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花見の場所取りは新入営業社員の初仕事だったんだが、今年は入社式の前には散ってしまってるんだろう。
大自然の動きもずいぶんと忙しないことよ。
帳尻合わせがどこで起きるのか? それが今年の年初からの心配だが、万物の帳尻合わせが今年になるのか来年になるのかは・・・オテントウさん次第。
3月期末決算を迎える企業は多い・・・俺んとこは1月末だが・・・それには深い深い訳がある。(笑)
大企業が国に寄りかかり、政治家や官僚や学者や評論家がヨダレを垂らして大企業にしなだれかかり、大企業の社員は社に命運を賭け・・・これでは文句を言ってる世の中社会は変わるはずもない。
言ってることと、やってることが正反対。
・・・あんたなんか大嫌い!
・・・顔もみたくない!
でも、あんたがいるから文句が言える。
幸せな、ご夫婦だこと。
よく昔から文系だの理系だのと区分けすることが多いけんども、人間社会のお話は文系だと考えているものが多いが、実際は数学や科学よりも論理的なのが本当だ。
それぞれが持てる言葉や単語を元にして起きる感情や思惟というものは、これはその持てる言葉や単語しだいでどうにでも変わってくるとも言える。
裏返せば持てる言葉や単語を育った家庭や環境から無条件に受け入れてきた自分を一度すべて否定し、いまの自分や世の中に合ったものと入れ換える作業をすれば、ずいぶんと違った日々が始まるとも言える。
俺のような寄り道・道草がすなわち生きることだと考えているものでも、そんな日常を手に入れるのに半世紀かかっている。
変幻自在に自分を変えることが出来るには、そのくらい大変なことだし、トリモチのようにベタベタまとわり付く社会では、これは常に意識していなければ出来るものでもない。
増してや坊主や学者のように隔離された場所で生きている訳でもないから、ずんずん変わって行く世の中にいてそれを為しえるには、相当な犠牲も強いられるわけだ。
有名人だとか著名人というものが通用しない街が青山であり銀座でもある。
そこで何十年も周旋屋をやっていると、資本や金の無いものほど有名になりたがり勲章を欲しがるということがよく解かる。
金を持っている連中は有名である必要はなく、勲章もいらない。
金持ちになりたいがために有名になりたがり、勲章を欲しがっているわけだ。
ところがそういう類いの連中には悪いが、しょせんは使いっぱしりの看板に利用されてしまうのがオチでもある。
山では雪が降り積もっている。
そこで生きる動植物たちは、変化の激しい日々を強いられて逆に鍛え上げられる。
冬ばかり、夏ばかりの季節より、俺にはずっと愉しいことなんだが・・・。
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