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◆雪舟的なものの特徴

1.同時代中国浙派様式のあらっぽい筆墨 ──雪舟個人の筆墨のくせ
2.意志的な強い輪廓線 ──線がめだちすぎるのは日本的
3.中国の本格的な山水画に最も近い暗示や情緒性の少ない明解な空間の構築
  ──時に逆遠近空間に戻る
4.山水画での自然と人間とのバランスある描写 ──実在感
  冬景の無音のリアリティ
5.閉じられた自然・閉空間内での人物の強調 ──内的な我の投影
  山水画の洞窟や穴のあいた岩のモチーフに反映


◆四季山水図長巻(国宝)山口・毛利博物館蔵

雪舟の筆によるもで、雪舟芸術の最高傑作と言われている。紙本墨画淡彩 1巻 文明18年(1486) 山口毛利博物館“文明十八年嘉平日天童前第一座雪舟叟等楊六十有七歳筆受”。大内氏のために 真体 南宋夏珪の長大な山水図巻“夏珪の国本”を意識。「山水」の名で知られ、縦39.7cm、全長は15.92mにおよび、現在山水を主題とする画巻では最長といわれる。

雪舟等楊の画いた墨画淡彩の山水画巻で、防府市の防府毛利報公会所蔵である。この絵は多くの雪舟作品の中で最も代表的なものである。四季の山水の変化が巻を追って順に展開し、春から始まり冬に終わる。まさに詞の無い山水の大絵巻というべきもので、山水自然の構成繁簡の配置は無限の変化を出現している。巻末に「文明十八年嘉平日 天童前第一座雪舟叟等楊六十有七歳筆受」と署名があり、これにより1486年、雪舟が67歳の時の作とわかる。
雪舟は名を等楊といい、雪舟は号である。雪舟は1420年に備中国(びっちゅうのくに・現在の岡山県)で生まれました。その後、京都の相国寺に入り画僧周文に絵を学びました。40歳のころに山口に来て、50歳のころ勉学のため中国に渡りました。帰ってきてからは、日本各所をめぐったのちに山口にふたたび住み、1506年87歳で亡くなりました。
 
春 初 岩と樹 高士 左奥への道
    仲 松と梅
    晩 水ぬるむ水面 船と漁民 浙派“漁楽図”の影響
   白 水面
  

夏 初 帆掛船 
    仲 松に崖のつた 無風 洞窟に休む2高士“漁樵問答” 寺院、七重塔
    晩 崖上の楼閣 四阿
   白 水面 遠くに雨 雲気
  

秋 初 蘆 漁村
    仲 円橋 収穫の田 竹林
    晩 村 秋祭り 54人のにぎわい 秋の木実 竹林
   白 雪山 雲気 嵐
 

 冬 初 城内 楼閣の中の3人
    仲 無人の楼閣 無音の城閣
    晩 枯木 右奥からの道 緑の樹 次の春を暗示 循環する四季

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◆室町の東山文化期に、水墨画を大成したのが、雪舟〔せっしゅう〕。15C後半だ。応仁の乱によって荒廃した京都を逃れて、「小京都」と呼ばれた山口に雲谷庵〔うんこくあん〕を構え活動した。
 「山水長巻〔さんすいちょうかん〕(四季山水図巻〔しきさんすいずかん〕)」・「秋冬山水図〔しゅうとうさんすいず〕」・「天橋立図〔あまのはしだてず〕」などが代表作だ。
 雪舟になると、それまでの水墨画に、雪舟独特の強さ・不思議さが加わる。 「秋冬山水図〔しゅうとうさんすいず〕」。筆がグッグッっと運ばれる。よく見ると、手前におじさんが坂道をよっこらしょよっこらしょと登っている。もう少し行くと、家がある。でも、その家の右上には、山なのか岩なのかよくわかんないものがあり、なんじゃらほいと思っていると、家の向こうには、これまた山なのか異次元空間なのかよくわかんない輪郭がある。あのおじさんは、実は、あの異次元空間に向かって歩いてるのかな……。



1、四季山水図(春、夏、秋、冬) 4幅 雪舟筆 福岡・石橋財団石橋美術館別館



2、秋冬山水図(2幅)京都国立博物館蔵

周文,南宋時代の諸大家,明時代の浙派など,多様な様式学習を経て,雪舟は自己の作風を確立した。たとえば冬景の画面中央から上端にのびる垂直線は調子が強く,この線と周囲の描写との関係は一見わかりにくい。しかしこれは,中国の山水画によく現れる,オーバーハングする断崖の輪郭線が極度に強調されたものなのである。このように,構築的な空間構成,強調された輪郭線,また細い線による簡略化された皴法に雪舟様式の特徴が見出せる。



◆長い道のりの果て、自らの理想郷を、真正面から描くことに成功した画家がいる。 雪舟である。画家は、室町時代の後期、現在の岡山に生まれた。 10代で京都の寺に入門、画僧となる。 そのまま、こころ穏やかな生涯を、送れそうにも思えたことだろうが、時代とは、天才を育てるために、変化を与えるものである。
当時の社会の構成単位であった荘園が、ゆらぎ出していたのだ。 そして、それらを基盤にしていた幕府も、不安定になりつつあったのだ。
京都の治安は悪化し、40代になっていた画家は、現在の山口へと避難。 やがて、応仁の乱(1467-77)が起きたのと同じ頃、遣明船に乗って、中国に渡るのである。
中国では画壇に参加。 大陸の自然に啓示を受けつつ、宋や元の時代の古典絵画を存分に研究した。 そして、帰国したのち、個性的な名作を、次々と生み出していくことになる。
『秋冬山水図・冬景』。奥山の風景だ。 左やや下に、家が幾つか見える。 なかなか立派なものもあるが、素朴なタッチで描かれているので、清らかな風情がする。
その背面には、岩壁がある。 それは、絵の中央から上方へと、力強く、そして伸びやかに放れる筆で描かれた、恐るべき高さへと屹立する、巨大なものである。
里の辺りからは、手前にかけて、川が流れているようだ。 よく観てみると、傘を被ったひとが、川沿いの岩々の、あるかなきかの道(ナローパス)を、飄々(ひょうひょう)と、里の方角へ、歩みを進めている。
しなやかで、力強い筆運びで描かれた作品です。それは、室町が崩れ、動乱の戦国時代に突入して行ったとき、画家 雪舟が、豁然(かつぜん)と世に問いた、辿りつくべき理想郷であったからなのだろう。
さて、伝えられている、雪舟の名品を観ていると、目の前にある風景を、写生しているのではないと思われるものが多いことにも、気がつく。
恐らく、長い画業と中国での研鑽において身に付けた、数々の風景のパーツを、漢詩など、文学的なテーマを基調にして、再構成をしているのではないかと思う。
そのせいか、雪舟の名を耳にするとき、例えば文学の「俳諧」を思い出したりする。 小林一茶というよりは、『奥の細道』で知られる、松尾芭蕉のほうが、近そうだ。
また、構成的なところが、「音楽」を思い浮かべさせたりする。 天真爛漫(てんしんらんまん)なモーツァルトというよりは、ロマンに燃えるベートーヴェンのほうが、近そうである。

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