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大概大概(テゲテゲ)日刊P-CAN・ASIAN雑記
申し訳ありません。稚拙なブログですが、よろしくお願いします。もう10年が経ちました。

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いまニッポンが目指すのは縄文時代
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いま、私たちが目指すのは国家がなくても平和で安定したコミュニティが存在していた縄文時代ではないのかと。
縄文時代は交易も行われておりました。ヒスイ製勾玉を例に出しますと、今の新潟県・糸魚川で採れたヒスイを近くの集落できれいな勾玉に加工して北海道や青森、秋田などに運び、黒曜石などと物々交換をしてていたというのです。
この縄文時代の文明における芸術性の高さを初めて発表したのは考古学者ではなく、大阪万博で太陽の塔という巨大モニュメントを制作した岡本太郎さんだったんですよ。意外や意外。
私などは「芸術は爆発だ」があまりにも衝撃的すぎて…。
その岡本太郎さんですが、1951年の秋、東国立博物館に陳列されていた考
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古資料の中から、偶然縄文土器を目にして、電撃的な感動を覚えたと言い、そのとき受けた強い衝撃を次のように表現しています。
「縄文土器にふれて、わたしの血の中に力がふき起るのを覚えた。
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濶然と新しい伝統への視野がひらけ、我国の土壌の中にも掘り下げるべき文化の層が深みにひそんでいることを知ったのである。民族に対してのみではない。人間性への根源的な感動であり、信頼感であった。」(「縄文土器論」、月刊美術誌『みづゑ』1952年2月号より)
また、岡本太郎さんはこの著書のなかで、中期の縄文土器に関してかくも激しく綴っています。
「激しく追いかぶさり重なり合って、隆起し、下降し、旋回する隆線文、これでもかこれでもかと執拗に迫る緊張感、しかも純粋に透った神経の鋭さ、常々芸術の本質として超自然的激越を主張する私でさえ、思わず叫びたくなる凄みである。」
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縄文時代は、私が学校で習ったギャートルズのような原始的な時代ではなかった
んですよ。
岡本太郎さんという方はすごいですね。テクノロジーの発達を進歩ではない語してこうもおっしゃっています。
「人類は進歩なんかしていない。何が進歩だ。縄文土器の凄さを見ろ。ラスコーの壁画だって、ツタンカーメンだって、いまの人間にあんなもの作れるか」と。
そのとおりですよね。
では、別の視点から、1冊の本を取り上
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げたいと思います。
『日本再興戦略』(落合陽一著、2018年、幻冬舎刊)
この本には全く縄文については触れてはおりませんが言おうとしていることが似通っている点があります。
ニッポンの若き科学者である落合陽一さんは、「欧州型」「米国型」といった概念をもう一度見直し、日本が今まで何を基軸にしてきたのかを問いかけて、こう記しております。
『個人』として判断することをやめればいいと僕は考えています。『僕個人に投票するのがいいか』
ではなく、重層的に『僕らにとって誰に投票すればいいのだろう』『僕らの会社にとって、誰に投票するのが得なんだろう』『僕の学校にとって、誰に投票するのが得なんだろう』と考えたらいいのです。個人のためではなく、自らの属する複数のコミュニティの利益を考えて意思決定すればいいのです。」と。

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