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昨日の大晦日、実家に泊まった。 その夜9時過ぎの事。 母の御霊前は2階にあり、僕はその部屋でひとりいた。 ボーっとしていたら、いきなり蛍光灯が高速点滅しだした。 隣の部屋を見ると、その部屋の蛍光灯も同じように高速点滅状態。 しかも、御霊前の部屋の蛍光灯は大きく左右に揺れていた。 僕は、もうビックリ。 心臓はバクバク。 この現象は、15秒ぐらい続いた。 しばらくして1階に降りると、今度はブレーカーが落ちた。
2階の様子が気になったが…。 もう怖くて行けなかった。 |
言の葉
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今年もいろいろあった。 母が亡くなった事が一番の出来事だった。 僕を産んでくれた存在がこの世からいなくなったのだからね。 それから、「派遣切り」、「雇い止め」に象徴される雇用の不安定さが何かとクローズアップされた事も一大事だった。 僕もハケンなので、他人事ではなかった。 いつ首を切られるか分からない。 とりあえずは年初めまでは首はつながったけど…。 国は雇用問題にもっと本腰を入れてほしいものだ。
国会は、茶番に次ぐ茶番で、あきれてしまう。 タイならクーデターものだが、日本はそういう意識が薄いのかほとんど何も起こらない。 麻生坊ちゃんは有言不実行で、言葉だけが踊ってるしね。 皆さん、何とかしてください。 |
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「自我」という言葉がある。 自分を客観的に意識する事である。 10〜13歳頃になると、自我が目覚める。 それまでは、人間は自己を意識しない。 それは、脳の発育によるところが大きい。 人間の本能からだろうか、生まれることの苦しみは記憶していない。 年老いると、痴呆症やボケたりする。 意識レベルが低下してしまう。 老いの苦しみから遠ざけ、長生きするための人間の本能なのかもしれない。 そして、人は誰しも寿命を迎える。 人は死ぬ前になると、意識が低下し、身体が動かなくなり、やがて昏睡状態に陥る。 僕の母もそうだったようだ。 母が亡くなった日は、空海が唐から持ち帰った「宿曜経」によると、母にとっての衰宿の日だった。 衰宿は凶日。 体調すぐれず、不快な事が起こりやすい日とされている。 いま僕にできること。
母が極楽浄土に往生できるように線香に火を点じることのみである。 それが、僕にとって一日一日を大切に「いのちを生きる」ことでもある。 「日々日々又(また)日々」である。 |



