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最近 不景気な 話が多いですね! 景気が悪い 景気が悪い 景気が悪い!!!!
新聞やニュースを見ていると、世の中の景気が悪いこと、政治の悪いこと、不安だらけで、なにかいいこ
とないかな と言う声も 周りで聞くことがあります
でも、そんなひとがいう いいこととは なんでしょうか?
景気が良かったころ、バブル絶頂期だったころ、あのころは良かった という人もいます。
あなたは 世の中の景気さえよければ あなたにとっても良くて、 悪ければ あなたにとっても悪い
とお考えですか?
ちょっと極端でぶしつけな質問の仕方かもしれませんが、 あえてこう問いかけるのは、 私たちはよく
良いことも悪い 悪いことも良い としていることがあるかもしれないという ことについてお話したいからです。
一般的に、世の中で幸せの基準としがちな、物事をここであげてみるとします。
そこそこお金があること、健康であること 恋人や 家庭があること そこそこの学歴があること そこそこの社会的地位(職場)があること 容姿端麗なこと 秀でた能力があること(スポーツ、その他) 有名なこと 長生きすること 若いこと 友人がたくさんいること・・・・・・・・・・・・・・
あげればまだいろいろでてくるかもしれませんが
幸せの条件として、これらのことがある程度満たされていれば、幸せだと考える人は少なくないと思います。
でも、もし これらが満たされなかったら 不幸でなければならないのでしょうか?
今 挙げた 幸せの基準を すべて 不幸せの基準として、 〜ないこと とした場合
金もない 恋人もない 健康もない 友達もない 社会的地位もない 能力もない 若くもない・・・・・・・・etcとなり、
なにか 絶望的な 響きに聞こえてしまいます。
もしこれら〜ないを深刻にわたしたちが悲しむとすれば、 それそのものが影響を与えるより先に、不幸を大いに背負い込むことになることでしょう。(健康の場合はあてはまらないことも多いでしょうが)
実際私自身、これらのうちで、ひとからみればなんだそんなこと といわれるようなちっぽけなことでも、大いに思い悩み 苦しんだ ということは、数々あります。自殺を考えたりしたりする深刻な悲しみだってあることも理解できます。
どんなひともそういうことがまったくないとはいえないでしょう
〜ないを 〜ある にするために 努力するのは良いことかもしれませんが、 それらが手に入らなくて、それを悲しみとし、それをためつづけていったとしても・・・・・ とても益になるとは思えません。
実に世の中が不幸とすることの悲しみの行き着く先は 死 です。
おわかりだとおもいますが ここで言う 死 とは 精神的なものも含まれています。
精神的な死は 外からは見えにくいものですが、実は大問題で、人は 常時 このことと戦っているといっても過言ではないでしょう。 元気 か 元気でないか あいさつにもなっているほどに!
だから、 私は言いたい、 みなさん 世の中の 悲しみの基準に だまされないようにしましょう!と
私は (信仰により)神様の基準を基準とし、 世の悲しみがもたらす死をも わたしたちのかわりにすでに自ら担ってくださった主イエスにその荷を肩代わりしてもらうことを教えてもらいましたから・
もしあなたがそれら世の偽りの悲しみの基準に、悩まされているとしたら、どうかあなたは悔い改めてください。たとえば
「神様 わたしは わたしの容姿が見栄えがよくないことで悲しんでいましたが そんな偽りの基準で悲しんだことをどうか許してください わたしの容姿でわたしを差別する人を赦します。またそんなことで悲しんでいる多くの人を憐れんでください。そんな悲しみからは解放され、わたしたちがあなたの前に悔い改めるための、御心に沿った悲しみを 悲しみとすることができますように」と・・・・
また 「バブル景気を喜んでいたことを悲しみ悔い改めます」などと・・・・・
死をもたらす世の悲しみは 実に 神の基準と違う ことを基準としている ことに原因があります。
それを聖書は 罪 であることをさとしてくださり、罪が罪としてあらわになるなら、神はイエス様による解決を用意されておられます。
「誰でも罪を犯すものは罪の奴隷です。」 とイエス様が言われたとおり
この場合 神からもたらされない偽りの世の悲しみは 罪 であって、だからこそ、それはあなたを縛り、コンプレックスなどをもたせ、更なるダメージを与えようとするだけのさらなる悲しみを植え付け、精神的(霊的)死を与えます。
けれども、「もし 神様の教えのうちを歩むならば 真理を知り、真理はあなたがたを自由にする」と言うイエス様の解決は 神の教えの基準に沿った(神の御心に沿った)悲しみをもつことによって、 神の前に悔い改めを生じさせ、あなたの 精神的 死 の重荷はとりのぞかれ、 かわりに神からの霊的解放や平安を得ることができるのです。
イエス様は あなたを精神的、肉体的にも 死にいたらせようとする すべての世の偽りの悲しみのためにも(実に病気のためにも)死んでくださったのです・・・
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実際、とても悲しかったり恐れたりすることの多くは、神様の目からは大したことはないのでしょう。ガリラヤ湖に大暴風が起こり、舟が沈みそうになったときに、主イエスは「なぜ怖がるのか、信仰の薄い者たちだ。」と弟子たちを叱りました。でもすぐに言葉を発し、風と波を鎮めたとあります。(マタイ福音書8章)「人知をはるかに越えたキリストの愛を知ること」(エペソ3:19)ここから不要な悲しみ恐れを感じない生き方が始まり、「信じるものに働く神のすぐれた力」(エペソ1:19)これにより、巨大な不幸や苦難(自分のだけでなく人々の)さえ打ち克つことができる、というのが我々の信仰です。
2009/2/14(土) 午前 10:32 [ saitomex ]
アーメン!!! 神の力が実際に働くからこそできることですよね!
僕は今ではそういわれることはあまりないのですが、昔はとてもとても内気で、コンプレックスのかたまりやら、ひきこもりやらうつ病やら(そういう診断はされなかったけれど)ひととおり 経験したと思っています。 弱いといわれればそれまでですが、 現代社会、いろいろな精神的ストレスや悩み、苦しみを抱えて いる人が多いのも事実です。(ストレスをいろいろな発散方法などで、忘れることができるのが強い人という風にも思いませんが)
キリスト様にあって 明日のことを思い煩わず 一日の苦労は一日で足れり、と イエス様の言われる、彼から与えられる負いやすいくびき(課題)を負い、軽い荷を背負って、学びつつ生きる 神の命に歩む生き方をする。 その生き方をキリストを信じるものはすることができます(神の力により)。 神様は わたしたちに この時代にあって、 イエス・キリストという道があるではないか! と絶えず教え諭そうとしておられます。 イエス様にある自由人(フリーター?)ハレルヤ!!!(万歳!?の代わり・・・)
2009/2/14(土) 午後 10:08 [ 虫けらのヤコブ bichinho de Jaco ]
「世の中の 悲しみの基準に だまされないようにしましょう」ってそのとおりですね。またわたしたちは肉体の死をこの上なくおそろしいものとして恐れていますけれど、そうなんだろうか。肉体の死よりも怖ろしいものの真の恐ろしさを知らずに平気で近寄っている気がします。
2009/2/15(日) 午後 8:28
「主を恐れることは知恵のはじめ」 という御言葉・・・
わたしは真に主を恐れることを 悪を恐れることよりできたならば、どれだけ多くの背信をせずにすむことだろうと 思うのですが・・・
いまだ 主を真に恐れるという レベルと遠い自分です。
2009/2/15(日) 午後 11:22 [ 虫けらのヤコブ bichinho de Jaco ]