大都市の歩き方

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キリスト教カトリックの前ローマ法王暗殺未遂犯が出所したニュースとほぼ同時に、今度はイスラム教の聖地メッカで345人が死亡したニュースが入った。

メッカ巡礼345人が圧死、最終日の儀式で

【カイロ=岡本道郎】ロイター通信などによると、サウジアラビア西部のイスラム教聖地メッカへの巡礼(ハッジ)最終日の12日、重要行事である悪魔の石柱に石を投げる儀式を行おうとして殺到した多数の巡礼者が折り重なって倒れ、345人が圧死した。
石投げの儀式は、預言者イブラヒム(アブラハム)が息子を犠牲に捧げようとした際、邪魔しようとした悪魔を石を投げて追い払った故事にちなむといわれる。巡礼者が石柱に石を当てようと我先に殺到することから、例年、同様の事故が起きている。


イスラム教には5つの聖地があるという。

.瓮奪(مكّة)

イメージ 1イスラム教の聖地とされるカアバのあるアラビア半島西部の都市。
イスラム教徒以外の入場はできず、通じる道路の手前にある検問所より先に行くことができない。

宗教的意義
メッカは、イスラム教の開祖である預言者ムハンマドの生誕地であり、コーランにおいて預言者イブラーヒーム(アブラハム)とその子のイスマーイール(イシュマエル)が建立したとされるカアバがある。

メッカへの巡礼が可能なムスリムには、巡礼を行う義務がある。この義務は信徒が守るべき主要な5つの義務の一つであり、巡礼を行ったムスリムは、ハッジと呼ばれ人々に敬われる。メッカへの巡礼には幾つかの区別があり、大祭ともいわれるイードル・アドハー(犠牲祭)には毎年約3百万人が集まる。 一方でムスリムでない者には、メッカとマディーナへの立ち入りは厳しく制限されている。

またムスリムには、特別な事情がない限り、一日に5回メッカの方角を向いて祈りを捧げることが義務付けられている(ただしシーア派は3回)。


▲┘襯汽譽

西部についてはイスラエルが実効支配し、東部についてはイスラエルが占領しているもののパレスチナも領有を主張している内陸都市。
ユダヤ人が住む西エルサレムとアラブ人居住区である東エルサレムから成り立つ。

<東エルサレム>
イメージ 2ユダヤ教・イスラム教・キリスト教の聖地。旧市街と呼ばれる。ユダヤ教の聖地である「嘆きの壁」を訪れる人々は絶えない。壁の上の神殿の丘にはシャロン現首相が2000年に訪問して投石にあったイスラム教の聖地アル=アクサモスクやイスラム建築の傑作岩のドームがあって、これはユダヤ人の神殿をイスラム教徒がモスクに変えたものである。岩のドームにはムハンマドが旅立ったという伝説があり、地下には最後の審判の日にすべての魂がここに集結してくるとされる「魂の井戸」がある(イスラム教がユダヤ教徒の伝統に従い、ユダヤ教最高の神殿をイスラム教寺院に改造することは、イエス・キリストやムハンマドはユダヤ教徒にも信頼されうる預言者であり、イスラムがユダヤ教を凌駕するものであることを示しており、ここにパレスチナ問題における宗教的側面での問題がある)。旧市街は1981年に世界文化遺産に登録された。

<西エルサレム>
西側は新市街と呼ばれる近代都市で、ヘブライ大学、イスラエル博物館、ハイテク工業団地や国会、各省庁などが立地する、イスラエルの政治・文化の中心である。

第二次世界大戦後の1947年、国連案によって都市は旧市街を含む東エルサレムと、西エルサレムに分断された。第一次中東戦争、1967年6月の第三次中東戦争(六日間戦争)を経て、ヨルダンによって占領されていた東エルサレムは現在イスラエル管理下にある。イスラエルは東エルサレムとの統合を主張している。1980年にイスラエル議会により、エルサレムはイスラエルの永遠の首都であるとされたが、国連ではその決定の無効が決議された。

<宗教とエルサレム>
エルサレムは単に地理的にパレスチナの要所であるのみならず、アブラハムの宗教にとっての聖地でもある。 ユダヤ教にとっては、エルサレムは南ユダ王国の首都であった場所であり、その信仰を集めていたエルサレム神殿が置かれていた場所である。幾つかの神聖とされる場所が残っている。中でも嘆きの壁は有名で、これは70年にローマ帝国がエルサレム神殿を破壊したときに外壁の一部が残されたものである。 キリスト教にとっては、エルサレムはイエス・キリストが教えを述べ、そして処刑され、埋葬された場所である。それらの場所には、現在はそれぞれ教会が建っている。

イスラム教にとっては、エルサレムはムハンマドが一夜のうちに昇天する旅を体験した場所とされる。クルアーンは、マディーナ(メディナ)に居住していた時代のムハンマドが、神の意志により「聖なるモスク」すなわちマッカ(メッカ)のカアバ神殿から一夜のうちに「遠隔の礼拝堂」すなわちエルサレム神殿までの旅をしたと語っている(17章1節)。伝承によると、このときムハンマドはエルサレムの神殿上の岩から天馬に乗って昇天し、神の御前に至ったのだという。この伝承は、ムハンマドの死後から早い時期にはすでにイスラム教徒の間では事実とみなされており、神殿の丘におけるムハンマドが昇天したとされる場所にはウマイヤ朝の時代に岩のドームが築かれた。また、丘の上には「遠隔の礼拝堂」を記念するアル・アクサモスクが建設され、聖なる場所と見なされている。

これらの宗教それぞれにとってエルサレムは重要な都市であるので、エルサレムの帰属の問題はパレスチナ情勢を難しいものとしている一因である。


メディナ(المدينة المنوّرة)

メッカに次ぐイスラム教の第2の聖地・預言者のモスクがある。
預言者ムハンマドの墓を有する預言者のモスクが町の中心にあり、メッカとあわせて「二聖都(アル・ハラマイン)」と称される。


ぅ淵献礇(نجف;)

イラク中南部の都市。バグダッドのおよそ160km南、ユーフラテス川の西岸に位置する。2003年の人口は585,600人。第4代カリフでシーア派の初代イマームであるアリーの墓廟がある。

ナジャフの墓廟はアッバース朝カリフのハールーン・アッ=ラシードによって8世紀末頃に建設され、アリーの墓所としてスンナ派、シーア派を問わず尊崇を集めた。特にアリーを初代イマームとみなすシーア派の人々にとっては聖地として重要な巡礼地とみなされる。

18世紀頃からシーア派の多数派である十二イマーム派の高位法学者が数多く居住するようになり、イラクにおける十二イマーム派の中心都市に発展するとともに、イランなど遠隔地に住む十二イマーム派の信徒を留学生や巡礼者として集めるようになり、イスラム世界全体を見渡してもマッカ(メッカ)、マディーナ(メディナ)に次いで巡礼者を集める国際都市へと成長した。


ゥルバラー(كربلاء;)

イメージ 3イラク中部の都市で、イスラム教シーア派の聖地。首都バグダードの南にあり、ユーフラテス川に面す。2003年の人口は572300人。

ヒジュラ暦61年のアーシューラーの日に、シーア派の第3代イマームとされるフサインが殉教した場所で、フサインの墓廟(写真)が建てられ、シーア派の人々の巡礼が絶えない聖地となっている。

フサインの墓廟に隣接してシーア派のマドラサ(イスラム学院)があり、イラクにおけるシーア派イスラム法学者(イスラム聖職者)が集まるシーア派の学問の中心都市でもある。

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