|
11世紀後半、藤原氏と外戚関係のない後三条天皇が登場して、藤原氏は急速に没落していった。さらに、白河上皇が、藤原氏にトドメをさすために、院政を行う。天皇の地位は子どもに譲っちゃって、自分は「影のドン」になるわけだ。
「影のドン」の会長(上皇)が運転手つきの黒い外車で乗りつけて、重役たち(藤原氏)が決めたことを、一言で却下する。社長(天皇)より、「影のドン」の会長(上皇)の方が、そういうことをやりやすいのだ。
そして、「影のドン」である会長(上皇)は、ガードマンに、普通の社員(貴族)でなく、白いスーツにサングラスの荒くれ者(武士)をつける。それが、地方武士団の棟梁〔とうりょう〕である平氏だ。
こうして、平氏が、上皇のボディガードとして、のし上がってくる。時代は、貴族の時代から武士の時代に移り変わっていく。
そう、時代の主役が、都の貴族から、地方武士団の棟梁である平氏に変わっていくことによって、院政期文化では、文化も都から地方へと広まっていったんだね。
A 院政期文化の建築は、地方のお寺
院政期文化では、文化が地方に広まっていったから、有名な建築は地方ばかりだ。今までの建築が、ほぽ奈良や京都ばかりなのに比べて大違いだね。やっぱりこの時期は、大きな時代の転換点なのだ。
まずは、中尊寺金色堂〔ちゅうそんじこんじきどう〕。
藤原氏の一派が都から流れ流れて、武士化して、岩手県に根づき、奥州藤原氏〔おうしゅうふじわらし〕となった。その周辺は、金の産地でもあり、岩手県の平泉〔ひらいずみ〕に、突如、黄金に輝く奥州藤原文化が現れたんだ。
その奥州藤原氏の祖・藤原清衡〔ふじわらのきよひら〕がつくったのが、中尊寺金色堂だ。もう目もくらむばかりのキンピカさだ。「金色堂」と呼ばれてるけれど、実際には「阿弥陀堂」で、中にはこれまた阿弥陀如来さんがいてはる。このキンピカぐあいも、平等院鳳凰堂とは別の意味で、地上の極楽浄土だ。阿弥陀如来さんの近くには、清衡・基衡〔もとひら〕・秀衡〔ひでひら〕の奥州藤原氏三代のミイラが納められている。
それから、福島県の願成寺〔がんじょうじ〕にある白水阿弥陀堂〔しらみずあみだどう〕。これも、阿弥陀堂だから、もちろん、阿弥陀如来さんがいてはるわけだ。
鳥取県にあるのが、三仏寺投入堂〔さんぶつじなげいれどう〕。
すごい断崖絶壁に建っている。「投入堂」という名前も、まるででっかい巨人が、断崖絶壁のちょっとへこんだところに建物を「投げ入れ」たみたいだからついた名前だ。
うーん、何もこんなところに造らなくってもいいのに……。実は、呪術をあやつる役行者〔えんのぎょうじゃ〕の修験道場だから、こんな場所にあるんだけどね。
そして、大分県にあるのが、富貴寺大堂〔ふきじおおどう〕。これも、名前にはないけれど、阿弥陀堂だ。
どれも、奈良や京都じゃなくて、地方にあるよね。これが、この時代の特徴なんだ。
B 院政期文化の彫刻も地方だよ
彫刻も、院政期文化の時代は、地方だ。
まずは、中尊寺一字金輪像〔ちゅうそんじいちじきんりんぞう〕。
岩手県の平泉にある中尊寺だね。
それから、変わってるのが、大分県にある臼杵〔うすき〕の磨崖仏〔まがいぶつ〕。
崖に62体の石仏が刻まれている。
C 院政期文化の絵画は、絵巻物
院政期文化の絵画は、何といっても、絵巻物〔えまきもの〕。
絵と詞書〔ことばがき〕(ストーリー)を交互に、右から左に描いて、巻物にしたものだね。
まずは、常盤光永〔ときわのみつなが〕作の「伴大納言絵巻〔ばんだいなごんえまき〕」。
そう、866年に、応天門〔おうてんもん〕の火災にからんで、藤原良房〔ふじわらのよしふさ〕が、伴善男〔とものよしお〕を排斥した応天門の変を描いたものだね。
たぶん、図説を開くと、めらめらと真っ赤な炎と黒い煙をあげて燃え上がる応天門と、それを見ようと集まった野次馬たちの表情豊かな姿が、載ってるんじゃないかな。
「あー、これが『伴大納言絵巻』ね」と、ぼくたちはやり過ごしてしまう。 でも、実は、この時代に、こんなに人間の表情が生き生きと描かれてるって、世界史的に見てもスゴいことなんだ。12世紀後半、たとえば、ヨーロッパではまだルネサンス前。絵画といえば、なんの表情もない、キリスト教のマークのような絵だけだ。ヨーロッパ人が、生き生きとした人間の表情を描きはじめるのは、それから200年後だ。なのに、日本人は、もうこの時代に、こんなに豊かに人間の表情を見つめていた。
応天門が燃えるパチパチという音や炎の温度、野次馬たちのざわざわ騒ぐ声が聞こえてきそうだ。
これは、スゴいことだね。
次は、「信貴山縁起絵巻〔しぎさんえんぎえまき〕」。
命蓮〔みょうれん〕という超能力をもつお坊さんの起こした奇跡を描いたものだ。
図説には、たぶん、倉や米俵が空を飛んでる絵が載ってると思うけど、よく見てごらん、超能力に驚く人々の姿は、現代のギャグマンガもビックリの動きや表情だから。マネしたら、ギャグに使えるかもしれへんで……。
それから、藤原隆能〔ふじわらのたかよし〕作の「源氏物語絵巻〔げんじものがたりえまき〕」。『源氏物語』自体は、国風文化だけど、「源氏物語絵巻」は院政期文化だから、気をつけよう。
「源氏物語絵巻」では、重要な言葉がふたつある。「引目鉤鼻〔ひきめかぎばに〕」と「吹抜屋台〔ふきぬけやたい〕」。
「引目鉤鼻」っていうのは、目はピッと横に線を引いただけ、鼻はひらがなの「し」の字みたいなのを書いただけ、ってこと。
「吹抜屋台」ってのは、まるで屋根がなくって、空中から撮影しているようなアングルで描いてるってこと。
「鳥獣戯画〔ちょうじゅうぎが〕」は有名だね。鳥羽僧正覚猷〔とばそうじょうかくゆう〕作だ。
動物に託して、当時の貴族界や仏教界を風刺している。いばってる蛙とかね。
これも、世界史的に見て、こんな時代に、これほど生き生きと、しかも動物に託して、人間性をえぐってるなんて、かなりスゴいことなのだ。
絵巻物のラストは、「年中行事絵巻〔ねんじゅうぎょうじえまき〕」。
宮廷行事の様子が描かれている。
実は、絵巻物って、現代のアニメの元祖でもある。
アニメーションの高畑勲〔たかはたいさお〕氏も、『十二世紀のアニメーション―国宝絵巻物に見る映画的・アニメ的なるもの』という本で、「いまや世界中でもてはやされる日本のアニメ。その隆盛のわけは?」として、「信貴山縁起絵巻」「伴大納言絵詞」「鳥獣戯画」の「驚くべき動きの魔術」を大絶賛しているほどだ。
そうそう、院政期文化の絵画には、あと、装飾経〔そうしょくきょう〕というのがある。お経の飾りに絵が描いてある。
ひとつめは、「扇面古写経〔せんめんこしゃきょう〕(扇面法華経冊子〔せんめんほけきょうさっし〕)」。
法華経が書いてあって、背景には当時の貴族や庶民の生活が描いてある。
もひとつが、「平家納経〔へいけのうきょう〕」。
平清盛らが、平氏一門繁栄御礼のために、平氏の氏神の厳島〔いつくしま〕神社に奉納したんだ。
やっぱり、法華経が書いてあって、華麗な絵がほどこされてるね。
1、「伴大納言絵巻〔ばんだいなごんえまき〕」
平安末期の貴族社会の権力闘争と没落を描いた絵巻には「平治物語絵巻」、「後三年合戦絵巻」とこの「伴大納言絵巻」が有名である。「信貴山縁起絵巻」と同様な物語性(説話風)に画面が構成される。画面が時間空間的に流れる手法は日本絵巻物の独創性でもある。アニメの世界でもある。この画面に画かれた描写はあまりに膨大でドラマチックで面白い。応天門の焼失にはじまるストーリが子供の喧嘩から意外な展開を向かえる実に面白い脚本である。そして庶民や貴族・武士の表情を見事に描ききっている。
2、「源氏物語絵巻〔げんじものがたりえまき〕」
平安時代後期の絵巻物。白河・鳥羽上皇の院政期(1120〜1140ごろ)に,院や女院を中心とする入念な企画として制作されたものと思われ,『源氏物語』54帖の各帖から1場面ないし3場面を抜き出して絵画化し,対応する本文の一節を美しい料紙に書写した詞書を添える。当初は80〜90場面が10〜12巻くらいの絵巻に構成されたと推定されるが,現在では19段の画面と20段の詞書が徳川黎明会と五島美術館とに分蔵されるほか,詞書の断簡8種,絵の断簡1種が伝わるにすぎない。詞書の書風が5種類ほどに分類され,画面相互の間にも表現の相違を指摘できるので,院政期を代表する複数の宮廷画家と書家とが,物語の各部分を分担制作したことがわかる。いずれも料紙の上にまず自由な墨線で構図を下描きしたのち,色鮮かな岩絵具で全面を厚く塗りつめ,しだいに細部の図様を整えながら密度ある画面に仕上げてゆく「つくり絵」の手法によっている。画中の人物は「引目鈎鼻」と通称される類型化された顔容表現をとるが,緻密な画面構成と色彩効果とによって,各場面の情趣と人物の心理とが巧みに造型化され,王朝物語の世界を後代に伝えてくれる
3、鳥獣戯画 ちょうじゅうぎが
この絵巻の形式的な特徴をあげれば,ほかのほとんどの絵巻が紙本着色であるのに対して,これは全巻紙本白描であること。そしてさらに詞書をまったく用意しなかったとみえて,全巻絵を連続的に描いていることなどである。大きさをみると4巻とも紙の縦は約30cmとほぼ揃っているが,横すなわち長さは第1巻(甲巻ともいう)は約1,148cm・第2巻(乙巻)は約1,189cm・第3巻(丙巻)は約1,130cm・第4巻(丁巻)のみ短く約933cmである。
さてその描くところの場面・内容をみると,第1巻(甲巻)では猿・鬼・蛙・狐・雑子・猫など合計103匹が登場して,いずれも擬人化され,溪流に沐浴したり,賭弓をしたり,袈裟を着た猿,鹿を引く兎,逃げるもの,追跡するもの,倒れた蛙をほかの動物が囲んで眺めたり,蛙の田楽踊り,兎と蛙の相撲,蛙に投げ飛ばされる兎,蛙を壇上に祭り,猿・兎・狐が袈裟を着て読経し,まわりに動物の会葬者が見守り,最後に猿が兎・蛙からおきよめを戴く場面で終わっており,いわゆる「鳥獣戯画(巻)」と呼ばれる最もポピュラーな巻である。第2巻(乙巻)はほかの巻のように戯画ではなく,動物生態図で説話の筋はない。すなわち野馬に始まり,牛・鷹・犬・鶏・鷲・水犀・麒麟・豹・山羊・虎・獅子・竜・象・獏など空想的なものも含めて総計69匹の鳥獣を描いている。一名「鳥獣写生巻」ともいわれている。第3巻(丙巻)は人間が登場して,前半は囲碁・双六・将棋・耳引き・首引き・睨み合い・褌引き・闘鶏・闘犬の9場面を描き,いずれも賭けごとのようである。後半は第1巻とテーマがやや似ていて,猿・兎・狐などが人まねをして遊ぶところを描いている。一名「人物鳥獣戯画巻」とも呼ばれる。最後の第4巻はテーマとしては第3巻の前半部にやや近いもので,人間社会のことを描いている。すなわち法力競べ・流鏑馬(やぶさめ)・法要・球投げなど僧侶・俗人達の勝負事や行事のさまである。一名「人物戯画巻」ともいう。
以上通観してわかるとおり,各巻内容はまちまちで一貫せず,それらの主題の意味が何であるのか,その解釈をめぐって容易に断じがたく,種々の議論が行われているが,第1巻と第3巻後半などは明らかに平安末期の社会批判の諷刺画,ことに当時の仏教界に対する諷刺であろう。また全巻に賭博がみられることは俗界への諷刺であろう。とすれば,この作者の意図は先述の高山寺の地理も考え合わせると,下界の京の卑俗から超脱して神仙世界への憧れを暗示したものである。
|