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昨日の夕方、近所の子供が銀座の地下を抜ける高速道路に下りて上がれなくなってると聞き、仕事を置いて行ってみると、破れた金網の隙間から2mばかりの石壁の下に小学1年生のやんちゃ男児が立っていた。
・・・飛んだのか? 怪我は?
・・・だいじょうぶ
下から持ち上げてやり、俺も垂直の手がかり足がかりのない壁を腕力だけでよじ登ったら、山登りをやってる癖に首が痛くなった。
大自然が遠い都会の冒険ゴッコは、こういうアクシデントも起こしてくれる。
戻った店では今度は小学生同士が取っ組み合いの喧嘩をはじめて、靴を投げ始めたからみなを怒鳴って公園でやれ!! と連れ出した。
元気が良いのはわかるが、発散する場所がないのは可哀相でもある。
頭デッカチで物わかりの良い都会の子供たちばかりではなく、俺のとこに集まってくる子供たちは田舎のヤンチャ坊主みたいな運動神経の良いのが多いから、楽しくもある。
みないずれこの銀座を肩で風切って歩くような、そういう男になれば良い。
取り巻く大人たちが足を引っ張らなければ・・・の話だが。
深夜になって、今度は老いた小犬の散歩に出てきたお婆ちゃんがやってきて、金ばかり目当ての子や孫の愚痴を聞かされた。
・・・ぜんぶ売って俺に寄付してしまえば良い
・・・いやよ! あたしが苦労して作った財産だから・・・
・・・そんなこと言ってるから、子や孫がそうなる
・・・子供に罪はないから、子供はかわいいから・・・
大人たちの都合の良い甘ったるい逃げ口上・キレイ事はよく聞くが、親や爺婆やそのまわりの環境がアホだったら、その子供もよほど自覚がなければおなじようになるだけだ。
同情の余地はない。
仕方のないことだし、そうやって自然界は長い歴史を刻んできてる。
それとも、死ぬまでメンドウ見てやれるのか?
・・・うちは爺婆が、親が、兄弟が、親戚が、りっぱだったから・・・
そんなことをワザワザ言う貴方を見ていると、とても立派な血筋には見えないが?
誇りではなく、埃だろう。
立派だったとしたら、その人たちをただ貶めてるだけだ。
恥かしい。
俺は身内はぜんぶ否定して生きてきてる。
頼りにはならないし、どれもこれもたいしたのはいない。
最高学府を出てるのがゴロゴロいて、社会に出てもそれなりの肩書きを持ってるものらはゴロゴロいるが、どれもこれもたしたことはないのがゴロゴロだ。
なぜ、そこにいる裸の貴方で勝負できないの?
これが世の中社会に充満している反権力・反体制の根っこに見えてる。
俺はどっちにも属したくは、無い。
夏の海水浴場、裸ひとつでまわりを見回して、波打ち際でチャパチャパやってる馬鹿造たちを尻目に、俺について沖まで泳いで来れるものはいないのか?
と、そういう思いで泳ぎはじめる。
ロクな大人がいない。
山を歩いていてもおなじだ。
無論、街にいるともっとそう想う。
そんなことだから子供たちは安心して反抗も出来ない。
子供たちに同情され、可哀相にと思われてる大人たちばかり、哀れこの上もない。
強がりや自惚れという言葉は、自信の無さから生まれてくる言葉だ。
お笑い草だ。
そんなテイタラクで、景気が良くなる?
自信を失って、不安を隠そうとばかりしてる大人たちが今、金(ゴールド)の現物に群がっている。
紙切れがただの紙切れに見えるとき、人々はそんな行動に出るんだよ。
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