診察の道草に

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秋入学の失敗

 東大の留学生対象の秋入学が始めて実施されましたが、予想に反して辞退者が多かったということです。、否、予想とはあくまでも「東大の予想」で、実は私は周りの人に秋入学は思惑はずれということを言っていました。9月に入学式をする、ということ自体、東大の先生方に海外の大学に正規に入学するような留学体験がない方が多いのではないかと想定されます。なぜかというと、秋入学といっても9月に始まる訳ではないのです。
 私自身の留学体験からいって、新入生のオリエンテーションはすでに7月に行われます。9月の新学期開始までに選択科目の決定など時間をかけて行う必要があるからです。秋入学ですべてが9月から始まるのは高校までの話です。その実態を知らなかった、としかいいようのない対応です。だから、先に決定して始まる欧米の大学に流れても当然です。だいたい、秋入学だから願書は夏だとおもってたらこれも大違いです。1月頃には締め切って、時間をかけて選考するので合格発表は4、5月頃になります。頭だけの思いこみはこわいですね。
 もうひとつ大事な要素があります。海外の学生が大学を選ぶ基準は入学偏差値でも研究論文数でもありません。教育力です。いくら偏差値が高いといっても教育に熱心でないと魅力を感じてくれません。もちろん、就職率や就職先を強調しても海外の学生にとってはあまり意味がありません。教育する時間があれば研究したいような先生方が多いところに魅力は感じてもらえないのです。私の留学したジョンズ・ホプキンスでも教授陣の教育に対する評価がなされ、サラリーにも影響するので熱心です。そういうところは研究至上主義で研究室にしか行っていない方々には見えないでしょうが。今までの日本の大学に対する評価は入学偏差値が一人歩きしてしまいました。入学が難しく卒業は簡単といわれる日本ではそれでよかったかもしれませんが、入学より卒業が難しい海外ではそうではありません。むしろ入学時の学力が低かった学生が立派な成績を修めるように教育することこそ大事だと思いませんか?因みに、偏差値の一番高い東大の医師国家試験合格率は今まで1番になったことはありません。最近では中の上ぐらいです。京大などは真ん中の40番程度にしかなっていません。これで教育力があると言えるでしょうか。むしろ偏差値が低くても合格率が高いほうが立派な教育をしているのではないでしょうか。

専門職大学院とは

 本日の読売新聞に教職専門大学院が思惑がはずれて大きく定員割れしているという記事が掲載されていました。法科大学院もそうなのですが、何よりも専門職大学院 Professional School とは何かがしっかりしていないのが原因ではないでしょうか。
 
 そもそも教職の大学院とは何か、そのモデルをアメリカに取って言っているとしたら、教える技術や知識を教えるところではありません。以外に思われるかも知れませんが、それらも教えていますが主ではなく、大事なのは教育現場でリーダーシップを取れる能力、つまり運営経営能力なのです。これは他の専門職大学院でも同じと言えます。ビジネススクールがビジネスをリードして経営する能力を育成するのと同じく、教職では学校を、公衆衛生では保険医療組織機関を運営経営し、ロースクールでは法律を運用する能力を養う、管理能力についての教科も含まれます。表面的な知識技術ではなく、これらの専門職大学院の根底にある精神を知らずに制度を作っていては失敗するだけ(実際に失敗しているが)です。
 
 中世の大学では学生がまずとる学位が学士 Bachelar ですが、それを終えると修士 Master を目指します。この学位を取ると大学で教える「資格」ができるのです。さらに専門的(当初は、神学、法律、医学)な職につくために上級の課程を修めると博士 Doctor の学位を授かり、これらの職につく「資格」ができますが、同時に専門課程で教える「資格」もできるのです。Doctor の語源は「教える」という意味なのです。ですから日本のように博士号も持たない大学教授がいるなどはナンセンスで、アメリカなどでは大学の教職の資格と考えられています。Bachelarの課程はやがて分離され中等教育となっていきます。ですから欧米では高校の教師で修士を持っているのも多いのです。しかし、これらは自分の学んだことを教える時代はそれだけでよかったのですが、教えること自体を学ばないといけなくなってきました。これが大学学部で教職課程が導入されたきっかけです(なお、アメリカでは日本のように明確な「学部」はなく、4年制のundergraduateはすべてが教養学科とも言えます。ただし、専攻による専門性はあります)。もちろん、博士課程でも教育助手 Teaching Assistant, TA などをして教えるノウハウを学ぶことになっています。博士とは教える資格なのですから。
 これらの流れとは別に、教科の教育ではなく、学校組織そのものの管理運営も学ぶのが教育修士なのです。ですから、この学位は管理する資格なのです。現在のアメリカではこの学位を持たないと校長に採用されません。MBAがないと会社のCEOなど重役になれないのと同じです。病院の院長もMPH(公衆衛生修士)がないとなれないし、政府機関の管理職も行政学修士がないとなれないのです。これらはすべて管理運営を学んでいるので「資格」として考えられているからです。
 日本はまったくこの点が無視されているようです。学位とは「資格」なのです。縦割りの文科省的には受け入れられないことでしょうが。
 
 専門職大学院の制度形成にどれだけ欧米の専門職大学院卒業生が関わっているでしょうか。どれだけ専門職学位を取得した物が教授職についているでしょうか。ほとんど皆無のような気がします。「大学とは学問するところ」などと言って、「資格」としての意義に心を砕かず、自分たちで何とかなると思い上がった大学人だけでは失敗するのは明白です。実際、どれだけ「大先生」の意見に左右されて日本の政策が失敗してきたことでしょう。多くの大学教授は留学しても研究室に研究のため行ったのであって、正式な教育を受けるための留学ではありません。明治維新の先覚者たちとは大いなる違いです。今まさに留学者数の低下も言われている時、これら欧米で専門職大学院卒業者を積極的に採用したならば、留学者も増え、視野が開かれた大学人も増えるはずです。私自身もそうですが、聞くと見るでは大違いで、アメリカの専門職大学院で学んで始めてわかることも多いのです。
 ある統計専門家のブログ(URLなど忘れてしまいました)によると、国立大学医学部の財務諸表より割り出した医学生ひとり当たりの費用が、3000〜4000万円であったということです。つまり私立医大の6年間学費分は必要経費であるということです。ということは国立の学費との差額はどうしているのでしょう。言わずもがな、国庫、つまり国民の血税から払われているのです。来年度予算の概算要求でも兆の単位で計上されています。
 これほどの税金を使って教育しても、地方の国大卒業医師が東京など大都市に流れて地方の医師不足が加速している現実はよいのでしょうか。以前、地方の国大の研修医にインタビューする機会があったのですが、学問するために選ばれた自分たちに税金が使われているのは当然、という奢りが見られました。公立大学の研修医は、医師として地域に貢献することを求められているので税金が使われている、という謙虚さがありました。
 
 地域に留まらない国立出身医師には、防衛医大や自治医大のように差額を納入させてもよいのではないでしょうか。そうすれば、地域医療に対する志を持った学生が集まって、地域医療格差の是正に役立つと思います。
 同様な主旨で地域枠を設けても定員割れしているのは、元より格安の学費を目当てに大都市から受験生が集まってきているということもあります。それならば多少強制力を持った政策も考えなくてはなりません。運営費用だって他に回せることにもなります。・・・・・・もっとも文科省が国立大学への影響力を維持したいために予算を手放せないのなら改善もしないでしょうが。

医学部地元枠

地方の国立大学医学部の地元優先枠が軒並み定員割れだということです。
 
地元優先枠は地元高校出身者が一定の期間その県内に留まるという条件で奨学金も出るものですが、それが埋まらなかったのはひとつには学力が達していなかったということがあります。確かに大都会の高校生は予備校などの受験環境もよく、常に高い競争にさらされています。しかし、その学力とはあくまで受験のためのものでしかなく、それだけで優劣が決められるものでしょうか。地元優先枠とするなら、あえて入試学力ではなく高校の推薦やOA入試などの方法をとるべきではないでしょうか。アメリカではマイノリティ優先枠がありますが、あえて学力よりも定員を埋めることを優先しています。なぜなら、それらの人々はそれまでは教育などの機会も少ないので学力が低くてもしかたがない、しかしいつまでもそのままでは悪循環となるので底上げをする意味でもあえて高度な教育を受ける機会を与える、という主旨で枠を設けているからです。
 
次に、地元に留まるという義務を嫌がる傾向にあるのも原因と考えられます。どうしても人口差のために経験できる疾患の例数にも差ができるので、大都会で研修を受けたいというのも本音です。それならば研修後に帰ってくるのでも容認してよいのではないでしょうか。
 
そもそも、私立大学の学費が高いのは儲けているからなのではなく、それだけ高等教育は金がかかるものだからです。そもそも高い高いといってもアメリカの大学に比べれば半分以下です。国立大学が安いのはその差額を国民の血税から拠出しているからです。それならば国立大学医学部の学費をもっと高くして(国立大学法人になったので大学毎に決定可能)地元出身者には奨学金を出して安くしてはどうでしょうか。さらに東京などの大学に行く地元出身者も帰ってくることを条件に奨学金を出して私立でも国立並の学費で行けるようにしてはいかがでしょうか。このようにもっと地元に窓口を広く開けることこそ大切ではないでしょうか。

名誉博士

またとある人物の何十個めかの「名誉博士」授与が誇らしげに広告されています。何でそんなに名誉博士や名誉教授が授与されるか不思議に思われませんか。「偉いから」という答えは関係者ならするでしょうが、一般の日本人には理解し難いでしょう。でも諸外国では当たり前のことなのです。
 
そもそも日本の大学は奇麗事が多すぎです。また極度に権威主義です。名誉博士は国際的な偉業をした人に「与えてやる」ものでしかありません。いや、むしろ「偉い」からもらっていただくのかもしれません。それによって大学の権威が高まるということでしょうか。そして滅多には授与しません。だから日本では名誉博士をもらう人は「偉い人」ということになります。まあ、そもそも「末は博士か大臣か」という言葉が示すように、律令制度のハカセと近代西洋大学制度のハクシが混同されているところにも問題はあるのですが。
 
諸外国では博士は大学教員資格のようなもので、日本ほどもったいぶらないものです。名誉博士にしても毎年数名に卒業式の時に授与されます。そんなに毎年「偉人」がいるわけではなく、彼らは大学に貢献したから授与されたのです。そしてその「貢献」の主なものは寄付です。つまり大学に多額の寄付さえすれば名誉博士がもらえるのです。これがいくつもの大学から名誉博士が授与されるカラクリです。それが証拠に国内の大学からは関連ある特定の大学以外からは授与されていません。
 
でもこの寄付により名誉博士が授与されることは決して悪いことではありません。そもそも諸外国、特に米国での認識では、大学は教育ビジネスです。よい教育こそが商品であり、それを提供するためには何でもします。学位はその商品の証であるとともにツールでもあるのです。だからそれで寄付を募ります。講堂や学部名にさえ寄付者の名前をつける、「冠」は当たり前です。しかしその寄付は何も理事長のポケットに入るのではなく教育や研究の充実として還元されます。学生にも学費の減額や奨学金の充実というメリットがあります。国庫補助や親の懐ばかり当てにしている国とは大きな違いです。
 
金のある人には寄付の代わりに名誉を与える、奇麗事好きの日本人には無理な話でしょうか。

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