そこに亡命政府が樹立され、現在に至っています。 中国領チベットでは、今でも「民族浄化」が続けられています。 しかし、侵略の当事者である中国が国連常任理事国であるために、 国連平和維持軍は手出しができないのです。 自由と独立を訴えるチベット人は、思想犯として逮捕され、 すさまじい拷問を受けています。 ある尼僧さんは、わずか15分ほどの 平和的なデモに参加しただけで、刑務所に投獄されました。 彼女はその後、なんと2カ月ものあいだ拷問され続けたのです。 多くの男性たちが見ている前で全裸にされ、飢えた「拷問犬」によって 全身を噛まれました。 チベットの小学校では、中国共産党から派遣された洗脳教師による「仏教否定教育」が行われて います。そのなかに「殺生の実践」という宿題があるのです。 仏教徒であるチベット人は、小さな頃から無益な殺生はしないように家庭で躾けられています。 中国人教師が出す宿題とは、子供たちに毎日一匹ずつ生き物を殺して来るように命じるのです。 ムシなら1点、ネズミなら2点、ネコなら3点、イヌなら5点、という具合に採点されるのです。 http://homepage3.nifty.com/~dennoji/t_gallery.htm 長いコピペ、申し訳ないです。 2008/09/27(土) 02:25:43| URL| 優華 #ncVW9ZjY [編集] 『反論』
>非同盟中立さん 一つ言っておきますが、憲法の為に国が存在してるわけではないです。 時代や国際情勢の変化によって、不具合や支障があまりにも大きいのであれば 柔軟に考え論議し改正することも必要です。憲法に明記があるからこれを 永遠に守り、他国が侵略してきても抵抗しない。そして領土は奪われ 国民は殺され。これでは本末転倒といわざるえません。あなたが言ってるのは、まるでお花畑の世界であなた自身の理想論でしかありません。現実に起きてる紛争や過去の歴史から目を背け、口当たりの良い平和という言葉に浸って思考停止してる人にしか見えません。 こんな簡単なことがわからないのですか。 あるいは意図があってわからないふりをしているのか。 私から言わせればそれは、貴方の方です。もう少し他の方のコメントをよく読まれたほうがよいですよ。 2008/09/27(土) 03:08:42| URL| dorapong #- [編集] 『反論』
憲法9条で平和が守れる? 馬鹿な事を言っちゃいけない。 >> 非同盟中立 まず、丸腰で、戦闘中の中に入って行き、憲法9条を唱えて、撃ち殺されることを実践してください。その信念を表現するために。 場所はチベットでも、トルキスタンでも、イラクでも、アフガンでも、南米のテロリストの地域でも、世界中どこの戦闘地域でも構いません。 まず自分で証明すること、人を陽動しないこと、人を撹乱させないこと。 憲法9条で平和が守れる? 馬鹿な事を言っちゃいけない。世界中の誰も憲法9条のことなんか意識していない。そんなものあろうが無かろうが、本気で日本を取る気になった国はただ侵略して取るだけだよ。相手のことを慮って戦争する奴が何処にいるか?相手が平和主義者だからと言って893が手加減するのか? マフィアが手加減するのか? 取る物取られて終わりだよ。それが世界の現実、常識。それが良いとか悪いとかじゃなく、それが現実なのだよ。 (略) 2008/09/27(土) 04:13:47| URL| kuni9292 #QwSW7b4g [編集] どちらの意見が説得力を持つか説明するまでもない。 市民運動連中が出した小学生向けの本「武力で平和はつくれない」からも影響を受けていることが分るこの「非同盟中立主義者」はコメントするブログを誤ったようだ。 幼稚な仲間同士で「お話し合い」していたらよかったものを完膚無きまでに叩き潰された。 >国家はできない方がいい(世界はひとつとでもいいたいのか、幼稚の極み) それにしてもこのような左翼思想に影響を受けた輩が我が国に大勢いるということは深刻な問題だ。
自分の国は自分で守るというあたりまえのことさえ言いにくい我が国を異常と気づかなければ・・ |


