銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話(アメーバに引越しました)

去年は70の山を愛し、今年は100の山に恋をする・・・不動産・人生相談・株に経済なんでもござれ!!

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 自民党の勘違いした馬鹿議員たちがさっそく雁首並べてヨダレを垂らしているところだが、いま我が国の置かれている状況はそんなヨダレ垂らしたちとは無関係に、大きな渦巻きの中に巻き込まれて行っている。
 まだ、政治がなにかをしてくれると信じている国民が過半数はいるのかどうか?
 第二次世界大戦が終わって、それからずっとほとんどの期間を政権与党で過ごしてきた連中やその2代目3代目には、戦後初めて訪れている喫緊の危機的な状況が見えているものは一人もいない。
 いま、自民党の連中がなにをやって日々を過ごしているのかご存知か?
 ヨダレかけを大きくして、新調してるとこだ。
 政権の座を追われた民主党の連中はなにをやっているのかご存知か?
 大差のない、阿呆面さげて彷徨っているがな。(爆)
 これだけは言えること、彼らにとって大事なことは、日本国のことではない。
 
 戦後何年が経ったのだろうか?
 われわれの年代が見てきた素直な話をすれば、成人として戦争に行った爺様やその兄弟の世代は、生きていれば90歳〜100歳を越えている。
 われわれの親の世代は戦時中は学生だったものがほとんどで、多感な時期を過ごしていた年代だが、実際に人間同士の殺し合いをやってきたものは少ない。
 その世代が戦争を語るのと、実際に殺し合いをやって来たものが語るのと、われわれは年中その両方を身近で見聞きしてきた。
 実際に現場で生死を賭けて彷徨っていたものと、雰囲気だけで興奮していたものの違いを、痛いほど感じていた。
 数え切れないほど部下や敵人を殺してしまった爺様なんかは、大酒を飲み、獲って干したマムシを肴に、オモシロ可笑しく話すことでしか救われないような苦々しい想いだった。
 その妻である婆様は、今年で100歳になりまだ健在だ。
 いまでいう亀井静香さんのもっと前の時代のおなじ地域で、戦後政治の世界に入った豪快無頼な爺様が58歳で亡くなってから、なおも半世紀を婆様は生き、もう爺様のことなんか忘れ果てて悠々と笑っている。
 冷静に良いだの悪いだの、偉そうに戦争を語っていたのは、決して親には頭の上がらなかったその子供の代になってからだろう。
 われわれはそんな光景をしっかりと見てきてる。
 爺様には、良いも悪いもあるかいな、行けば殺し合い、行かなければ非国民で殺される、そんな状況で善悪の判断なんざあるもんか・・・それが戦争というものだと教わった。
 そのうち身近なものらが殺されて、恨み辛みの復讐心だけが燃えあがり、ただただ殺されない為に殺しあう、そんな毎日を送っていたという。
 海軍の士官として何度も出撃していた爺様の、戦時中の血で黒く汚れた日誌を俺はもらって読んでいたことがあるが、鬼気迫る描写や、もう駄目だという時の滑稽なまでのジョークや、部下への思いやりと、祖国に残した家族への思いやら・・・読むほどに背筋が伸び、正座してしまうほどに生々しかった。
 最初の孫だというので、可愛がってもらった。
 風呂に入れば銃弾をうけて穴があいたまんま身体中の傷を見せてくれ、指を入れて遊ばせてくれたりもした。
 母の実家の近くを走る山陽本線の蒸気機関車を、爺様に抱かれて見に行っては、その地鳴りする轟音に手足をバタつかせて喜んでいたのを見て、ワシに似たかな? と嬉しそうだったと幾度も聞いた。
 乱暴で野生なのは、似たのかも知れない。
 人間だけでなく、生き物である以上、誰も好き好んで殺し合いをする奴はおらんがな。
 いま、右翼を叫んで、近隣諸国を刺激して喜んでいる連中は、そんな戦時にヨチヨチの子供だった連中なんだな。
 それが言いたかっただけだ。(笑)
 靖国がどうのと喧しいが、死んだ爺様だったらなんと言うか? 
 黙って鼻で笑い飛ばして終わりじゃ〜ないのかえ?
 
 神棚・仏壇というものは、高価なものや綺麗に掃除をしておればそれで神や仏が宿るというものでもない。
 そこに集い、手を合わせ、感謝の気持ちを表すものが、日々の生活でどんな他人や社会との関わりを持って生きているか、その答えとして神や仏は宿ると考える。
 供養や積み重ねたものが足りないとなれば、どんなに正装して着飾っていたって、狐や狸しか宿らない。
 そんなもんさ。
 勘違いしてるド阿呆が多いから、奥山の頂の祠で神々と語り合ってばかりいるオジサンが本当のことを言っておく。
 
 働かないこと・無職でフリーターであること・職を転々とすること・・・これらが悪いことのような言い方をする世の中がずっと続いているが、ぜんぶが全部、ミソも糞も一緒に論じるのには俺は疑問があるし、自分たちは働きたくないのに生きるために我慢して働いているんだ! という嫌味なだけの欲求不満の捌け口を、そこに持っていっているだけだとも見える。
 俺の時代はもっと酷かった。
 転職することやアルバイトを続けることや増してや離婚をすること自営を細々と始めることでさえ・・・すべてが悪であり醜いことだという社会や世の中だった。
 そんな時代に、俺はその悪と言われていたすべてのことをこなし、もっと凄まじい生き様を晒して生きてきたが・・・醜く大悪人となって社会からは見えているんだろうか?
 そんな現代でも、俺よりも若い世代でも、そんな根拠の無い倫理観に蝕まれているのをあちこちで目にするのは、ある意味で驚きでもある。
 金のためだけに今を生きる・・・これは投資家や運用家のやってるギャンブルと大差の無いことだ。
 そんな労働ならば、無職でいることとなんの違いがあるんだろうか?
 既得権益や大企業を批難しながらも、そんな大企業の駒となって食う為だとロボットのように働いているのが多いが、結局はおなじ穴のムジナ、なににも拠らずに独立し自営を始めて、そこでずっと戦いながらも社会や他人との関わりをこれでもかと抱えこみ、そうしてもっともっとと拡げていっている自営業者もいる。
 そんな俺なんかから眺めれば、社会で敵対しあってる連中の全部がぜんぶ、敵にしか見えないがな。(笑)
 黙ってはいるが、貧しくとも毅然と生きている者だってたくさんいるんだぜ。
 やたらに将来や未来の不安を煽って、いまを生きることの意味に、そんな先の為の老後の為の保険のような意味をワザワザ持たせて、考えることよりも今を流されることを選ばせる。
 すでに現代社会の小道具に成り下がっているものも多い。
 安易な批判や文句や愚痴は、その人の人となりをすべて曝け出してくれる。
 あぶり絵のように、見事に浮き上がってくる自分自身の愚かで醜い姿に、貴方は気がつかないのか?
 
 働くことが美徳だとか、働く姿が美しいだとか、これはその本人が言うべきことではないのが本当だ。
 働くことが本当に好きな人たちは、他人が働かなくとも、別に気にもしないでいる。
 あんたらが働かなくたって、わたしがその分も働いてあげるよ! そんな感じで生きている。
 俺も、実はそういうところがある。
 だからといってなにもそんな自分を偉いだとか、美徳だとか、優越感の薬にしている訳でもない。
 若い頃はずいぶんと無茶やって、遊び呆けていたことだって半端ないくらいにあった。
 その反動でもないだろうが、いまは一日20時間は起きていて、あれやこれや動いているが、それが居心地が良く、好きなことだからなんだな。
 そこまで働かなくとも喰っては行ける。
 他人のことなんざ興味も無く、京橋公園のホームレスの浜さんにまで・・・あんたはよく働くな〜! と始終言われて・・・浜さんも喰わしてやらんとならんからにゃ〜・・・と、食い物や暖かいものを買ってやっている。
 働かない連中を見ても、べつに腹が立つこともない。
 それぞれが負っている宿命や業や、その時々の役割というものがあるんだな。
 
 もっと大人とは大きな存在だろう。
 世界中を喰わしてやってるというくらいの心持ちになれないもんかね。
 それがまた愉しいことなんだがね。
 

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