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戦時、戦前の高雄を想定しながら戦後前金区と愛河周辺を走ってみました。言葉で表現すると、
愛河(高雄川)は戦前は「歩いて散策」が適当な表現でありました。土手には土砂で固めたゆるい傾斜の
中に幾多の植林が伸びて影をつくり、涼しい風が抜けて吹きヒヤッと感じたものです。水も割りにきれいで
泳いだものもいたそうです。警官が自転車ではしりまわり、川にごみを投げるとしかられたものです。
「戦時中は川の周辺を駆け抜けた」ものです。空襲警報が鳴り響き、ゆっくりと散策が出来なくて、軍事関係
の輸送車は銃撃の対象になりました。私はいつも腰を低めて走りぬけたもので、危ないと思ったときは、
土手の植林の影に隠れたものです。
戦後「高雄川」は「愛河」に名前がかわりましたが、「十分散策」が可能な周辺になりました。だが水は汚れて
異臭を放ち「足早」に去ったものです。当時の国賓大飯店の客室の窓をあけるとその異臭が部屋に入って
きました。現在は水もきれいになり、コンクリートのコマーシャルの華やかなライトで派手になりましたので、
「散策」は十分できますね。国語世代の連中は昔の面影は消えて新しい近代建築が建つ近代的な愛河を
強調してくれます。そのたびに私は悲しいですねーと答えていますね。自然という土台の中での近代化
グランドデザインはよいのですが、土の匂いがない、緑の少ない、エコに遠い、コンクリート愛河の実現は
負の発展だと思うのですが。そのバランスが取れなかったデザインは箱物の一つに過ぎないのですが。
私には戦前の「高雄川」の自然川のデザインがしっくりするのですが。
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日本統治時代の台湾発展歴史
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1899年に台北州の淡水に生まれた施乾は台北工業学校を卒業して、22歳で
総督府官吏に任官した珍しい出世組であった。当時の自由思想に乗った社会で、彼は 極貧住民の存在が多いのに嘆き、総督府官吏(地方官吏でない)を辞して愛愛寮という施設を自費を投じて万華に土地を買い貧困者救済施設の運営に邁進した。台湾を訪問した菊池寛が市中に浮浪者がいないのに驚き、聞いてみると、愛愛寮に収容されていると聞き、施設を見学して施の著書を持ち帰り、内地で紹介した。1929年その 功労が認められて、宮内省を通じて天皇陛下から恩賞を受けた。京都に留学している親戚の紹介で京都出身の清水照子と知り合い、将来を誓った二人は結婚後、台湾の施設に戻り、奉仕の連続困窮労働をつずけた。1944年施が脳卒中で亡くなる。200名の収容者の世話で大変であった照子は翌年終戦を迎えて帰国か滞在かで自問した。 浮浪者を放置するわけにも行かなくて、施設にとどまり、愛愛寮の維持に没頭した。 他の使節は身寄りの無いものや病人を受けないが愛愛寮は引き受けたので人気がありました。今は台北市から補助金を受ける資格が出てきてこの補助金は運営経費の6割 にも達するそうです。夫人と娘さんが院長と看護婦をつとめ、数人の人事で運営がつずき、現在も創設者施乾の仁慈と愛護の精神は変わらず愛愛寮はそのまま運営がつずいています。 こんな実話こそ映画化されて日台の親善に寄与されてしかるべき内容であります。満州皇帝の弟さん薄潔夫人となった嵯峨みち子さん、朝鮮王子李殿下と結婚した北白川 皇女、平民出身の愛愛寮の院長の清水照子さんは戦後至難の心身の苦労を体験しました。メデアはビジネス一点張りだけではなくて、国と国の外交のチャンネルとしては、重要な役割をはたします。華麗な実話ではないが、地道な人権の救済は現在の 不景気で生活になやむ多くの国民の姿を、今一度考えさせて暮れる尊い体験を 見せてくれます。 人物で見る、台湾百年史参照; 01−30−10: |
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昭和16年に出された「サヨンの鐘」の歌曲はテイチクレコードから発売されたが、渡辺はま子の歌声は全国にひびきました。その「原詞」となったのが「乙女の真心」でありました。佐塚佐和子が歌いまして、台湾全国の劇場を回り、その名前を有名に
しました。初めはこの歌も日本(内地で)流行して、昭和19年に李香蘭が映画で主演して歌曲「サヨンの鐘」を歌うまで人気歌謡でありました。これは台湾コロンビヤ から販売されたレコードで台湾出身の内地人の父の警官、佐塚警部と霧社出身の原住民女性(高砂族出タイヤル族)との間に生まれた長女でありました。昭和5年10月 24日の地区運動会での席上になだれ込んだ不満一派のタイヤル族の集団に佐塚 警部はさしころされてしまいました。霧社事件として大騒ぎになった事件です。 彼女が歌った歌謡は現在でも本島人の年配世代間では「紗蓉(紗詠)鐘声」の 題名で渡辺はま子さんの「サヨンの鐘」のテープがでており、湖美芳さんのテープと 共に、愛唱されています。佐塚佐和子さんは当時日本に留学中であったのか無事に 生き延びています。原住民の運命のいたずらが彼女の歌謡を有名にして、父上と母上 の愛へのはなむけになりました。 |

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明治の中期、台湾が日本領土になったとき、四国では多くの自然災害が吉野川 沿岸に沿って住民(農民)を苦しめた。総督府がこの自然災害から救出せんと 台湾東海岸の旧吉野村に集団いてんさせて、日本農業を試みた。今の花蓮県の 吉安郷で列車で花蓮駅の一つ手前の駅吉安駅で下車郷公所の近くに吉野村跡の 開拓記念石碑と神社跡が見えるだけで全くの荒地である。慶豊市場の裏側とみて 目指すと判りやすい。今はぼうぼうの草むらのけもの道の中に突っ立っています。 当時の内地人は外で自分で農業をするものがいませんでした。ほとんど全部が これらの官設農業部落のみで農業をやりました。台湾割譲直後本土から移民して 来た農業家族は子供達を内地人の教育をうけさせたが、社会ではかなり台湾語を 駆使して生活をしたし、販売の手助けとなった台湾語で両親をたすけました。 昭和の10年代になると三世が少年、少女となり、日本語と台湾語を半々に話 して住民登録(戸籍登録)を地元の役場にしたものも多数ありました。彼等には 内地と言う日本が外地であり、行ったことの無い未知の国であったのです。敗戦で 内地に引き揚げるとき、彼等は国民党に台湾生まれで戸籍も台湾にあるし、言語も 台湾語を駆使して台湾の伝統、風習、文化を理解していて、日本(内地)に帰るのが いかに恐怖で不安で生活の予定が立たないかを込めて要請しましたが、中華の国を 早く台湾に定着させることが先決の蒋介石はかたくなに拒絶しました。事実は 彼等は台湾に敗走してきただけで、中華民国の領土ではなかったのです。吉野村 からは熊本県のお米を輸入して台湾古来の稲と交配して、台中65号(蓬莱米)が 発見される1年前に、品質で似た「吉野米」を生産して、台湾中に販売した人気 米でありました。 外で内地人が農業をしなかったのは、次の様な点が原因でしょう: 1)総督府と日本政府の農業移民への移住経費援助、農業経費の援助、販売網の 総督府の設定、買い上げ値段の特典など 2)総督府は農業の土地問題で外で内地人と本島人との間で問題提起を避けたい 3)個人の農業技術普及で特定の農地の生産量の増加を避けて公平な農業改良 普及を図りたい 4)内地人農民青年達の後継者の安定化を維持したい 以上の点を思いつきに書いてみました。 引揚船の中に座った湾産三世には、未知と不安の処女航海でありました。
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台湾の高雄港から米船で引き揚げた後、2−3年して台湾の同級生に留学の思いを 3−4通の手紙を出したが、本人に届かなかった。恐らく国民党が日本人からの 書類一切の交信には枠をはめたのであろう。ストリーと監督をしたウェイ・ダーシオン の「海角七号」はこの映画の思いつきは、日本時代の古い地名で出された手紙を 台湾の老人に届けられたと言うニュースを見て、思いついたそうだ。台湾では200 8年に公開され「タイタニック」に次ぐ歴代興行収入2位の記録的ヒットとなりまし た。 台湾では漢人、客家人、日本人、先住民が夢破れ皆が再起を懸けて頑張る姿を 描いています。他人種を排除せずに、お互いの価値観を認め、かといって必要以上 に熱く接近しない。今の台湾人のリアルテーを感じると、台湾在住のジャーナリスト、 片倉イ圭史さんがもうしています。50年も日本統治であったから、お互い懐日があ るのと知日派が、親日派が多いのも自然な現象であるとももうしています。 でもこの映画は中国では植民支配を美化していると反発があります。日本人は 少なくとも、台湾の歴史に深い関心があります。中国人は台湾の歴史はどうでも よくて、統一に反するメデアは一切排除して内容を事前に拒否します。台湾の 独自性を認めて欲しいと監督が申します。50年の長い日本統治の期間にお互い 台湾、日本文化の影響を知らずに受けております。映画には、「捨てたのではなく、 泣く泣く手放したのだ」と言うラブレターの内容を読み上げる場面があります。 ウエイ監督は、男女のすれ違いの恋を日台関係にダブらせたといわれています。 次に植民行政の典型で非難される「霧社事件」を映画にしたいそうです。だが、 決して日本を悪者には仕立てないそうだ。「台湾の原住民と日本軍部のそれぞれの 信仰を描くのが主題であると」。些細な事で社会の和のバランスが簡単に崩れ、和解 するまでのプロセスにきょうみがあるそうです。 監督はこれからの世代の新感覚を歌うつもりであるのでしょう。どうせ植民統治 だからと言う短絡な結論でなくて、50年の行政の負と正の両面をみてもらいたい。 すれば日台の隣人としてのお付き合いも今同様維持されて良き将来に向かい発 出来ると確信しています。 里見八犬伝の好きなウエイ・ダーシオン監督、有難う。
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