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海はかわらない ケータイ投稿記事

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昨日は祖母の一周忌。
菩提寺は鍬ケ崎の山腹にある。
境内からこうして写真をとれば、なにも変わらずいつもの港町。

だが、正面の急坂越しに下を見れば、何もかも持っていかれた町並みが現れる。

お盆には本家に集まって、夜には松あかしをして、花火にアイス。

朝から墓参りで急勾配の坂を登り、お墓でも花火をした。
懐かしい子供時代。
本家の客間の襖や天井の模様。
お盆だけにつけた香時計。

もう見ることもさわることもできなくなった思い出たち。

新しい町並みが生まれたら、新しい思い出も生まれるだろうか。

宮古市田老にて ケータイ投稿記事

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小さいながら、道は碁盤の目に走る。
何度も津波にあい、それでもここで暮らしてきた人たち。

鵜住居にて ケータイ投稿記事

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薄青い夕暮れ。

ここから見えるものは
線路



あるべき灯りが失われて
もうすぐ8ヶ月。

高校生のがんばり

宮古にはヨットハーバーがありました。
高校生を主力に、小学生からセイリングを楽しんでいました。

以前は三陸沿岸の高校には軒並みヨット部がありましたが、
少子化の影響もあってか、現在岩手で活動しているのは主に宮古となっていました。


しかし、津波でなにもかもなくなりました。



生徒たちが無事だったのが奇跡とでもいえるほど。



長い春休みの間から、生徒たちはハーバーの周囲の海岸清掃や
基礎体力作りなどに汗を流し、
窮状を知った全国の仲間からのご好意で徐々に艇や必要な資材が届けられ、やっと、海にでる事ができました。

そして、わずかな練習期間を経てのインターハイ。




本来ならば宮古で行うはずでしたが会場も秋田に引き受けていただき、開催する事ができました。


精一杯の頑張りで、入賞する事ができました!!



宮古高校は母校です。
そして、宮古商業高校もワタシにとっては大切な学校です。


どちらの生徒たちもひたむきにがんばりました。



生徒たちと指導した先生方の努力、心の強さ、
手を差し伸べたくださった皆さんの気持ち、
何も無いところから生み出された力に感動しました。



5月のある日、ヨット部のOBくんは言いました。
「後輩たちのためにどうしても、自分たちで艇を2台は
寄附したいんだ」

きっと、やってくれる。


読売新聞より






月イチの釜石

雨模様の中、いつもよりちょっと早めにうちをでて、
45号線を南下し、釜石へ。


なるべく被災していない道路を使って移動するように心がけてきたけれど、今日は意図的に被災した場所を選んで通る。


来月のシンポジウムに向け、復旧の様子などを目で見て
考えるために。


先月通った時にはベッドのマットレスだったものが、
今日はボロボロの固まりに。

まるで廃車になった車を圧縮したようにしか見えないけど、
まだナンバーがかろうじて見える車。

今まさに、解体されつつある建物。


埼玉や、北海道や、大阪や、神奈川や、秋田や。
夏休み返上で任務にあたる警察官の方々。



5ヶ月という時間は同じに流れたはず。

宮古の街の中は比較的早く商店街が復旧し、
人の流れもできた。

しかし、南へ行けばいくほど、被害が大きくなり、
復旧にはなお時間が必要に思われる。
そのなかで、山田には仮設の店舗や以前の店舗を改修して開店した大きなスーパーが、人の流れを作っていた。


釜石でも市民会館に近いメインストリートでは
先月は開いていなかったお店が開店していたり、
再開に向けて作業する人たちを見かけた。


こうして、街は少しずつ、前へ進み始めるんだな。





お盆にはいつもはなかなか顔をあわせない親戚にも会う。


なかに、つい二月ほど前まで漁協で働いていた親戚がいる。

あの日、魚市場から漁協ビルへ作業に使う車両を運びあげたそうだ。
目の前で起きたのは、テレビで延々と流れたあの映像通りの出来事。

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津波から1週間後には必要な資材や車両の手配をし、市場の再開を目指したそうだ。
「もっと早く再開したかったけど、一ヶ月後になってしまったよ。」

公の支援には頼らず、自分たちでどんどん発注し、復旧を目指したそうだ。
公のお金をあてにしていたら何ヶ月も待たされた事だろう。

宮古では、さっさと自分たちで動き出したという話をよく聞いた。



建設業協会は誰に頼まれなくても、津波の数日後には幹線道路の瓦礫撤去を始めたそうだ。
費用が持ち出しになってもやると、決めたらしい。
おかげで宮古には流通のおおきな道筋がついた。

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商店街の皆さんも、家族や従業員、それからボランティアの高校生の力を借りて、店舗の中から使えなくなったものを運び出し、泥を洗い流し、電気の復旧を待った。
一日でも早く、お店を開けるために。



通りに灯りがつき、店が開いているのは
とても心強く、明るい気持ちになったものだ。



いろいろな条件が重なり、街の中心部には建物が残っていてくれたのが幸いだった。



それでも、夜ににぎわっていたあたりは解体がすすみ、
更地が目立つようになった。

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中心部から少し海側へ進めば、あたりの様子は一変して、
まったく何もない風景が広がる。



これから、どんな街になるのか、
仮設住宅からでて、住む場所はどこになるのか、
漁業は、再生できるのか。
観光の街はもどってくるのか。



何が起きて、これからどうなるのか。


誰も正しい答えなどわからない。
でも、自分のためだけでなく、
隣に生きる人のためにも、
何かをしていきたいと、思う。

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