環境問題を読み解くhechikoのブログ

環境問題を単に「読む」だけでなく、考察を加えて「解き」ます。

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環境問題に正解はない

これまで私が言ってきたことの一つに「環境問題に正解はない」というのがある。

最近の安井至の記事でも同じようなことが書いてあった。


C先生:新年早々、かなり反語的な話題を取り上げたい。環境問題を議論するとき、非常に陥りがちな傾向として、「何が正しいか」を議論しすぎるということはないだろうか。むしろ、「何が正しくないか」、「情報はどのように歪んでいるか」、を議論すべきではないかということ。これが本日の主題である。

A君:一般に、知識として「正しいこと」を覚えさせる。これが今の教育ですからね。まあ、分かりにくいでしょう。

B君:先日、某大学の大学院生に会ったら、環境問題に正解は無いから困る、と言っていた。環境を専門とする者の一つの常識としてそう言っているように聞こえた。ものごとを一面的に見れば、そんな感想をもつ可能性は高い。しかし、「環境問題の見方は、むしろ逆方向に見るべきなのだ」、と言ったら、理解できないような顔をしていた。

さて、これを私なりに解説してみることにする。
環境問題でなかなか正解が見つけられない理由は大きく分けて二つあると認識している。



一つは判断材料となる科学的な根拠が不足していることに由来するもの。
環境科学というのは大抵問題が先にあって、その理由を探すために研究が行われる「問題解決型」のものだから、何か判断しなくてはいけない時、常に科学的根拠は不足する傾向にある。そうなると、次のようなことになる。

A君:それは、これまで普通の教育を受けてきたら、「正しい知識を得ようと努力するのがその本質である」、と体の芯まで染み付いているので、そう簡単に、逆方向ということは分からないでしょう。

B君:その学生は、どうやら防災関係を専門としているようだ。そして、言ってたことだが、具体的に困っていることは、ある河川の改修に関して、地元住民は、洪水などの災害がなくなるような改修工事、すなわち、コンクリート護岸型の改修を主張したが、NGOから、その河川に生息する希少生物を守るために、自然な堤防を残すことが主張されるようになった。どちらも正しいので、絶対的に「正しい解」は、存在しない。どうやって今後話を進めていくべきか、良く分からない、ということのようだ。

これまで我々は、正しい知識があってこそ正しい判断が出来ると教えられてきた。もちろんそれ自体は間違っているわけではない。しかし、現実は常に正しい知識が得られるわけではない。それなのに無理に現実に当てはめようとすると、わからないことまでわかったふりをしなければならなくなる。パニック映画とかで政治家が科学者に対してよく言う「結局のところはどうなんだ?○○は起きるのか起きないのか、ハッキリしてくれ!」みたいなセリフはこの典型だ。でも、今やこんな状況判断は時代遅れだ。わからないのにどちらかに断定したところで、正しい判断なんか出来るわけがない。そりゃあ、断定したものが結果的に正しかったら、正しい判断が出来たことにはなる。でも、もしその断定が間違ったものだったら?まあ、政治家はいいかもしれない。科学者が正しい知識を与えてくれなかったんだ、って言えばいいのだから。でも、それは単に責任を科学者に押しつけているだけだ。これまで不確実性のもとでどのような決定を下すべきかで示してきたように、わからないならわからないなりの判断ができるのだ。正しい知識がなくても、そこそこ正しい知識があればそこそこ正しい判断が出来るのだ。だから、わからないのにわかったふりをするのはもう止めにしよう。



そして、正解が見つけられない理由のもう一つは、トレードオフにまつわる価値意識の違いによるもの。
トレードオフというのは、簡単に言えば、「こちらをたてればあちらがたたず、あちらをたてればこちらがたたず」ということ。上の引用の例で言えば、災害防止と希少生物保護の関係がそれに相当する。災害防止を優先的に考えれば、希少生物の保護が難しくなり、また逆に希少生物の保護を優先的に考えれば、災害防止が難しくなる、といった具合。
これの難点は、一つはトレードオフという構造自体が見えていない人がいるということ、もう一つはトレードオフは見えていても、自分の基準が正しいと信じて疑わない人がいるということだ。
まず、トレードオフという構造自体が見えていないと、希少生物の保護のためには何でもするという環境保護原理主義や災害防止のためには自然破壊を厭わない経済原理主義に走ることになる。安井至も指摘しているように、このような極端な原理主義は不合理だ。
そして、自分の基準が正しいと信じて疑わないのもまた問題だ。言うまでもないことだが、社会は自分一人の価値基準で動いているわけではない。みんながそれなりに我慢してはじめて成り立っている。それなのに、自分は我慢しない、他人が我慢しろでは問題が収まるわけもない。自分の正解は他人の正解とは違うのだ。
このような問題がクリアできていれば、たとえ唯一の正解がなかったとしても、大きな間違いを犯すことはないだろう。



私は、少々極端なことを言わせてもらうなら、環境問題は正解なんてなくても大して困らないだろうと思っている。科学的にみて不明なことがあったとしても、その想定内で起きることに対しての準備をしていればいいし、トレードオフの問題にしても、きちんとバランスを考えて、両極端な考えを排除していけば、大きな過ちは起こさないだろう。

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その通りですね。 削除

2006/1/27(金) 午後 8:41 [ おおくぼ ] 返信する

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正解って ないんだと思います。

2009/10/4(日) 午前 11:35 talvitakki 返信する

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