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大概大概(テゲテゲ)日刊P-CAN・ASIAN雑記
申し訳ありません。稚拙なブログですが、よろしくお願いします。もう10年が経ちました。

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今日は散々でした。
朝から、PCが起動しなくなり、リカバリに何時間も時間がかかってしまいました。

バックアップも最近していなかったので、
最近の画像、音声、動画は全滅。

また気分一新して午後に復活。
しかし、ネットがつながらないアクシデントが発生。

プロバイダに電話するも何分たってもつながりません。
イライラ〜。
「こういう時は初心に帰ることだ」と自分に言い聞かせます。
NTTのADSLマニュアルを探し、その通りにしたらすぐに解決しました。
あ〜、なんてことはなかったのであります。
何も見ずに自分なりのやりかたでやっていたのがアカンかったようです。

復活して、ニュースを見ていたら、
僕の母校で教授が院生にセクハラの見出し。
「何をしてくれるんや」。
かなりのイメージダウン。
今日は外に出る気にもなれず、
冷蔵庫にあった国産豚肉をどっさりシャブシャブにして自棄食いしました。

夜は夜で、阪神タイガースでトラブルが発生し、矢野が退場。
その気持ちはよくわかるが…。
「我慢、我慢」。
と自分に言い聞かせていました。

イメージ 1

とうとう北朝鮮やっちゃいましたね。

今朝、早起きして「ワールドカップ・イタリア−ドイツ戦」を見終わった後、
近くのコンビ二に行って戻ってきたら
NHKニュースで「北朝鮮のミサイル発射」。
短距離ミサイル・スカッドや弾道ミサイル・ノドン(北朝鮮ではロドン로동)だけでなく長距離弾道ミサイル・テポドン2も飛ばしたようですね。

あ〜哀しき哉。
夕方の1発も含めて計7発が日本海(東海・동해)に着弾。
しかもあと2発も発射準備に入っているとか。
恐ろしや。

それでも、共産中国・ロシアは北朝鮮の肩を持つのでしょうか。
きっと相変わらずなんでしょう。
国連安保理に持っていっても無駄なんでしょうねえ。
♪Яーレン ソーレン 朝鮮総連。
金正日さん、北海道の旭山動物園がお似合いですよ。

こんなところにまだ東西の障壁(死語だったのでは??)があるんですねえ。

早く韓国と北朝鮮統一してほしいものです。
平和が第一ですよ、北朝鮮の金正日さん。そしてアメリカのブッシュさんもね。



※テポドン…アメリカ中央情報局(CIA)が、ミサイル基地のある地名・大浦洞(テポドン)から命名したとされる。

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中田英寿氏の引退表明の記事(メール)を抜粋して掲載します。
なお、掲載に関しましては事前許諾を得ております。

そのタイトルは“人生とは旅であり、旅とは人生である”。  

文章は以下のとおり。
「〜1985年12月1日 - 2006年6月22日〜

俺が「サッカー」という旅に出てからおよそ20年の月日が経った。
8歳の冬、寒空のもと山梨のとある小学校の校庭の片隅からその旅は始まった。

あの頃はボールを蹴ることに夢中になり
必死でゴールを決めることだけを目指した。
そして、ひたすらゲームを楽しんだ。
サッカーボールは常に傍らにあった。

この旅がこんなに長くなるとは俺自身思いも寄らなかった。
山梨の県選抜から関東選抜、U−15、U−17、ユース、そしてJリーグの一員へ。
その後、自分のサッカー人生の大半を占める欧州へ渡った。

五輪代表、日本代表へも招聘され
世界中のあらゆる場所でいくつものゲームを戦った。
(中略)
半年ほど前からこのドイツワールドカップを最後に
約10年間過ごしたプロサッカー界から引退しようと決めていた。

何か特別な出来事があったからではない。その理由もひとつではない。
今言えることは、プロサッカーという旅から卒業し“新たな自分”探しの旅に出たい。
そう思ったからだった。
(中略)
最後にこれだけは伝えたい。

これまで抱き続けてきた“誇り”は、
これからも俺の人生の基盤になるだろうし、自信になると思う。
でもこれは、みんなからの“声”があったからこそ
守ることが出来たものだと思う。

みんなの声を胸に、誇りを失わずに生きていく。

そう思えればこそ、この先の新たな旅でどんな困難なことがあろうと
乗り越えていけると信じられる。

新しい旅はこれから始まる。

今後、プロの選手としてピッチに立つことはないけれど
サッカーをやめることは絶対にないだろう。
旅先の路地で、草むらで、小さなグラウンドで、誰かと言葉を交わす代わりに
ボールを蹴るだろう。子供の頃の瑞々しい気持ちを持って――。

これまで一緒にプレーしてきたすべての選手、関わってきてくれたすべての人々、
そして最後まで信じ応援し続けてきてくれたみんなに、心の底から一言を。

“ありがとう”」


僕は、この中田英寿氏の推敲を重ねたと思われる文章に涙せずにはいられませんでした。

中田英寿氏、さまざまなシーンで感動を与えてくれてありがとう。

これからの中田英寿氏の「新しい旅」を1ファンとして見守っていきたいと思います。

中田英寿おつかれさま

イメージ 1

中田英寿が現役を引退した。

自身のHPにその旨が書かれたのだ。

おつかれさん。

最後のブラジル戦のピッチでの涙、忘れません。

新たな旅で幸せをつかんでほしい。



僕は先ほどミッドラジオにて
  「中田英寿同士に捧ぐメロディー」を公開しました。→http://midradio.music-eclub.com/mysel/list/detail.php?pid=3654

よかったら聴いてください。

イメージ 16月19日の桜桃忌もとうに過ぎ、
うっとおしき梅雨の日曜日。
僕は、太宰治の書を読む気力さえ失せていた。

本棚には太宰の黒い単行本がわずかに並んでいる。
大阪から東京、東京から神戸、神戸から大阪へと
引越しを繰り返し、その多くの本は古本屋へと行ってしまった。

僕には無論、太宰における山崎富栄のような存在もいない。
ゆえに玉川上水に身を投じることもない。

思い起こせば、大学4年の時に就活で大阪から東京へと幾度となく上京。
弟(10年近く会っていないなあ)が三鷹に住んでいたことから、弟の家に転がる。
ここは、太宰の眠る禅林寺にも歩いて行ける距離だった。

太宰を信奉する僕が、禅林寺を訪れたことは言うまでもない。
太宰の墓前には、ぼろぼろになった太宰の書が置かれていた。
僕の心に去来するものは…。

その後ろには森林太郎の墓。そう森鴎外の墓があった。

それから20年近くなる。
時代は大きく変わったような…。

しかし、僕は何も変わらない。
あの時と同じようにひとりぼっちだ。

やがて、僕はこの街でひとり寂しく逝くのであろうか。

イメージ 2

当然ながら、村上ファンドの村上氏のように、
ポンと5億円を出せるほど裕福でもない。
どちらかと言えばその真逆の人生。

英世さんさえ愛おしく思えるくらいで、諭吉さんは最近見かけないありさま。
大方の人と同様に金に振り回されている…。

明日は明日の風が吹く。
そう思わなきゃな。

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