ヘイ!セイ!ブログ

「楽天のほっぺ」というページ作ったよ♪ http://t.co/rQX0HJzj

全体表示

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全3881ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 前のページ | 次のページ ]

イメージ 1
 「ただただ驚いている。車椅子でも自由に旅行ができて、飛行機に乗れたらいいなというだけで、騒動になったのは想定外」。

 バリアフリー研究所代表の木島英登氏と格安航空会社バニラ・エアをめぐる騒動。29日放送のAbemaTV『AbemaPrime』に、渦中の木島氏が出演、今の心境を語った。

 ことの発端は5日、バニラ・エアを利用して滞在先の奄美空港から関西空港に戻ろうとした時のことだった。2日前、奄美空港に到着した際には同行者3人に車椅子ごと担いでもらい、タラップを降りた。しかし、復路では空港職員に「車椅子を抱きかかえたまま上り下りすることは禁止している」と制止されたのだという。

イメージ 2
 「同行者が僕の車椅子を担ごうとすると、『危ないからやめてください』と。でも、飛行機に乗れないと帰れなくなる。それは困るから」と、階段に座って腕の力を使い、身体を持ち上げながら17段のタラップを一段ずつ登った。この対応に驚いた木島氏は、昨年4月に施行された障害者差別解消法に基づき、鹿児島県と大阪府の窓口におかしいと相談、顛末を自身のウェブサイトに公開した。

イメージ 3
 このトラブルを朝日新聞が報じたことで、ネット上を中心に一気に論争が広がり、奄美空港には29日から電動の階段昇降機が導入され、批判を受けたバニラ・エアは「こんな形の搭乗はやるべきではなく、本意ではなかった。改めてお詫びを申し上げたい」と謝罪した。

 同社の山室美緒子副社長は取材に対し「お客様には大変ご不便とご不快な思いをさせてしまった。結果的にご自分の手とお連れ様の若干の介助を得ながら、階段を一段ずつ上がるという結果になってしまった。車椅子のお客様、お身体が不自由なお客様に対しては、ウェブサイトで事前にご相談頂くようにご案内していた。けれども、特に奄美空港の場合は空港の施設要件上、制限せざるを得ないということをご案内させて頂いていたが、そこがうまくお客様に伝わっていなかったのかもしれない」と話した。

イメージ 4
 実際にバニラ・エアのホームページには、車椅子をご利用の方は5日前までに連絡をして欲しいという旨が記載があった。しかし木島氏は「面倒くさいでしょ。旅行経験なくて不安な人は相談したらいいと思うが、今回、もし事前に相談してたら乗れてなかったと思う」と話す。

 「歩けないから飛行機に乗ってはいけない、というのは初めてで、非常にショック。旅を始めて24年、158カ国に行って、空港も300カ所くらい行ったが、設備がないからとか、車椅子だからとかで乗ってはダメとは言われなかった。先進国以外で、小型機で何も無い時は這って上ったこともあるが、リベリアやシエラレオネの空港でも、みんな寄ってきて担いでくれたりした」と話し、「100%介助ができなくても、設備がないところは設備がないなりに手助けするとか、そういうふうになればいいと思う」。

イメージ 5
■「私の思っているクレーマーは、無理難題を要求する人」
 「2002年に1人で飛行機に乗ったときに搭乗を拒否されたことがあった。その顛末もウェブサイト載せている。事実を知ることで、“これはおかしい“と思う人が増え、改善されていけばいいなと。事実関係をきっちり載せておくことで、行政の方々にも説明しやすく、他の方も簡単に観ることができる。言った・言わないにもならない」。

 そんな木島氏のウェブサイトには、

 「当方、手足が不自由な者です。あなたは非常識で障害者の盾を不当に扱う障害者の敵です。あなたはただのクレーマーです。最低ですね」
 「LCCがなんで安いのか考えていないような行動でうんざりです。障害者のイメージが悪くなるので、飛行機乗らないでください」 
 「車椅子で搭乗時に不自由が生じるなら、設備の整った大手航空会社を利用すべきではないですか?それをあえて格安を使い、自分はこんな目にあった、とマスコミに言いふらすのは不自由を武器に使ってないか!」

 など、批判的で厳しい意見が寄せられている。また、Twitterや『AbemaPrime』には、

 「たとえ規則があったとしても、臨機応変に対応すべきではなかったか。今後は改善するとのことだが男性があまりにも気の毒」
 「格安飛行機にそこまで求めるなって声があるけど、安さを手に入れるためになんで車椅子の人だけが切り捨てられなきゃいけないのよ。そういうの差別って言うんでしょ」
 「お客様は神様じゃない。航空会社側にも客を選ぶ権利がある」
 「赤ちゃんをベビーカーに乗せたままで搭乗しようとしたら拒否るやん。それと同じ」
 「怪我をしたら飛行機が飛べなくなり、他の乗客にも影響が出る」
 「緊急時の避難のときのためにも、隣の席のひとに事前の同意が必要だってことなんだよ」

 など、賛否両論の意見が書き込まれた。さらに車椅子の利用者たちからは

 「できることなら何にも連絡しないでも自由に乗りたいなあ。電車でも途中下車してみたい。しかし現実は厳しい。健常者の人が日常どれくらい関心を持っているのか」
 「過去に車椅子を使っていた身体障害者だけど、車椅子での行動は制限がつくものだから事前に確認もせずに飛行機に乗ろうとする方がおかしい」

 といった声が寄せられている。
イメージ 6
 木島氏はこれらの反応について、「色々な意見の方がいるなというのが、率直な感想だ。障害をもとにメシを食っていると言われても、実際そうですし、容姿が綺麗な方はモデルになり、話がうまい人は芸人になる。個性を活かして仕事をしているだけなので、“プロ障害者“と言われても良いかなとは思う」と話す。

 また、「クレーマーだと言われたりもしているみたいだが、私の思っているクレーマーは、無理難題を要求する人だ。『事前に確認もせずに飛行機に乗ろうとする方がおかしい』という声があったが、僕はただ行きたいところに行っているだけで、世界中の設備がないところにも行っている。今回もお手伝いを頼んでいるわけではない」と反論。

 事前連絡をしなかったことについても「ウェブサイトの記載に気づかなかった。特別な配慮を求めているわけではなく、機内用の車椅子を借りるだけなので、大したことではないと思っていた。改めてバニラ・エアのホームページを見ると、奄美空港に行く人は連絡をください、みたいな記載があったので、連絡をした方が良かったのかなと思う」と説明した。

 そして、「車椅子の人はLCCにサービスを求めるなと言う声もあるが、僕はバニラ・エアを批判しているのではない。バニラ・エアの全路線で車椅子の人が乗れないのであれば僕も怒ってしまうが、問題は奄美空港だけ。それを皆さん勘違いしている」とも話し、奄美空港での設備が改善された今、「僕は終わった話だと思っている」と述べ、騒動拡大への戸惑いをみせた。

 ネット上の論争を受け、乙武洋匡さんは現実を変えていくためには「あえて波風を立てていく場面が必要にもなってくる」と指摘している。しかし木島氏は「僕は波風を押さえたい。新たな問題を作ろうとも思っていない。尊厳を踏みにじられたとも思っていない」と話す。

 「朝日新聞さんが書いて、Yahoo!ニュースにも載って、大きくなったということがある。ただ僕は断られて奄美に行けないという人が何人もいるという話があったので、誰もが行けるようになってほしいというだけ。そしてそれが解決したということを伝えたかった」。
イメージ 7
■「移動に困難を抱える人全体をどうするのかも議論すべき」
 生まれつき両足に障害があり、障害者支援のニュースサイト「プラス・ハンディキャップ」の編集長を務める佐々木一成氏は今回の論争について「空港設備の問題なのか、航空会社のサービスレベルの問題なのか、あるいはその場でのスタッフ個々人の接客の問題なのか、その原因の所在を明確にする必要がある」と述べ、論点を整理すべきだと指摘する。

 また、木島氏の言動に対する批判について「今まではアンタッチャブルというか、タブー視して議論しにくい状況があった。そこを利用したんじゃないかと、障害者も含めた当事者同士のねたみ、やっかみも出てきている。無理解や偏見があるような問題でもあるので、これをネタに攻撃ができるんじゃないかと感じている人が否定派・肯定派双方に一定数いる」と指摘する。

 その上で、「障害者を理解するという観点で、感情論が渦巻きながらもSNSで意見が出てくるのはいいことだと思う。また、車椅子の木島さんは移動することに困難なので法律によって配慮されます。でも、足が不自由な高齢者だけど障害者じゃない場合には配慮しなくて良いのか、ベビーカーの赤ちゃんは配慮しなくて良いのか。僕は義足ですが、タラップを上ることができる。“車椅子の障害者“の問題だけでなく、移動に困難を抱える人全体をどうするのかも議論すべき」とした。
イメージ 8
 さらに佐々木氏は「車椅子の人が来ることを想定しておくべきだったことも事実だが、僕たち障害者が生きていくためには、社会や企業の配慮を待つだけではなく、こちらからも発信して、お互いが歩み寄るとよりよいサービスに繋がるものなので、法律で配慮が義務付けられたことをきっかけに、より歩み寄っていくこととも必要。そして、社会のルールや常識に準じる部分は必要だと思う。平等というものは、誰かが用意してくれるのではなく、障害者側もその平等な社会を作るメンバー。“障害者への理解“という言葉には、障害者が他の障害者のことを理解していますか、平等に扱っていますかということも含まれる」と問題提起した。
イメージ 1
 7月6日の広島戦でプロ初先発を果たした巨人・畠世周(はたけ・せいしゅう)だったが、4回を投げ5安打、4四死球、5失点と“プロの洗礼”を浴びた。それでも、球数の多さ、変化球のレベルアップなど課題は多く見えた一方で、コンスタントに145キロを超えるストレートを中心に広島打線から5個の三振を奪うなど、十分に可能性を感じさせるものだった。

 素材は一級品であることは間違いない。186センチの長身から、最速はプロ入り後に更新した155キロ。ただ、“186センチ”“155キロ”の印象を膨らませすぎると、畠の本質を見誤ることになりかねない。

 近畿大学時代に取材をした際、少年時代の話となり、子どもの頃に憧れていた投手は誰かと聞くと、和田毅(ソフトバンク)の名前を挙げた。和田は左投げで、ピッチングスタイルも畠とは重ならない。その理由はこうだった。

「140キロに届かないストレートで、プロのバッターたちをあんなに抑えられてすごいなと……。それが不思議に思えて、興味が沸いたんです」

 子どもの頃から体格に恵まれ、周りの子よりは速い球を投げていた。それでも、力任せのピッチングに頼ることなく、いつも頭のなかに「なぜ?」「どうして?」を持っていたという。

 大学時代にピッチングで大事にしていることを尋ねると、真っ先に「タイミング」と「緩急」を挙げた。そして和田のほかに好きな投手として語っていたのが桑田真澄(元巨人など)だったのだが、まさにこの視点からだった。ちなみに、桑田の現役時代は知らないという畠だが、動画サイトなどでその投球を見て、憧れたという。

「大きなカーブとストレートとの緩急とか……少し(芯を)ずらして打ち取る投球を見て、自分もこういうピッチングをしたいと思って見ていました」

 またドラフト後の取材では、こんな話をしていた。

「一流の選手に対して、その人のかたちでスイングされたら打たれます。大事なのは、チャレンジさせないこと。その人のかたちで振らせないことだと思います」

 ちなみに、小学校から中学校に進学するとき、初めて覚えた変化球はチェンジアップだった。父のアドバイスにより習得したものだが、当時から緩急は常に意識していた。

 畠は広島で生まれ育ち、高校は近大福山。好素材の選手ではあったが、エースナンバーを背負ったのは最後の夏のみ。「『さぁ、行くぞ!』というときに、いつもケガをして……」と振り返った3年間だった。

 入学時のスピードは133キロ。その後、チームが所有するスピードガンが壊れ、大会でも勝ち上がれなかったため、最終的な球速は不明。3年春に新庄(広島)高と行なった練習試合で相手チームの選手から「142キロ出てたぞ」と教えられたのが、唯一の数字だった。ちなみに、この試合で投げ合ったのが現チームメイトの田口麗斗(当時2年)。畠はそのときの田口の投球が強く印象に残っているという。

「スピードもありましたけど、いちばんはコントロール。僕は左打ちなんですけど、『外の球がこんなに遠くに感じるのにストライクなのか』って。あのコントロールは本当にすごい。自分とはまったくレベルが違いました」

 新庄とは、夏の県大会4回戦でも対戦。畠は7回から登板したが、2イニングで7点を失いコールド負け。これが高校最後の試合となった。

 その畠が一躍注目を集めたのは、大学に入ってからだった。大学での成長について、畠は次のように語っていた。

「練習のレベルが高く、トレーニングも充実していて、環境も抜群。広島の田舎から出てきた僕にとっては、すべてが“目からウロコ”でした。すべてを吸収するつもりでやってきたら、ここまで伸びることができました」

 近畿大では、3年秋にリーグ戦で3試合連続完封。ここで一気に評価を高めた。4年春は好投するも、打線の援護に恵まれず勝てなかった。4年秋は右ヒジの“関節ネズミ”に悩まされ2試合に登板したのみ。最終学年で評価を上げられず、スカウトの評価も分かれた。

 そうしたなかで、これまでにも桜井俊貴、小山雄輝、村田透ら、関西の大学生投手を積極的に指名してきた巨人が2位で指名。入団が決まると、右ヒジの手術を行なった。

 手術自体は簡単なもので、4月には実戦復帰。そして7月6日、チーム事情もあり、一軍昇格、プロ初登板・初先発となった。

 畠の魅力は、投げるボールだけではない。大学時代に取材を重ねるなかで、そのユニークなキャラクターにも触れていた。大学の関係者のなかには、「ちょっと糸井(嘉男/現・阪神)を思い出すところがある」という声もあるが、畠の印象は人懐っこくて、おしゃべり好き。さらに好奇心旺盛で、発想が自由ということだ。こちらが話す内容に興味を持てば、「ちょっとメモしてもいいですか」と、スマートフォンのメモ欄に打ち込んだこともあった。

 そして畠のここまでの成長のなかで、欠かすことのできない人物が父だ。以前、畠にバランスのいいピッチングフォームについて話題を向けたときのこと。「子どもの頃、父に『体を強くするなら農業がいちばん』と言われて、それで手伝っていました」と思い出を語ってくれた。

「父は野球をやっていなかったのですが、身長は180センチ以上で、たしか背筋は200キロを超えていて、握力も70キロ以上とか。自分の体を使って自然に鍛えられる畑仕事や農作業がいいと、よく言っていました」

 畑も子どもの頃から腰に巻きつけたロープに丸太をつけて畑を耕したり、ぬかるんだ田んぼのなかを歩いたり……。農作業のなかで知らず知らずのうちに、体が鍛えられていった。

「泥んこの田んぼを歩くときって、普通に足を上げてもうまく抜けないんです。少し外から回すように足を上げていかないとダメなんです。今になって思えば、股関節のトレーニングになっていたのかなと思ったりしますよね。それが今のピッチングにもつながっているのかもしれないですね」

 さらに農業の話をしていると、畠は「豊臣秀吉が刀狩をしたのも、農民は力があるから怖かったんでしょう」と言って、思わぬところに話が広がった。ドラフト候補選手の取材で“豊臣秀吉”“刀狩”というワードが登場したのは、もちろん初めてだった。

 このほかにも、子どもの頃からクラシックを聴いていたという話や、アニメ『名探偵コナン』好きであること、趣味が釣りということなど、野球以外のことでこれほどたくさん話した選手は畠だけ。ちなみに、“世周”という名前は、「世の中が自分にとってプラスに回るように」という意味を込めて名付けられたという。

 プロ入り直前、1年目の抱負について尋ねると、畠はこう返してきた。

「野球は相手と戦うスポーツですけど、そのためにもまず自分を知らないといけない。自分を知ることで、今やるべきことも見えてくる。1年目はそこからです」

 己を知る――この言葉も父から伝えられ、今も畠が大事にしている言葉だ。己を知る一歩となったプロ初のマウンドで何を感じ、何が見えたのか。

 そして巡ってきた2度目のチャンス。7月19日の中日戦で、畠はどんなピッチングを見せてくれるのか。畠らしいピッチングはもちろん、プロ初勝利のお立ち台で何を語るのかも楽しみにしたい。
イメージ 1
<全英オープン 事前情報◇18日◇ロイヤルバークデール(7,156ヤード・パー70)>

ロイヤルトゥルーンで演じたフィル・ミケルソン(米国)との歴史的名勝負から1年。クラレットジャグと共にディフェンディングチャンピオンが帰ってきた。大会週の月曜日、未来を思わせるメルセデスベンツのコンセプトカー“F015”でコース入りしたヘンリック・ステンソン(スウェーデン)は再びの歓喜へ闘志を燃やしている。

昨年大会は圧巻のプレーでギャラリーを沸かせた。ミケルソンと一進一退の攻防を繰り広げ、終わってみればトータル20アンダーで頂点に立った。これは、タイガー・ウッズ(米国)がトータル19アンダーを上回る全英最少スコア記録。2001年の「全米プロゴルフ選手権」でデビッド・トムズ(米国)が記録したメジャー最少ストロークも更新するビッグスコアだった。

その後、112年ぶりにゴルフ競技が復活したリオ五輪では銀メダルを獲得するなど、大仕事を成し遂げた。「プロとしてのキャリアでは最高の1年でもあった。全英オープンを制したのはまさにドリーム・カム・トゥルーだった。これで新たなページをめくりやすくなり、前を向けるようになった。3か月、6か月、12か月前の話をし続けるのではなくてね」。

だが、2017年は結果には恵まれていないのが現状だ。主戦場とする欧州ツアー「オメガドバイデザートクラシック」で2位、「BMW PGA選手権」では3位とビッグイベントでの上位フィニッシュはあるものの優勝はなし。「継続的に、自分の考えるレベルのいいパフォーマンスができていない」と話す現状は正直なところだろう。

だが、「今はコンシステンシー(継続性)を取り戻せるように頑張っている」と調子は着実に上向きつつあるという。「昨年の今ごろ、どうやって全英オープンを制するかなんて説明することはできなかった。ゴルフの世界では、最高の1週間とそれ以外の違いはとても僅差のこと。素晴らしいショットが打てたかどうか、自分の中で満足のいくプレーができたか否かの違いさ」。全英制覇から始まったストーリーは1年を経て一区切り。「楽しい1年だったけど、すべては過去のこと。前を向いて、新しい挑戦に集中する」。再びリンクスで輝くか。
イメージ 1
 K−1スーパー・フェザー級の小宮山工介(30)が14日、都内で会見し、12日の徳島・鳴門市での人命救命活動について、緊迫した状況を語った。

 小宮山は同市内の県道で起きたトラックと乗用車の正面衝突事故に遭遇。火の手が上がったトラック助手席の窓を右肘打ちで割り、運転手の脱出を助けた。また、その直前には車内で動けなくなっていた乗用車の運転手も救助した。

 小宮山が右腕を10針縫う傷を負いながら2人を助け出した後、5分ほどで2台の車は炎上。まさに間一髪での救出劇だった。

 「トラックはロックがかかり、密室状態だった。周りに大きな石とかが無かったので、とっさの判断で空手の肘打ちがでた」という小宮山。K−1ルールでは肘打ちは反則だが、緊急事態での禁じ手使用が、人命救助につながった。

 「爆発するんじゃないかと思い、正直、恐怖心もあった。自分も含め、けが人が4人出たが、命に別条なくホッとしている。相手を倒すための技が人命救助に役立ち、格闘技をやっていて良かった」と小宮山は事故から2日たって、安堵(あんど)の笑顔を見せた。今回の負傷でMRIを撮ったところ、ガラスの破片が3つ見つかり、「それを取り除いてからリハビリを始める」という。

 小宮山は昨年9月19日の「K−1 WGP」同級世界最強決定トーナメント1回戦で、ブラジルの強豪パウロ・テバウに判定勝利しながらも、脚を痛めて準決勝を辞退。その後、試合から遠ざかっていたが、9月18日の「K−1 WGPさいたまスーパーアリーナ大会」での復帰が内定していた。

 宮田充プロデューサーは「9月に間に合うか、その次の11月23日になるか分からないが、傷が癒え次第、K−1 WGPのリングで試合を考えたい」と小宮山の1日も早い回復を心待ちにした。

 傷の影響が心配されるが、小宮山は「早く試合がしたい。窓ガラスを割るくらいコンディションがいい」と冗談を飛ばす余裕も見せた。そして、ファンへの言葉として「必ずケガを治して万全のコンディションでリングに上がりたい」と早期の復帰戦を見据えていた。

全3881ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 前のページ | 次のページ ]


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事