ここから本文です

書庫全体表示

大荒れ(挨拶)

風が強いです。桜が散る……。


では、本題へ。

2016年が終了してしばらく経ってしまいましたが、2016年下半期の「旅」を振り返る企画展を開催します。
写真も一挙放出、開催期間中に200枚以上を貼っていきます。
お楽しみいただければ幸いです。


それでは、企画展8日目を投稿します。
なお、特記のない限り、写真の撮影日=訪問日です。


2016年11月12日 旧閑谷学校の旅(岡山県)

 この日は、紅葉と文化財を求めて、岡山県備前市にある旧閑谷学校を訪れました。

 なお、この日の紅葉については、既に紅葉シリーズで御紹介していますので、そちらを御覧ください。こちらの旅のまとめは文化財の話が主体となります。
 ↓
2016年 紅葉シリーズ ◆糞豐彙学校の紅葉)

 香川を7時頃に出発し、JR岡山駅で山陽本線に乗り換えます。8時50分頃にJR吉永駅に到着し、タクシーに乗って旧閑谷学校へ向かいます。
 旧閑谷学校に到着したのは、9時頃。開門時間直後でしたが、既に駐車場には車が停まっており、門内外に数十人ほどの人がいました。以降、閑谷学校を離れるまで、櫂の木の紅葉を求めて、常に大勢の人がいました。以下の写真では、そのあたりは伝わらないでしょうけれども。


 さて、それではまず、旧閑谷学校について御紹介します。
国指定特別史跡「旧閑谷学校 附 椿山・石門・津田永忠宅跡及び黄葉亭」
イメージ 1

 閑谷学校は、岡山藩により開設された『日本最古の公立庶民学校』です。
 寛文六年(1666)、岡山藩主 池田光政は、藩士である津田永忠の案内で和気郡木谷村(後の閑谷村)を巡検した際、この地を気に入り、領内庶民子弟を教育するための施設を設けることを決めました。まず手習所が設けられ、その後、寛文十年(1670)に池田光政は津田永忠に対して、学校を設立するよう正式に命じました。以後、津田永忠により学校の整備が進められ、食堂・学房・講堂・聖堂などが建てられました。しかし、この時期の建物は質素なものであったことから、貞享元年(1684)に新しい聖堂が、そして同三年(1686)には芳烈祠が建てられ、さらに元禄十四年(1701)には講堂が再建され、現在見られるような姿となりました。
 講堂・小斎・習芸斎・文庫が集中する学舎を中心に、東の小高い位置に聖廟と芳烈祠(現 閑谷神社)を並立し、西に小丘を隔てて学房を配した構成は、郷学でありながら当時の藩学をしのぐ規模をもち、江戸時代の学校建築としては最古かつ最もよく整った遺構となっていることから、国指定特別史跡「旧閑谷学校 附 椿山・石門・津田永忠宅跡及び黄葉亭」として保護されており、また、現存する建物は国宝や重要文化財に指定されています。


 ここからは、旧閑谷学校の文化財を御紹介しています。

 旧閑谷学校に到着して最初に目に入るのは、「泮池」と呼ばれる池です。幅7m、長さ100mの長方形の池で、ここには「石橋」(国指定重要文化財「旧閑谷学校聖廟」附指定)が掛けられています。
 石橋を渡ると、正面に堂々たる門が聳えています。
国指定重要文化財「旧閑谷学校聖廟」のうち「校門(鶴鳴門)」
イメージ 2

 国指定重要文化財「旧閑谷学校聖廟」として指定されている建物の1つである「校門(鶴鳴門)」です。聖廟の正面に位置する閑谷学校の正門であり、桟唐戸の門扉が開く際に鶴が鳴いたような声がすることから、『鶴鳴門』と呼ばれています。桁行一間、梁間一間、一重、切妻造、本瓦葺、左右の附属屋は各桁行一間、梁間一間、一重、切妻造、本瓦葺で、左右の「練塀」も附指定となっています。江戸中期の貞享元年(1684)に建てられました。荘厳且つ優美な門となっています。


 そして、旧閑谷学校の特徴的な景観を呈しているのは、この鶴鳴門の左右から続いている「石塀」です。
国指定重要文化財「旧閑谷学校石塀」
イメージ 3

 閑谷学校の敷地をぐるりと一周する形で築かれているのが国指定重要文化財「旧閑谷学校石塀」で、正門となる『鶴鳴門』の左右から起こり、延長は764.9mに及びます。幅・高さともに約2mの蒲鉾型の石組みで、不整形の石を隙間なく巧妙に組み合わせています。元禄十四年(1701)頃に築かれたものとみられます。


 鶴鳴門は聖廟の正門にあたりますが、現在はここからは入れません。少し東へ行くと、別の門があり、ここが入口となります。見学料を払って中へ入ります。


 石塀に囲まれた敷地の中で、最も東側にあるのが閑谷神社です。
国指定重要文化財「閑谷神社(旧閑谷学校芳烈祠)」
イメージ 4

 閑谷神社は、もとは芳烈祠または東御堂ともいい、創設者である岡山藩主池田光政を祀るために建てられたもので、明治八年(1875)に池田輝政利隆を合祀して閑谷神社となっています。
 国指定重要文化財「閑谷神社(旧閑谷学校芳烈祠)」として、「本殿(芳烈祠)」「幣殿(階)」「拝殿(中庭)」「中門(外門)」「神庫(庫)」「石階」「練塀」「繋牲石」が指定されています(※( )内の名前は、芳烈祠だった時代の呼ばれ方です)。
 まず正面にある13段の「石階」を登ると四方を囲む「練塀」があり、南面中央に「中門(外門)」が開かれています。門をくぐると、正面に「拝殿(中庭)」があり、そこから「幣殿(階)」「本殿(芳烈祠)」に向かって伸びています。これら建物の西側に「神庫(庫)」があり、その北側に「繋性石」が建っています。
国指定重要文化財「閑谷神社(旧閑谷学校芳烈祠)」のうち「本殿(芳烈祠)」「幣殿(階)」「拝殿(中庭)」
イメージ 5

 こちらは、「本殿(芳烈祠)」「幣殿(階)」「拝殿(中庭)」です。
 「本殿(芳烈祠)」は、桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、本瓦葺の建物です。
 「幣殿(階)」は、桁行二間、梁間一間、一重、切妻造、本瓦葺の建物です。
 「拝殿(中庭)」は桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造、本瓦葺の建物です。
 これらはいずれも、貞享三年(1686)に建てられています。


 この閑谷神社の西側、閑谷神社よりもやや高い位置にあるのが、聖廟です。
国指定重要文化財「旧閑谷学校聖廟」のうち「外門」「練塀」「石階」「中庭」
イメージ 6

 聖廟は、孔子廟または西御堂ともいい、儒学の殿堂の中心を成す建造物です。国指定重要文化財「旧閑谷学校聖廟」として、「大成殿」「東階・西階(東階)」「東階・西階(西階)」「中庭」「外門」「練塀」「文庫」「厨屋」「繋牲石」「石階」「校門(鶴鳴門)」が指定されています。
 櫂の木に挟まれて19段の「石階」があり、そこを登ると四方を囲む「練塀」があり、南面中央に「外門」が開かれています。門をくぐると、正面に「中庭」があり、そこから「東階・西階(東階)」「東階・西階(西階)」「大成殿」に向かって伸びています。これら建物の西側に「文庫」「厨屋」が並び、その北側に「繋性石」が建っています。
国指定重要文化財「旧閑谷学校聖廟」のうち「中庭」「東階・西階(東階)」「大成殿」
イメージ 7

 こちらは、「中庭」「東階・西階(東階)」「大成殿」です。
 「大成殿」は、桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、本瓦葺の建物です。
 「東階・西階(東階)」は、桁行二間、梁間一間、一重、切妻造、本瓦葺の建物で写真に写っていない 「東階・西階(東階)」も規模は同じです。
 「中庭」は、桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、本瓦葺の建物です。これらはいずれも、貞享元年(1684)に建てられています。
 なお、「大成殿」の内部は、天井は格天井、床は亀甲型備前焼瓦塼が敷かれ、その縁を白漆喰で盛り上げた形式となっています。中央奥には朱塗りの「八角聖龕」(国指定重要文化財「旧閑谷学校聖廟」附指定)が置かれ、孔子像が安置されています。
国指定重要文化財「旧閑谷学校聖廟」のうち「東階・西階(西階)」細部
イメージ 8

 こちらは、「東階・西階(西階)」の細部です。旧閑谷学校にある建物の多くは備前焼瓦が葺かれています。
 この備前焼瓦は丈夫ですが変形しやすい難点があるので、屋根には防水施工を入念に施しており、軒先には、このような水抜きの管が設けられています。
 ちなみに、屋根瓦の紋については、聖廟は無文ですが、閑谷神社は藩主である池田氏の家紋である『揚羽蝶文』、そして講堂は『六葉文』となっています。


 並立する閑谷神社と聖廟より西側にあるのが、講堂を始めとする「旧閑谷学校」の学校としての中心施設です。
国宝「旧閑谷学校」の「講堂」
イメージ 9

 国宝「旧閑谷学校」の「講堂」は、桁行19.4m、梁間15.6m、一重、入母屋造、本瓦葺の建物で、元禄十四年(1701)に建立されました。身舎の周辺に広い庇をめぐらし、その外に縁を設けています。身舎、庇とも同高の拭板敷で、境には無目敷居を入れます。屋根は大屋根の上に小屋根を被せる錣葺で、規模が大きく、妻飾も塗り籠めており、御殿のような堂々とした外観を呈しています。屋根瓦は他と同様に備前焼瓦が用いられており、野地に厳重な防水施工がとられています。
国宝「旧閑谷学校」の「講堂」内部
イメージ 10

国宝「旧閑谷学校」の「講堂」内部
イメージ 11

 身舎内部は10本の欅の円柱に支えられており、庇の外周は各面とも中央だけが扉で、他は大きな花頭窓を並べています。身舎の円柱をはじめ内部はすべて拭漆仕上げで、鴨居や長押の柱当りや合わせ目は、漆目地を詰め込む等、入念な工事が行われています。装飾性はなく、校風に合った学校建築となっており、厳格な雰囲気を感じさせます。


 この講堂の周辺には、国指定重要文化財「旧閑谷学校」として指定されているもののうち、「小斎」「習芸斎及び飲室」「文庫」「公門」の4棟の建物があります。
国指定重要文化財「旧閑谷学校」のうち「小斎」
イメージ 12

 「小斎」は、講堂の南に隣接して東西棟で建つ桁行8.8m、梁間5.6m、一重、入母屋造、こけら葺の建物で、延宝五年(1677)の建立です。藩主が学校を訪れた際に使用されるものですが、簡素な造りとなっています。
国指定重要文化財「旧閑谷学校」のうち「習芸斎及び飲室」
イメージ 13

 「習芸斎及び飲室」は、講堂の西側にあり、教室として使われた習芸斎と、師匠・生徒の休憩室として使われた飲室からなります。桁行13.7m、梁間6.9m、一重、入母屋造、本瓦葺で、南側に開く玄関は桁行6.0m、梁間2.0m、一重、入母屋造、本瓦葺、そして講堂と繋ぐ釣屋は桁行4.0m、梁間3.3m、一重、両下造、本瓦葺の建物で、いずれも元禄十四年(1701)の建物です。
国指定重要文化財「旧閑谷学校」のうち「文庫」
イメージ 14

 「文庫」は、習芸斎及び飲室の西側に独立して南北棟で建ち、学校所蔵の書籍などを所蔵した建物です。土蔵造、桁行9.7m、梁間3.9m、二階建、切妻造、東西庇付、本瓦葺の建物で、延宝五年(1677)の建立です。


 文庫の西側には「火除山」という、高く築いた石垣の上に盛土をした小丘があります。この山の西側には学房群がありましたが、その屋根は茅葺であったため、常に火災の心配がありました。そこで、万が一火災が起こっても、学校の中心施設に延焼しないよう、防火壁の役割を意図して山が築かれたとみられています。


 この「火除山」と石塀の間のゆるやかな登り坂を歩いて行くと、かつて学房が建てられていた一帯に出てきます。ここには、旧閑谷学校とは別の学校建築があります。
国登録有形文化財「閑谷学校資料館」中央棟
イメージ 15

 国登録有形文化財「閑谷学校資料館」は、明治三十八年(1905)に、私立閑谷中学校本館として建てられました。寄棟造、桟瓦葺、2階建の木造校舎で、両翼を南前方に張り出したコの字型平面をとり、北側に廊下、両端に階段を配します。
国登録有形文化財「閑谷学校資料館」内部 廊下
イメージ 16

 設計は、国指定重要文化財「旧遷喬尋常小学校校舎」(岡山県真庭市)と同じ、岡山県工師(技師)の江川三郎八(1860–1939)です。
 現在は、閑谷学校資料館として使用されており、資料やパネル解説を通して、閑谷学校の歴史等を学ぶことができます。


 旧閑谷学校の石塀内の文化財建造物は以上のようになっています。次は、石塀の外にある旧閑谷学校の文化財建造物や史跡等を御紹介していきます。


 閑谷学校の見学受付から外へ出て、東側へ少し歩くと簡素な門があります。そこをくぐると、木々に囲まれた参道が真っ直ぐ続いています。この一帯を椿山といいます。
国指定特別史跡「旧閑谷学校 附 椿山・石門・津田永忠宅跡及び黄葉亭」椿山
イメージ 17

国指定特別史跡「旧閑谷学校 附 椿山・石門・津田永忠宅跡及び黄葉亭」椿山
イメージ 18

 「椿山」は、閑谷神社の東に接して設けられたもので、岡山藩主 池田光政の髪・爪・歯を埋めた塚があります。域内には、岡山光政が愛したツバキが植えられており、これが名前の由来となっています。


 椿山から南へ下り、岡山県青少年教育センター前を通過して、川沿いの道路に出ます。ここから東方向へ450mほど進むと、開けた場所に出ます。
国指定特別史跡「旧閑谷学校 附 椿山・石門・津田永忠宅跡及び黄葉亭」津田永忠宅跡
イメージ 19

 閑谷学校の建設を行った津田永忠の屋敷跡です。岡山藩主池田光政からの命を受けた津田永忠は、延宝元年(1673)に木谷村(後の閑谷村)に居を構え、学校設立に専念しました。その際に屋敷が築かれたのがこの地です。
 建物は残っていませんが、広大な敷地からは往時の風景が偲ばれます。


 さらに50mほど東へ進むと、川沿いにモミジの木々が植えられた一角があり、ここに1棟の建物があります。
国指定特別史跡「旧閑谷学校 附 椿山・石門・津田永忠宅跡及び黄葉亭」黄葉亭
イメージ 20

 閑谷学校の教授 武元君立が、学校を訪れる客を応接する場として文化十年(1813)に設けたもので、閑谷川の上流の谷川に臨む静粛な谷間にある茅葺の建物です。


 さて、以上で、もと来た道を引き返し、閑谷学校の前へ戻ります。ここから南へ1kmほど行けば、特別史跡の附である「石門」がありますが、今回は寄りませんでした。


 旧閑谷学校を離れたのは12時30分過ぎ。帰りはタクシーではなく、備前市営バスに乗ってJR吉永駅へ向かいました。
 ここから、足守の方に紅葉が見ごろの場所があったので、寄ろうかとも思いましたが、この日の翌日(13日)も出かけるつもりであったので、体力温存のために、真っ直ぐ香川県へと帰りました。


☆この日の主な文化財(附指定は省略)
国宝「旧閑谷学校」の「講堂」
国指定特別史跡「旧閑谷学校 附 椿山・石門・津田永忠宅跡及び黄葉亭」
国指定重要文化財「旧閑谷学校」
  小斎、習芸斎及び飲室、文庫、公門
国指定重要文化財「旧閑谷学校聖廟」
  大成殿、東階・西階(東階)、東階・西階(西階)、中庭、外門
  練塀、文庫、厨屋、繋牲石、石階、校門(鶴鳴門)
国指定重要文化財「閑谷神社(旧閑谷学校芳烈祠)」
  本殿(芳烈祠)、幣殿(階)、拝殿(中庭)、中門(外門)、
  神庫(庫)、石階、練塀、繋牲石
国指定重要文化財「旧閑谷学校石塀」
国登録有形文化財「閑谷学校資料館」
※国指定重要文化財「閑谷学校関係資料」は岡山県立博物館に所蔵されています。

以上、8日目でした。

9日目の旅は、神戸の異人館の町並みを御紹介します。

今日はこれまで。
ではではー。

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
  • 名前
  • パスワード
  • ブログ

開くトラックバック(0)

本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事