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今日は大好きだった、父が他界して、3年
3回忌法要は昨年済ませて
今日が本当の3年目の命日
ちょうど、仕事も休みで、母を病院へ送り
私がお墓へ
毎月2〜3回のお墓参りはします
月命日が休みじゃない時は前後の休みには必ずお参りをしないと
なんとなく、落ち着きません
今日は、本当に、休みが重なり
父がこの日に来てほしいと言ってるのだ!
と思いました。
寒い日だったのですが、お天気も良く、お花を沢山お供えしました
亡くなって、3年が過ぎたのだぁ〜と
感慨にふけながら、お参り
大好きだった父
わがままだった父
言葉少なかった父
若い頃の苦労話をあまりしなかった父
私が父といっしょに過ごした年数・・・
(父が45歳の時に私は産まれた・・・ので)
もっと、一緒に過ごす時間がほしかった
一緒に旅行もしたかった
その分をこれから、母と一緒に過ごせるように
見守ってくれているのだろう
これからも、私達家族を見守ってね、大好きなお父さん!
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§大好きな父と母と共に
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大好きな父が病に倒れてからの日々の様子
平成19年10月に他界するまでの思い出日記
父と共に生きた思い出を走馬燈のように思い出しながら
平成19年10月に他界するまでの思い出日記
父と共に生きた思い出を走馬燈のように思い出しながら
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もう季節は秋ですね でも又最近は残暑が続いてます ちょうど昨年は父の在宅介護が始まった頃 母、私、お嫁さんとでそれぞれの役割を成していた 母の強い願いで自宅での介護が始まった 自宅前にデイサービスがあったので、毎日の入浴はそこで 出来ていた 帰宅後の食事はほとんどお嫁さんが介助をしていた それから、約1ヶ月半の在宅介護 あれから1年が過ぎたんだ・・・ 大好きな父との思いでを又振り返りながら思う事 こんな時父は何て言うかな・・・ 私はこの8月で9年間勤めた職場を辞した それも、大きな原因は人間関係であった 離婚して帰って来た時は 「おまえの人生だから、自分で決めた道はしっかり 前を見て生きなくてはならない」とぽつりと言う 故郷での生活ではいつも支えてくれていた 商売を辞めてからは、ぽつりと居間でうたたねする父が居た 物静かな父だったので、決して感情的には言わない 今回はどうだっのかな・・・ やっぱり父の意見を聞きたかった・・・ でも、たぶん同じ事を言っていたのかな そう、もう父はいない、大好きな父はいない これからも私達を見守ってくれる事だろう・・・
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父の百箇日 明日は兄達も来て供養する でも私は施設の大きな行事の為に参加できず・・・ 父も休めない仕事での不参加だから 許してくれるでしょう 百箇日が終わると、初盆、次は1周忌法要 毎週のお墓参りは欠かさず行ってる 父の遺品はまだ整理できてない
母がまだ片付けたくないと言うので カナダの姉が帰国してから片付ける事に |
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父が他界して2ヶ月あまりが過ぎた 49日法要が終わり、納骨を済ませ、毎週のようにお墓にお参り 父との日々を改めて思い起こす 小さい頃いつも父とお風呂に入り 歌が大好きな父は私にいろんな歌を唄ってくれた 一番好きだったのが「かもめのすいへいさん」 この歌を口ずさむ・・・・ 私が長崎を離れる時も冷静 私が長崎に帰った時も冷静 言葉少ない父 多くの困難を背負い、私達子どもに「若い時の苦労は買ってでもするもの」 と言いながら育ててくれた 生きてる時は感じなかった思いが巡る 父の残した多くの思いを感じる日々 これからもまっすぐな父は私達を見守ってくれている この景色を見ながら・・・・
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父の四九日法要を終えて 少し早いけど一昨日四九日の法要を終えた お寺での読経を聴き 手を合わせ「これからも家族を見守っていてね」 まだ若いお坊さん(たぶん24歳ぐらい) 貫禄がないのが・・・ でも一生懸命のお念仏が心に響く あるとき母が「早くお嫁さんを・・・」 はい、そうなんですが、自分は跡取坊主じゃないので 養子になるのが引かれた道なんです へーそうなんだ 自分で道を選べない身なんだ 父も自分の望んだ道を歩めなかった 長男であり、自分の父親の商売を受け継がねばならなかった 大好きな読書も思うように出来ず 商売に明け暮れた日々 でも、常に本を手にしていた記憶がある 棺にもたくさんの本を入れた 仏様になってもいつも読書をしているんだろうなーーー 父が残した多くの本は地元の図書室に寄付することとした
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