夢日記 2009−1

懐かしい人に会う。
懐かしいと言ってもしょっちゅうメールは送るので実はそれほど懐かしくない。
だがその肉体に会うのは何年かぶりだったのでその時はとても懐かしく感じた。
とはいえ、それらはすべて夢の中の話である。
だから実際に会ってはいない。
温度や質感まである高度な妄想の中で、会ったような気がしているだけである。
つまりこれは久々の夢日記である。


その人に、手帳を見せてもらう。
手帳というよりも、あれは日誌というのかもしれない。
A4の黒い合皮の装丁で金の金具が四隅についている。厚みはだいたい1.5cm、分厚い500ページ超の文庫本、あるいはハードカバーなら平均的な厚みといったところか。いい紙を使っているのか、持つとずしりと重みもある。そんな日誌を、見せてもらうのである。

まだ二月(明日から三月ではあるが)だというのに、その日誌には九月、あるいはその先十月まで、ちらほら予定が書き込まれていたのでびっくりする。なにせ明日の予定もなく生きている私であるから、その驚きはたとえようもない。
「よくもまあ、こんな先のことまでわかるものですね」
甚だ感心して私が言うと、
「わかってるわけじゃなくて、埋まってるだけだよ」
とその人は言う。

その後もぺらぺらと、なにを見るわけでもなくページをめくっていると、その日誌には予定を書き込む他に、その日何があったのかを記録する別の欄が用意されていることに気がついた。
そこですでに済んだ一月二月についてその記録を見てみると、毎日なにやら奇妙に数字だけが並んでいる。
「この数字は?」
訝しんで、けれどそうは聞こえないように、こともなげに訊ねると、
「ああ、それはね、毎朝電車に乗った時刻を書いているんだよ」
と、あちらもこともなげに答える。
それがあまりにこともなげであったため、なぜそんなものを記録しているのかという疑問の浮かぶ暇もなく、私はただ「はあ」と納得させられたふうになって、そこで話は終わってしまう。それでもやはりどこか把捉しかねるところがあり、あとでまた詳しく訊いてやろうと考えていたのだが、その機会はついになかった。

またその日誌には季節の写真や絵、図などがところどころに印刷されていた。たとえば八月の暦には、真中に大きく天文図があった。星座の配置を書いた、丸い、夜空の地図である。星座早見表の、上に重なる回る紙をとった、下の紙とでも言おうか。
それを見て、そういえば星なんてものをついぞ近頃は見ていなかったなと思い、しばらくじっとながめていたら、
「故郷を探してるんですかー?」
と、からかうような口調で(まあ現にからかわれているのだが)言われ、私は反射のように
「私はれっきとした地球人です」
と、まじめに(これはきちんと言っておかねばならないと思い)はきとした口調で答えた。
するとあちらはおもしろそうに、
「あなた、ちっとも変わってないですね。もっと上手に擬態しないと異星人管理局員につかまっちゃいますよ」
などと、私の反応をうかがうように(まあ現にうかがっているのだろうけど)言ってくる。それが実におもしろ気で、その様子にこちらはだんだん腹が立ってくる。
「わかりました。仮に私が異星人だとしましょう、たとえばアリュカシラ星第八番惑星ニャイニョニャの出身です。そこでは生物はどちらかといえば有機ではなく無機で、情報はやはり波で受け渡しします。寿命はありません。我々は半永久的に同じ姿をして進化がないのです。生きているというよりはただ在る、といった方がいいかもしれません。それで私がこの星へ来たのは、たとえばヒトの持つ知的好奇心とかそういった前へ働くものではなく、観察、あなたたちの言葉ではそういうのでしょうか、ただ物事のあり様をとらえることだけを目的としています。しかし考えてみれば目的という言葉もどこか前へ向かう含みを感じますね。先にも述べたように、我々には進化はありません、ただ在るだけなのです。だからここに在ることも、特筆すべき目的があってのことではなく、ただここに在る、というそれだけなのかもしれません」
ここまで一息で言うと、目の前の相手はぽかんと一瞬私をながめ、半ばあきれ顔で「はいはい、わかりました、僕が悪かったです」となげやりに言った。そのなげやりさ加減に私はまた立腹する。
しかし物事、怒りをあらわしたら負けなのである。敵が謝ったからといってそこで戦が終わったと思ったら大間違いだ。謝るような格好をして腹の中ではしたたかに相手の感情が爆発し、まともな理性を保てなくなるのを狙っている。その時こそ一気にたたみかけられて、真の敗北を喫することとなる。
私は騙されはしないぞ、と心の奥で固く決し、しれっとした表情に完全武装し、「ふうん」と言った後は孜々として沈黙に徹した。

不思議と、私の目をひくものがあった。
話は分厚い日誌に戻るが、その天文図の下に、ふくろうのように見える、ある星団の写真があった。
形の崩れた星団で、特に明るいところが二点ある。二点はほぼ同じ大きさで、目のようである。それにうすいもやの形が手伝って、フクロウのように見えたというわけである。
フクロウは木に止まった格好で思慮深気にこちらを見ている。じっと見てくるので、こちらもじっと見返す。見返されてまたじっとする。じっとされるのでまたじっとする。じっと、黙ったまま睨みあいを続けていると、
「もうおしまい。ほら、もう閉じるよ」
と懐かしい声が聞こえ、その声主の手によってその日誌は閉じられようとする。
私は、これは私のものではないし私にはどうすることもできないと、手は出さず、日誌が遠ざかり閉じられるのを黙って受け入れる。それでもそれが閉じられるその瞬間までじっとフクロウのことを見る。

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あけましておめでとうございます。

今年もまたいつのまにか年がかわっています。
挨拶だけでも、せめて。


あるのかないのか、
書くのか書かないのか
どうもよく分からないブログですが、
今年もどうぞよろしくお願いします。

久々に。

「3か月ぐらい更新できそう」と言って、
本当に3か月ぐらいしか更新しませんでしたね。

さて、次の更新期間ですが……うむむむむ、いつになることやら……。
毎度のことながらわかりません。
うーん……半年後ぐらいかなあ。
次の春になったら、また更新すると思う、たぶん。
あと時々思い出した時に更新しようとは、思います。近況ぐらいは。


ではさっそく、近況などを。


今、英語に熱中している。
これは極めて、
 極 め て 自分らしくない状況である。
なぜなら学生時代一番嫌いだった教科、それが英語であったからだ。
理由は利用価値がないから。
自分は一生外国人と、特に米国人と話をしたいとは思わないだろうし、
世界を股にかけるような仕事もしないだろうし、
というか日本趣味だし、国粋主義者だし、外国全然好きじゃないし……
という理由で、英語という教科のことを軽視し続けてきたのである。
それがどういうわけか現在、
寝ても覚めても英語のことばかり考えている。
さてはて、どうしたわけか。

おそらくはミュージカルに熱中しているためだ。
熱中しすぎて、
「すべてを捨ててアメリカへ、
 ブロードウェーの近くに部屋を借り、毎日劇場に通いたい!」
と、考えはじめている。本気で。

私はこういうことに関してかなり……、かなり頭が悪い。
比喩ではなく本当に、I'm crazy about it,な状態になってしまう。
欲望を、叶えないまま、
近づきもしないまま、終わらせることなんてできないのだ。
だからたぶん、上記の考えを数年後、私は本当にしてしまう、……気がする。

このように現実味とか、生活力とか、そういったものの全くない私ですが、
「私は一生、自分の好きなように生きる」と開き直っているので、まあ……いいのです。
ではそういうことですので、いまは英語の世界に戻ります。
いずれまた、お会いしましょう。


える

lingering attachment

やはり好きなのである。
どうしても思いきれないのである。
そういうものは思ったよりもたくさんあって、時に増えたり、また減ったりも、する。



ところで、いまさら「もえたん」なるものを読んでいる。
これが思いのほか面白くて、英語例文スルーで日本語訳ばかりついつい読んでしまいます。
当然のこと英語の勉強には全くなりません。


On the surface, the car looks like an ordinary tofu selling car.
表向きは、何の変哲もない豆腐屋の自動車に過ぎない。

I examined a personal computer I found in the trash, There was a power switch in a crucial place.
ゴミ捨て場で拾ったパソコンを調べてみたところ、すごいところに電源スイッチがあった。

He felt refreshed while watching people fall like flies.
人がゴミのように落ちていくのを見て、彼は爽快な気分になった。

旅行中。

うっ、うっ、気がつけば更新をさぼっていたです。
そしてさぼっている間に変なしゃべり方になっているです。
気持ち悪いから早くやめたいです。
でもちょっと、これはこれで新たな言葉体験で楽しいかもです。


というわけで、
ちょっと冷静になりましょう。

ここ数日、メッセンジャーで友人と話し込んでいたらこういうことになっていました。
おそろしきサイバーな通信技術。
自粛しよう……。

優柔不断

私は、自分のことについて考えるのがものすごく苦手で、
自分がいったい何をしたいのか、何をするべきなのか、何をしたらいいのか、ということについて
結論を導くことが全くできません。

でもそれでは到底生きていけないので、
何かを決めなくてはならない時は、自分のことを他人のことのように考えてみます。
すると今度は結論が5個ぐらい同時多発してしまい、ものすごく混乱します。
そうしてやっぱり結論がなかなかでない。^^;

つまりは優柔不断というやつです。


悩まなくてもいいようなことで悩んでいるとき、優柔不断でない人がとてもうらやましい。
だけど、優柔不断であるからの楽しみを失うのはちょっとさみしいような気もする。

たとえばこの、自分のことを他人のことのように考えてみること。
これは、思うにとてもおもしろいのです。
私は私であるのに、私という一個の他人の人生を自由に操り生きているような気分(?)がして。

ふひゃあ・・・

疲れているのか、なんなのか、変な声ばかり出ます。
ほええだの、うひゃあだの、うぬぬだの。

別にそれだけなんですけど、
それだけしか書けないので現在、うはあ、という感じです。うはあ。


なんだろうこの謎の疲労は。
……昨日ビール飲みすぎたのかな? −−;

南京玉すだれ

イメージ 1

3日前ぐらいに、ふと口走っていた句。


  柳垂れさては南京玉すだれ


なんじゃこりゃ。
いつだって私はなんじゃこりゃなのである。
意図して作っているわけではなく、思いつきをそのまま口に出しているだけなので、
自分でもなんじゃこりゃなのである。
たいていの思いつきはすぐ忘れてしまうのだが、これは響きが少し気に入ったので覚えていた。
ところで、いま南京玉すだれについてググってみたら、こんなことが分かりました。

【南京玉すだれ】
玉すだれを使った「南京玉すだれ」という大道芸が現れたのは江戸期になってからである。
名前から南京発祥だと勘違いされやすいが、日本発祥である。
本来は「南京無双玉すだれ」と称されており、
「南京にもない玉すだれ」という意味で付けられたといわれている。

   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E7%8E%89%E3%81%99%E3%81%A0%E3%82%8C


知らなかった。
てっきり南京から来たものとばかり。
そしてこんな団体があることも。世界は広い前に日本は広いです。

日本南京玉すだれ協会
http://tamasudare.org/

もちふわパンケーキ♪

イメージ 1

今日のおひる。



  もちふわパンケーキを大量生産してみた。
   http://www.nicovideo.jp/watch/nm3162701



先日この動画を見て、つい作ってしまったのでした。
もちもちふわふわパンケーキ。

作り方は普通のパンケーキのタネに豆腐を加えるというもの。
(あんまり入れすぎると豆腐豆腐しそうだったので、私は半丁にしました)


 卵→豆腐→牛乳→粉 

 の順番で投入し、かき混ぜていきます。
 で、あとは焼く。


 ちょっと気持ちのいい膨らみ方をしてくれました!
 ぽつぽつ空気を放出しながら、縦に盛り上がっていくのです。
 焼きあがるまでを見るのは少し楽しかった。そしてとても耐えられなかった。
 早く食べたくて ^^;
 

味はまあ普通。豆腐?を感じなくもないけど、
豆腐は好きなので私は気にならなかったです。
そして食感はじつにもちふわ!でした。
長年こういう食感のパンケーキを探し求めていたので、今はちょっと感動してます。

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