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東京帝大農科を卒業した彼は、伐採するこれらの材木を輸送
する為の輸送列車のデザインにも尽力して完成させた功績者で
ありました。終いに、この列車は観光用隣今も台湾の観光産業につくしています。記念碑がまだ建っています。伐採するとすぐ
植林作業をするのが当然で1−2年も放置すると土壌が変化して植林に適さない質に変わります。外来からの雑草の種が入り込み始めから土壌の組みなおしをしないといけません。戦後、
国民党のやくにんが国家の材木林を私的に伐採してしまい、
懐に大金を入れた話は無数にあがります。そして植林管理を
しないので、さすがの阿里山も荒れ放題でありました。この頂上は大木の檜安来や松を茂っていました。檜は(紅檜も含めて)
明治神宮、靖国神社などの鳥居にしようされました。献上行為
でありました。杉も松も不足したので、日本から輸送されてきた
者もあります。熊野杉は台湾でも有名になりました。松は日本と
同じく松枯れ病にさい悩み、松葉が黄色になり枯れてしまいました。鹿野忠雄博士の記録を見ると、無数のカミキリムシが松の
表面を食い荒らし、その傷口からはいった線虫が油脂皮質を
通りぬけて、導管を破壊して幹に達した頃は導管を通って上る
水分が上らずに黄色の葉っぱに変わり、全木が枯れてしまう
のです。戦後熊野国立公園の松も被害甚大でありました。
台湾の阿里山の松も例外なく被害を受けたが予防、感染対策が判らぬ国民党の営林署の役人は、そのまま放置したので、
玉山全体の松の消滅は酷いものでした。
これに関与するカミキリムシと線虫は特殊でありまして、全部の
線虫が、カミキリムシの全部が被害を与えたのではありません。
営林署の役人も本島人が体験を積んで、知識が深くなったので
戦後の林業管理が良いと思ったが、実は、目的が違う外省人の
役人は自分の懐を肥やす為に部下を重宝に扱わず、遠ざけた
と聞きます。豪雨が降るたびに、森林から流れる土砂流は住民をして田畑や家屋の損失に苦労したとききます。
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台湾の植物、小動物
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2008年出会ったが高雄市園芸研究所から発表されたマンゴーが新品種で高雄3号 |
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