肺癌

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父が肺癌の末期にになりました。今も闘病中です。
でも、私はあきらめません。
奇跡を信じます。
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火葬場の人。

 
 父が亡くなり火葬場に行った時の事、私は火葬場に行くのは生まれて初めてでした。

 最後に父の顔を見るとすぐに火葬されます。
 
 一気に入れられ、炎の音がゴーと音をたてるのです。

 それから待合室に連れて行かれお茶を飲みました。待ち時間50分

 その間に父は焼かれ骨になってしまうのです。

 できれば父が焼かれ骨になった姿は見たくありませんでした。

 待ち時間、冷静を装ってはいたけれど気が気じゃありませんでした。

 時間が来ましたーと呼ばれ戻ると

 父の棺のあった場所を、引き出されるとそこには骨の塊がありました。

 見るに耐え難かったです。そして男の人が骨を棒見たいのでかき集め入れ物にザバーと

 入れるんです。まるで、もう、それは人間ではない扱いで、ひとつの作業をしているようでした。
 
 そして骨を移動しそこで骨を骨壷に入れるのです

 もちろん子供なので1番目に私と兄で骨をひろいました。

 頭の中はこれは親父じゃない・・・。偽者だって・・・。そう思ってしまいました。

 最後に、また男の人が来て骨の説明に来ました。

 これがあご半分です、これがのど仏です。これが頭蓋骨の頭の部分です。

 そういってひろい残った骨をかき集め、ザバーと骨壷に入れるんです。

 あまりにこれってひどくないの?

 なぜみんな、こんなことが平気なのかわからない・・・。

 なんて、あっけないんだろ? かなしくなりました。

 作業してしている人はもちろん知らない人だし仕事だし関係ないけど

 見ている私はなんともいえない気分にさせられました・・・。

 これが、当たり前なんてね。 複雑です。

 気づくと父がなくなって10日以上もたっていました。

 あの日からときが、まるで止まっているような感覚です。
 でも、時がすすんでいるのもどこかでわかっている・・・。
 矛盾しているけどそんな毎日です。
 昨日、友人が来て、 たまたま、今日って何日だっけ?
 今日は26日だよー。  工エエェェ(´д`)ェェエエ工工(衝撃)

 私はそれを聞いてかなり驚いた。日にちだけでこんなに驚いたのは、初めてかもしれない…。
 驚きと、ショックが同時に来たような感覚…。

  父が亡くなり、通夜や告別式で確かに慌ただしかったけどそれ以降、静かで、気の抜けた
  日々を送っていた。、

  亡くなったその時は、あまりのショックで、吐き気があり、もう少しで吐きそうでした。
  悲しいから泣くと言うより目から水分が滴るだけ・・・。
  何の感情も沸いてこず、水分が溢れてくる
  そんな、感覚だった…。

  でも、それから、父の顔を見るといろんな感情が飛び交った。
  どんどん体温は冷たくなるのを感じた。
  でも、亡くなっているとは思えなかった。

  遺体を自宅に戻して翌日の事だったかな…。それまで、父の顔を見に親戚や会社の人達が
  いたので、父の顔をゆっくり見ることは出来なかったけど翌日数時間だったけど2人っきりに
  なりました。父の顔をみて、父の顔に触れ、ドライアイスで体を冷やしてあったから
  めちゃくちゃ冷たくて、ぎょっとするぐらいでした。
  そのとき本当に死んじゃったんだなって感じました。

  あれから、10日以上たって、結局、父と私2人だけでいます。
  毎晩、遺骨を前にして話しかけています。(笑)
  お水とビールは欠かさず供える毎日です。

  先日親戚が父がでてきたぁ〜と言ってお焼香に来ましたw
 
  それを聞いて私にも出てきてよ〜こんな近くにいるのになんで出てこないんだよ〜
  と拝んでみましたが私の所には音沙汰なしです。
  夢でもいいからでてきてくれぇ〜と思うのになぁ…。
  
  ただ、告別式が終わって1,2日たった日の事、朝の9時過ぎて、テレビの移りが
  5分くらいかなザーと悪くなりました。アンテナをチェックしてください。
  というメッセージがテレビに出て数分後に戻ったけど…。
  その翌日同じく10時前頃 今度は1,2分てとこかな、またテレビがザーとなり戻りました。

  その時いるのかな?って思いましたが結局なんだったかわかりません。

  スピードに追いつけないじゃなくて、もしかしたら、
  その感覚についていくのが嫌なだけなのかもしれない…。
  父が亡くなって過去になって、思い出になって、もしかしたら忘れてしまうんじゃないかって…。
  父だって勿論きっとそう思っているだろし、私だって死んだら忘れ去られる事が一番嫌だなって
  思っていたから…。
  
  いつも思い出します。
  生きたいと父が強く望んでいた事。
  自宅療養の時、はやくなんとかしないとこのまま家にいたら死んじゃうじゃないかぁと
  言っていたそうです。ガンかまだ病名がわからなかった時の不安そうな顔
  目が泳いでいたなぁ…。

  用事があっても、なくても私の名を何度も何度も呼んでくれました。
  水飲みたい、アイスが食べたい、

  俺の見えるところにいてくれよ〜

  今日は隣で寝ろ…。不安だから泊まってくれよ…。
 
  お前がいてくれてよかったよー、お前がいなかったら俺、死んでたよ・・・。


  そんなうれしい事いってくれたけど、ごめんね。助ける事ができなくて…。
  一緒にいた分、思い出すと、もうだめです…。涙が止まりません。

  今は、父の遺骨のある部屋で寝ています。
  何度か自分の部屋で寝ましたが、どうしてもしっくり来ません。
  なんか、落ち着くというか、こっちが守られているような気がしています。

  きっと、これからも、何も変わらず、父を忘れないように話しかけながら
  のんびりこの調子でやっていこうかな…。
  まっ、闘病中の事はどうしても思い出すと号泣しちゃうけど多めに見てよっって感じかな (。・x・)ゝ
 
  父のために笑ったり、怒ったり、泣いたり、結局生前と同じなんだよね…。
  会話だけはできないけどね(TдT)

  これからはというと、まだ、書類上の手続きとかもいろいろ残っているんだけど
  49日まではしばらく父のそばについていてあげたい。
  それが過ぎたらまた振り出しに戻って仕事を探しがんばります。

  今の夢は父が残した家を、、お金をためて大きくして建て替えてあげたい
  とひそかに思うこの頃です。さてなん十年かかることやら…。

 
  ごめんなさい。 先にお礼をを言うのを忘れていましたね。


  皆さん本当に有難うございました。

  この半年間、家族でがんばってまいりましたが、残念ながら父は亡くなりました。

  ですが、まだ実感もわかず、なにか、なにか足りない気持ちになっています。

  でも、父は本当にがんばってくれたと思います。

  入院中は、痛みに耐えていた苦痛の顔が忘れられませんでした。なくなったときの顔は

  その痛みが解放され、生きている時より穏やかで微笑んでいるようにも
  
  思えてました。やっと、安らかに眠れる事と思います。


          皆さん 本当に 有難うございました。

 2日前無事に告別式が終了しました。

 ここでは、裏話っていうのか愚痴って言うのかここでしか言えないので…。(;^_^A アセアセ

 父が亡くなる前日2月13日私は1度夕方から帰宅しました。
 私がちょうど帰った頃に父の彼女が訪れたそうです。

 今まで喧嘩してほとんど別れたような感じに近い状態でした。
 やはり、気にせずにはいられなかったのかもしれません。
 
 14日先生達が彼女に状況を説明してくれときかれたらしく
  担当の先生は2人いるのですがそのうちの1人が話してしまったらしく
  誤りに来ました。

  先生達がもう、彼女には状況を話さなくていいですねといった。
  私たちからも見てても、都合のいい時だけこられても困りますので…。
  先生たちも彼女の事をあまりよく思っていなさそうだと感じた。

 私は はいと答えた。 だがその14日夕方彼女が来て突然これからは1日おきに泊まるようにする?
 と言いはじめてそんな勝手なぁ〜と正直思いましたが何も言えませんでした。

 そして、途中、兄から電話があり今の状況と彼女の事を話した。病院に来てほしくはないということを
 兄から言ってもらえないかと話しました。兄も苦悩していました。

 なぜかというと、彼女が来ると父がおかしくなるからです。
 高熱が出るちょっと前、たった2日間だったけど、かなり調子がよかったのです。
 言葉もはっきりはなせるようになり、
 あまり、ボケっぽい症状も見られませんでした。
 彼女が来た瞬間

 人間の頭が見える・・・。といいはじめるんです・・・。
 やはり、精神的に何か原因が彼女にあるのかと少し疑わざるおえなかったです。

 話を戻して、兄の電話が終わると彼女はもう帰っていました。
 ですが、わざわざ、ナーススタッフに伝言を残したらしく、明日は私が泊まりますと・・・。

  15日朝、先生達が来て今日、彼女が泊まるってきいたけど?
  私は苦笑しながらはいと返事した。
  なるべく、夜は子供達について貰いたいんです。
  もしあれだったらこちらでいいましょうか?
  やっぱり子供達が、いいと思いますよ。
  今お父さん、しゃべれないけど、私達から見てもお父さんは、子供達にいて貰いたいと
  望んでいると思います。そう先生たちがはっきりといってくれたので兄に相談し
  私達は彼女が来たら断ろうと思っていました。

  ですが、2時近く父は息をひきとりました。
  1時間後彼女がまさか、なくなったとも知らずに来ました。
  あまりに突然で私は父のぞばで手を握り締め泣く事しかできませんでした。

  彼女が来て、号泣し始め、それを、私は冷静に、しらけるほどみていました。

  とつぜん、おねぇさんに、親戚にはしらせたの!!?と怒鳴るようにいいはじめ

  いや…。 しらせなきゃ駄目じゃないの!!

  と切れ始め・・・。 おねえさんは(叔母)きています。1時間前になくなって・・・
  そんなこと言われてもなにもできないよ〜

  兄にもそれから30分後到着しました。

  どっちにつれて帰る?といってきて、まさか、彼女の家につれて帰るきか?って思ったけど
  兄がきて家につれて帰りますときっぱり言った。

  何度も何度も、彼女には1歩引いてきました。

  通夜、では、女性が来ているだけで誰かしら?とかずーっと気になっていたらしく
  うんざりでした。
  それでも、父の棺を見ている彼女に同情し私の挨拶を彼女かわりました。
  身内の紹介にもなるかと思い…。

  でもそこで述べた事は、私は自分の身内、全員に反対されて一緒になりました。という挨拶でした。
  よくわからない・・・。
  それはっきっと私の父だからというわけでもないはず。
  反対されるとわかってお見合いに申し込んだのではないのかな…。
  意味不明です・・・。

  最後にどうしても許せなかったのが、告別式が終わった後 

 1度自宅で父の遺体を寝かせていました。その布団をどうしても片付ける気には慣れなかったのです。
 まだ、そこに父が寝ているような気がしたんです。

 彼女が布団片付けた?ときいてきました。私は、まだ寝てるような気がして
 片付けていないといいました。

 笑いながらほらねぇ〜と叔母さんに、言っていました。

 なんか私の気持ちを踏みにじられた気持ちで今までの事が許せなくなりました。

 でも、兄になだめられしぶしぶおちつきました。

 どーせーもー関係ないんだから・・・と。

 遺影をみて、なんで、あんな人と知り合っちゃったのかな…。

 今はそれだけが心残り。本当に自分の好きな人とせめて、好きな人に少ない時間であっても
 一緒にに入れたほうがよかったはず。
 
 かわいそうでかわいそうで、うかばれないよ…。

 私たち子供も最後の最後まで治ると信じて看病していたからね。奇跡は起こるって…。

 父の事を思うと身をちぎられるほどつらい・・・。

 彼女は父の事を思いつつ自分の事しか考えていない人間でした。

 冷たい事を言うようですが私達はこれから彼女の力にはなってあげられません。
 今までの父に対する思いやりがかけていたように思えます。

 父の身内連中も内心はわかってはいるけど、みんな何もいえない、言わないんだと思います。

 私も、兄もまだ正直なところ、お骨を前にしてもまだ亡くなったと言う事が

 実感できていません…。ただ、ただ、涙があふれてきます。

 きっとそうやって時はたっていくのかな・・・。

 
 とてもざんねんです。

 父が亡くなりました。先週の土日、とても元気だったんです。

 父と2人病院で本当に楽しく過ごせたような気がします。
 
でも、その、日曜の夜ぐらいから高熱をだすようになって突然からだ全体が震えだしました。

 前にも何度かそんな事が見られたのでまさかなくなるとまでは思っても見ませんでした。

 月、火と熱は下がらず、水曜日の朝少し落ち着いてきたので一度家に帰り寝かせてもらいました。

 朝起きると病院から連絡が入り状態はよくはないく、サインがないと別の薬が使えないとのことで
 急いでタクシーを走らせて行きました。

 いろいろ調べたところ敗血症…。 ネットで調べるとほとんど厳しいと書いてありました。

 でも、病院側もやれる事はやって見ましょうとのことで薬を使う同意書にサインした。

 でも、その薬を使う事で、最悪1週間ってこともありえるといわれて、もちろん

 心の準備をしていたけど、それでも、少しでも薬が効いてくれればいいと願っていました。

 水曜日の夜1時から、呼吸が荒くなり苦しそうにしていました。私はナースコールして看護師さんに見  てもらいました。

 ときどきてをばたばたさせてうーうーうなりみていられなかった。
 でも、熱が上がってきてるってことで看護士さんは平然としていた。

  正直、この日が一番父には苦しかったのかもしれない。
  でも、先生達は見てる方はつらいけど本人はそうんなにつらくはないと思います。
  と言われた。

 ず〜っと、翌朝の7時ごろまで、そんな事が続きちょっと落ち着いてきたかなと感じると
 
 私は父の隣ですぐに眠りについてしまった。

 目が覚めたのは9時近く 何度か先生達が見に来てくれてクスりの方がどうやら多少効いてきてるよう に思えた

 昼頃先生達が様子を見て、あー、だいぶ落ち着いてきたねって一言言ったので私は安心して

 コンビにお弁当を買いにいきました。1時ごろご飯を食べ終りいつものように暢気に
 父の横でテレビを見ていました。

 ときどき父の顔を見ると眠っているかのようでしたので、私は、あーやっと落ち着いて寝てるのかと
 思っていました。

 その時看護士がきて心臓の鼓動が弱くなっています・・・・。 え・・・・。

 それでも、すぐにいってしまうと思っても見なかったので

 だれかご家族はいらっしゃいますか?といわれたので連絡したほうがいいんですか?
 
 とききかえたらはいと即答でかえってきたので病院を抜け出し、兄に連絡した

 だが、つながらない…。

 看護師さんが離れたところで待っていたので病室に戻る事にした。

 先生達がたくさん集まっていて

   お父さんなくなりましたよ・・・。


   う、、、うそ・・・。 その後は真っ白で言葉が出なくて涙がでるだけでした…。

  お父さんたぶん、最後を見せたくなかったのかな・・・と先生がいいました。

 いままで長い事いっしょにいたのに・・・。最後を見届ける事ができませんでした。

 だけど、いままで、父の顔はいつも痛そうな顔ばかりで、なくなってから本当に安らかで

 眠っているように見えました。本当に痛みからやっと解放されたと思います。

 だから、そんな穏やかな父の顔を見ると泣けてしまいます。

 目の前に父はいるけど、今ここで父は亡くなっているんだと理解ができなかった。

 でも、父の手の感触も、顔のぬくもりもどんどん冷たくなって、そのとき

 あー本当にいってしまったんだなと思いました。

 兄にも連絡を入れて説明すると兄も同じように見せたくなかったたんだなといいました。

 親父らしいよ・・・。

  私は、何でよ…。なんでそんなときだけかっこつけてんだよ…。

 父は弱かったんだから、別に最後にかっこつけなくたっていーじゃん…。

 1週間で、なくなる可能性もあると言われ、でも、たった1日で逝かれてしまい

 心の準備なんてできなかったよ・・・。

 父は今家に帰ってきています。やっと家に帰ってきました。

 一時はうなされて、 いたい、いたい もう、家に帰る、こんなんじゃだめだぁー、もう家に帰るよ

 と、話せた頃は言っていました。 やっと家に帰れたから本当によかったかな

 結局、何もしてあげられませんでした。

 ただ、先週の土日、本当に元気な感じでその2日間は私にとっても幸せな2日間でした。

 本当に痛かったし、苦しかったね

 やっと、眠れるね

 おやじ!!ありがとう

 私は忘れないから…。

 本当にここまで育ててくれてありがとう。

 大好きだよ!!

 そうそう、父は確か去年8月16日ぐらいに入院したんです。
 医者が宣告したようにちょうど半年でした。
 私はだから16日を1日でもいいから越えてほしいと2月16日に目印をつけていました。
 でも、それもかなわなかったな…。

 奇跡はおこらなかった? それとも、ここまでこれた事が奇跡だったのでしょうか?

 今となってはわからないけど感情さえこのスピードに追いつけなくて
 
  空っぽになっています。
  この感覚はなんだろう・・・。













 

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