中国絵画

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1、 宝釵扑蝶
2、 黛玉葬花
3、 紋綺聯句
4、 宝琴立雪
5、 齢官画薔
6、 香菱学詩
7、 湘雲眠芍
8、 探春結社

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劉旦宅、原名小粟。号海云生。1931年生まれる。浙江省温州市人。1950年から上海に定住する。最初は出版社に図書の插し絵仕事をつとめていた。のちに「連環画」を作って、有名な「紅楼夢」の連環画を作りました。後は上海人民美術出版社専業画家、上海中国画院画師、上海師範大学美術系主任、教授になる。

わたしが気に入りの画家です。

三枚の絵の名前は:

1、花間詞意

温庭筠詞作《菩薩蛮•小山重叠》
小山重疊金明滅,鬢雲欲度香腮雪。懶起畫蛾眉,弄粧梳洗遲。
照花前後鏡,花面交相映。新貼繡羅襦,雙雙金鷓鴣。( 小山のように重なった屏風、金明の香の火が消える。雲鬢が雪のように白い芳しい頬にかかる。ものうげに起き、蛾眉を描き、 弄粧梳洗遅。 化粧をし髪を梳き洗う。ゆるゆると。)


温庭筠[イン]は、晩唐の代表的詩人の一人であるが、彼の名が文学史上に重きをなすのは、むしろ「詞」の作者としてである。詩の特徴について言えば、歌行体を得意としていて、それは内容的に二つの傾向に分けることができる(一)。一つは、南朝あるいは隋の煬帝などの華麗な宮廷生活を憧憬し、それがはかなく敗れ去ったことを悲しむ意を歌う作品 ...


2、姜燮<暗香>詞意図

旧時月色,算几番照我,梅辺吹笛?喚起玉人,不管清寒与攀摘。
何遜而今漸老,都忘却春風辞筆。但怪得竹外疏花,香冷入瑶席。
江国,正寂寂。嘆寄与路遥,夜雪初積。翠樽易泣,紅萼无言耿相億。
長記曾携手处,千樹圧、西湖寒碧。又片片、吹尽也,几時見得?


3、清涼世界

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中国現代画家劉旦宅さん描いた古典小説「紅楼夢」の金陵十二钗。
钗はかんざし、綺麗な女の子の比諭です。金陵の十二美人の意味です。

「紅楼夢」( こうろうむ)は中国、清代の長編口語小説。全一二〇回。八〇回まで曹雪芹(そうせつきん)作、後四〇回は高鶚(こうがく)の補作。1791年刊の版本が流布。栄華をきわめた大貴族の家庭が崩壊してゆくさまを、主人公の賈宝玉(かほうぎよく)と林黛玉(りんたいぎよく)の悲恋を中心に、多彩な人間像とともに描く。別名「石頭記」「金玉縁」「金陵十二釵」。ホンロウモン。

画像の人物の名前は:
1、林 黛 玉
2、薛宝钗
3、元春
4、李纨
5、妙玉
6、惜春
7、探春
8、秦可卿
9、迎春
10、鳳姐
11、史湘雲
12、巧姐

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徽宗と画院
徽宗趙佶1082-1135 神宗の第11子、在位1100-25 金に捕まり北方五国城で没
書は痩金体、画は写生花鳥を得意とする
古美術品の大コレクション『宣和書譜』『宣和画譜』『宣和博古図』
翰林書院、画院の改革
1104年書画学の開設(-1110年廃止) 自ら指導にあたる
院体(画院のスタイル) 省略化 詩画一致 写生花鳥の流行

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水墨画の中国的リアリズムの爛熟の時期の象徴は
宋時代の王希孟《千里江山図卷》と張択端《清明上河図卷》でいう。

《千里江山図卷》
 絹本設色 51.5×1191.5cm 1113年 北京故宮博物院蔵

構成:画巻中央左の主山を中心 画面中央に安定した水平線 大観山水
南方の山水、江南の水郷のイメージ+北方山水の嶮しい山岳
南北山水の融合(王希孟は江南人?)
元 書家 李溥光跋“在古今丹青小景中,自可独歩千載,殆衆星之孤月耳。”

[作品]色彩:岩絵具のグラデーションの問題
古代青緑山水(隋展子虔、唐李思訓、李昭道など)の復興(北宋王詵など)+最新の水墨技法
 代赭(褐色)を背景に石青(群青アズライト ラピスラズリも?)、石緑(緑青マラカイト) 極力グラデーションを行う 色如宝石,光彩奪目

[王希孟の生涯]
徽宗朝の宮廷画家 宋元史料にない(この時代の画家によくあること)
11C末生 16、17歳頃画院生徒宮中の文書庫に入り画を献じる 徽宗皇帝から親しく指導を受ける。1113年半年足らずで《千里江山図卷》を完成。(わずか18歳の年頃秀作が完成)
北宋 蔡京跋“政和三年(1113)四月八日賜。希孟年十八歳,昔在画学爲生徒,召入禁中文書庫,数以画献,未甚工,上知其性可教,遂誨諭之,親授其法。不逾半歳,乃以此図進。上嘉之,因以賜臣。京謂天下士在作之而已。”
清 宋犖『論画絶句』附注 王希孟完成此卷後,不久便溘然離世


宋元の画壇--写実画(院体)と水墨画の完成した

写実画(院体)と水墨画、二大潮流を生んだ宗宋元の画壇。
一般に宋元絵画の功績は二つあると言われていますが、第一は徹底した写実主義を完成したことです。宋の皇帝は“画院”という機構を設立し、宮廷画家を大勢育てました。数千年に及ぶ中国絵画史において、国を挙げて絵画を奨励した時代は他に類を見ません。対象物を徹底的に観察し、緻密に描写する画風は宋時代の主流で、「院体」(図1)と呼ばれました。その様式は近代の日本画壇にも受け継がれ、横山大観、速水御舟、小林古径など、近世の日本画壇を代表する画家たちに大きな影響を与えました。 
 宋元絵画の二つ目の功績、それは水墨画の完成といわれています。水と墨、白と黒の濃淡を駆使して豪快に描く画風は、写実絵画の対極を為す絵画として登場しました。だからといって、水墨画は決して偶発的に発生したものではありません。写実主義が全盛を極めていた時代にあって、外形の写実を過分に追求する技法や極彩色を飽き足らなく思っていた一部の文化人や画家たちは、絵画の精神性と発展性を求め、水墨という新しい絵画様式を創造しました。それは「文人画」(図2)と呼ばれ、室町時代の日本にも移入されることになります。水墨画は元の時代を迎えると、中国絵画の主流になり、全盛期を謳歌します。このように中国絵画に見る外形的表現から内面的表現への芸術理念の転換は、写実絵画が最終的に抽象絵画へ発展した西洋海画の流れにも暗合するものではないかと、私は考えます。


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