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4月下旬のGWから始めた遍路です。
切幡寺には5月5に訪れました。
十番札所 切幡寺
九番札所の法輪寺から車で約15分ぐらいの所にあります。
切幡寺の歴史・由来
切幡山の中腹、標高155メートルに境内がある。国指定重要文化財である大塔からの眺望はすばらしく、眼下には吉野川がゆったりと流れ、前方には四国山脈の雄大な山々が連なる。古く、この山麓に機を織る乙女がいた。ここで修法していた弘法大師は、結願の7日目、綻びた僧衣を繕うために布切れを所望された。乙女は、織りかけていた布を惜しげもなく切って差し出した。大師は、この厚意にたいへん感動し、「何か望みはないか」と尋ねた。乙女は、「父は都で薬子の変に関係して島流しとなり、母は身ごもっていたが、男の子が産まれればその子も咎を受ける。どうか女の子が産まれるようにと、清水の観音様に祈願し、やがてこの地に来て産まれたのが私です」といい、「亡き父母に代わり、観音様をつくってお祀りし、わたしも仏門に入って精進したい」と願いを告白した。
大師はつよく心を打たれ、さっそく千手観音像を彫造し、乙女を得度させて灌頂を授けた。乙女はたちまちのうちに即身成仏し、身体から七色の光を放ち千手観音菩薩に変身した。大師は、このことを時の嵯峨天皇に伝え、天皇の勅願により堂宇を建立して自ら彫った千手観音像を南向きに、また即身成仏した千手観音像を北向きに安置して本尊にしたと伝えられる。得度山、灌頂院、切幡寺それぞれの名称もこうした由縁による。麓には遍路宿があり、巡礼用具店などがならぶ門前町となっている。「女人即身成仏の寺」として知られ、七色の光を放つ善女に憧れる女性からの人気が高い。
参道が坂道にかかる前に小さな橋があります。
足の不自由な女性が杖を突きながらの巡礼をしていた。巡礼を続けこの橋に来たとき、「橋の上では杖は突かない」の教えに従い杖を突かないで渡ろうとした。 ところが渡り終えても、杖を突かなくてドンドン歩けるようになった。 そのため、この橋に「杖無し橋」と言う名前がついたそうです。 この参道を歩いて行くのですが、キツかったです
![]() 三三三の階段を上がるの
って思わず口に出してしまいました![]() 家族がここのお寺に来る前に「次の所は階段多いから」とは言ってたけど
まさか三三三段もあるなんて・・・
![]() 膝が悪い私は途中で何度も休みながら上がりました。
途中にこういう建物がありました。
女やくよけ坂です。
男やくよけ坂です。
ようやく長い階段を上りきり到着しました。
少し休んでから本堂に行きました。
本堂です。
ここでもきちんとお経を唱えさせていただきました。
大師堂です。
ここでもお経を唱えさせていただきました。
大師堂の左の方に階段がありここを上がると切幡寺大塔があるのですが
三三三段上がってきた私には体力がなくて上がるの諦めました
![]() 次回、逆打ちに行った時には見させていただこうと思ってます。
乙女が即身成仏して観音さんに化身した銅像。右手にハサミ、左手に長い布をもっています。
ハサミと布を手にしたはたきり観音像です。
ご朱印です。
★長い参道(約800メートルあります)と三三三段の階段はキツイです
![]() でも下に降りる頃にはあれだけ辛かったのに「また来よう」という気持ちに
なりました。
階段を上がってる途中で車が上に向かって走ってるのを見て愕然としました
![]() どうやら上まで車で行けるようです。
でも一度はこの階段を上がるのも修行になりいいかもしれません。
納経所はおばあさんが一人いたのですが、愛想が悪かったです★
切幡寺の見どころ
山麓から本堂まで約800メートル。333段の石段があり、
女厄坂、男厄坂を上り切ると本堂。 切幡寺大塔(国指定重要文化財)初重と二重の間が方形で、日本唯一の構造様式。豊臣秀頼が秀吉の菩提を弔うため建立、明治6年に移築し、完成に10年を要した。
はたきり観音乙女が即身成仏して観音さんに化身した銅像。 右手にハサミ、左手に長い布をもつ。 切幡寺へのアクセス
土成インターチェンジから、国道318号を左折して鴨島方面へ進み、県道12号線(鳴門池田線)を市場町方面へ進み切幡変電所を左折すると標識がでているので 道なりに進んで行くとたどり着きます。
★使用したカメラはSONY RX-10です
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遍路巡礼1番〜10番
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4月下旬のGWから始めた遍路です。
九番札所 法輪寺
八番札所の熊谷寺から車で約10分ぐらいの所にあります。
法輪寺の歴史・由来
古くは「白蛇山法林寺」と称され、現在の地より北4キロほど山間の「法地ヶ渓」にあって、壮大な伽藍を誇っていたと伝えられる。その礎石や焼土がのこっており、これは天正10年(1582)の戦乱のさいに長宗我部元親による兵火で焼失した遺跡である。縁起によると、弘法大師がこの地方で巡教されていたときの弘仁6年、白蛇を見つけた。白蛇は仏の使いであるといわれていることから、大師は釈迦の涅槃像を彫造し、本尊として寺を開基したとされている。涅槃釈迦如来像は、北枕でお顔を西向きに、右脇を下に寝ている涅槃の姿を表しているが、そばの沙羅双樹は白く枯れ、釈迦を慕い嘆き悲しむ羅漢や動物たちの像も安置されている。開帳は5年に1度で、最近では平成14年2月15日に行われた。
現在地に移転し、再建されたのは正保年間(1644〜48)で、当時の住職が「転法林で覚をひらいた」とされ、山号と寺名をいまの「正覚山法輪寺」と改めた。しかし、安政6年(1859)にまたしても罹災している。これは村人が浄瑠璃芝居の稽古をしていた際に、堂内から出火したと伝えられ、鐘楼堂だけを残して全焼した。明治時代になって再建されたのが現在の堂塔である。寺宝に「弘法大師御おころも衣」が伝えられている。高野山奥の院で入定されている御衣替えの恒例にちなんで、明治15年(1882)、明治天皇が法輪寺に下賜されたものである。
本堂です。
ここでもしっかりお経を唱えました。
大師堂です。
こちらでもお経をちゃんと唱えました。
写真が綺麗に撮れてなくてすいません
![]() こちらには広い休憩所があり、とても綺麗でした
![]() ご朱印です。
★ここのお寺は休憩所が綺麗でした。トイレの所に賽銭箱が置かれてました。
お寺の山門の外に出店が出て色んな物を販売しています。
お寺の前にはお店があり有名な草餅を購入することができます★
おまけ
法輪寺の前にお店があり、ここで草餅を購入することができます。
法輪寺の見どころ
法輪
仏の教えは衆生のどこにでも転じ、人々を教化するといわれる。
草わらじ鞋のお守り
むかし、松葉杖なしでは歩けなかった人が参拝にきたとき、参道の真ん中あたりで足が軽くなり、松葉杖なしでも歩けるように完治したという伝えがあり、本堂にはたくさんの草鞋が奉納されている。健脚祈願「足腰お願いわらじ」は納経所で。
法輪寺へのアクセス
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4月下旬のGWから始めた遍路です。
八番札所 熊谷寺
七番札所の十楽寺から車で約10分ぐらいの所にあります。
熊谷寺の歴史・由来
四国霊場のなかで最大級の仁王門を構える。縁起によると弘仁6年、弘法大師がこの地の閼於ヶ谷で修行をされていた。その折、紀州の熊野権現があらわれ「末世の衆生を永く済度せよ」と告げられ、5.5センチほどの金の観世音菩薩像を授け、虚空はるかに去っていったという。大師はその場にお堂を建てて、霊木に自ら一刀三礼して等身大の千手観音像を彫造し、その胎内に金の尊像を納めて本尊にされた、と伝えられている。元禄2年(1689)の寂本著『四國禮霊場記』には、「境内は清幽で、谷が深く、水は涼しく、南海が一望できる。千手観音像の髪の中には126粒の仏舎利が納められてある」という意の記述がある。境内にその鎮守堂があり、熊野権現が祀られている。
元禄のころ(1688〜1704)までに幾度か火災にあった説もある。ただ、昭和2年(1927)の火災では本堂とともに弘法大師作のご本尊も焼失している。その後、歴代住職の尽力により本堂は昭和15年に再建されたが、第2大戦で工事が中断、ようやく同46年に堂宇の全容が完成、新造された本尊の開眼法要が営まれた。前述の仁王門は、貞享4年(1687)の建立で、徳島県の指定文化財である。和様と唐様の折衷様式で、間口は9メートル、高さは12.3メートル。2層目の天井や柱には極ごくさいしき彩色の天女の姿などが描かれている。大師堂に安置されている弘法大師坐像は室町時代の作で、県指定の文化財である。
車で行くと何気なく通ってしまうのですが、ここが熊谷寺の入り口です。
ここから本堂に向かい歩いて行きます。
結構、距離はあるかも・・・
![]() 階段を上がると山門があります。
仁王門です。
こちらの仁王門は色が鮮やかでした
![]() 本堂です。
きちんとお経を唱えてきました。
この階段を上がると大師堂があります。
大師堂です。
宝永4年(1707)の建立で、県指定文化財。
こちらでもお経を唱えてきました。
大師堂から見た下の景色です。
多宝塔です。
安永3年(1774)建立。
内部には胎蔵界の大日如来像を中心に、 四方に如来像を安置している。 ご朱印です。
★駐車場から本堂まで距離が少しあります。お花の寺と言われてるらしく
四季の花を楽しむことができるそうです。今行けば紫陽花が綺麗かと思います。
納経所は駐車場の所にあります。納経所でご朱印をしてくれた方が男前でした
ちょっとした遍路グッズもあります★熊谷寺へのアクセス
土成インターチェンジから、県道139号線を市場町方面へ進むと寺行きの看板があるので看板に沿って行くとたどり着きます。
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4月下旬のGWから始めた遍路です。
七番札所 十楽寺
六番札所の安楽寺から車で約5分ぐらいの所にあります。
十楽寺の歴史・由来
寺は現在地から北3キロほど奥の十楽寺谷の堂ヶ原にあったと推定される。大同年間に弘法大師がこの地を巡教して逗留されたときに阿弥陀如来を感得し、如来像を刻んだのが本尊として祀られたと伝えられている。その際に、大師は生・老・病・死など人間として避けることのできない苦難に、10の光明と、輝く楽しみが得られるようにと「光明山十楽寺」の寺名を授けたといわれる。
創建からしばらくは、阿波の北方きっての広大な七堂伽藍を誇っていたが、天正10年(1528)長宗我部元親による兵火で、すべての堂塔が焼失した。幸い、本尊は時の住職が背負い難を免れたという。寛永12年(1635)に現在の地に移り、再建された。 明治時代になり本堂が再建され、本格的な大師堂、書院などを整え、さらに平成6年には立派な木造の本堂を建立している。本堂左前にある「治眼疾目救済地蔵尊」は、古くから眼病、失明した人たちの治療に霊験があるとされ、眼病に悩むお遍路さんの参詣が多い。尊像の前には熱心に祈る人の姿がよく見られ、信仰者のなかには、開眼したという例も数多く伝えられている。四国霊場には、24番最御崎寺、39番延光寺の目洗い井戸、52番太山寺の一畑薬師など、目の不自由なお遍路さんの祈願所が多く、霊験の力をお祈りしたい。
山門です。
竜宮門です。
本堂です。
お経を唱えさせていただきました。
遍路ツアーで来てた方々が熱心にお経を唱えてました。
本堂の左側を奥に行くと階段があり上へあがると大師堂があります。
大師堂です。
ここでもお経を唱えました。
水子観音です。
治眼疾目救済地蔵尊です。
大師堂階段手前の横。古くから眼病平癒の地蔵尊として知られています。
去年から仕事で眼を悪くした私は丁寧にお参りしました。
お守りも売店で購入しました。
お守りです。
仕事でPCの入力の仕事をしてたのでおまもりを持って仕事をしてました。
竜宮門の上に上がると中はこんな感じになってました。
夫婦円満とか縁結びに良いとされてるそうです。
ここも立派な宿坊がありました。ちなみに宿坊の名前はホテル光明会館です。
遍路ツアーの方が沢山泊まられてました。
ちなみに宿坊と同じ建物の中に納経所&売店があります。
境内の外はつつじがとても綺麗でした
![]() ご朱印をいただきました。
★とても雰囲気のいいお寺でした。でも売店&納経所の方は愛想悪かったです★
十楽寺へのアクセス
土成インターチェンジから、高速道路に沿った道を板野方面に進むと、
左手にあります。
★カメラはSONY RX-10を使用しました
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4月下旬のGWから始めた遍路です。
六番札所 安楽寺
五番札所の地蔵寺から車で約15分ぐらいの所にあります。
安楽寺の歴史・由来
『四國禮霊場記』(元禄2年=1689)には「医王の神化を人みな仰ぎ寺院繁栄に至り、十二宇門甍を接し鈴鐘のひびき絶える時なし…」と記され、その昔は阿讃の山麓から現在地まで寺域が点在し、戦国時代の兵火や明治維新の神仏分離令を経て現在に至っている。
ここ引野村には古くから温泉があり、安楽寺は弘法大師によって温泉湯治の利益が伝えられた旧跡で、山号は温泉山とされた。(現在も大師堂前から温泉が湧き出ている。)桃山時代に阿波藩祖・蜂須賀家政公が「駅路寺」と定め、四国遍路や旅人の宿泊、茶湯接待の施設を置いた。その記録である「駅路寺文書」(慶長3年=1598)が今も残されており、宿坊はいらい400年の歴史を有する。藩政時代は山門に蜂須賀家の家紋が入った雪洞が許され、寺域は殺生禁断とされた。茅葺き屋根の方丈は、250年前に蜂須賀公により寄進され、質素ながら堂々とした木造建築である。 愛知県尾西市の水谷しづさん(当時49歳)は、脊髄カリエスの難病にかかり床についていた。当寺の住職は、夫の繁治氏に病床で苦しむしづさんを伴い、四国遍路をすすめた。二人は遍路の旅を決行した。ところが不思議にも巡礼の途中に、しづさんの難病が快癒した。現在の本尊・薬師如来像は、その報恩のために奉納されたもので、43センチほどの古来の本尊は胎内仏として納められている。昭和37年のことである。安楽寺には、運慶・快慶の流れをくむ慶派の京都大仏師・松本明慶師(1945〜)が無名時代から彫り続けた仏像三十五体が各御堂に祀られている。大師堂の弘法大師像はじめ、愛染明王、不動明王などである。また、性霊殿には胎蔵曼荼羅・金剛界曼荼羅がかけられ、石の壁には「五筆和尚」と称された弘法大師のさまざまな筆法の書が刻まれている。
山門から入って境内を見た景色です。
本堂です。
こちらでもお経をちゃんと唱えさせていただきました。
本堂の中に売店と納経所が一緒に入ってます。
大師堂です。
こちらでもお経を唱えさせていただきました。
ここは宿坊があります。
宿坊は、400年の歴史を持つ宿坊(宿泊施設)には、温泉山の名にふさわしい、天然温泉の大浴場があり、お遍路さんに好評だそうです。
方丈です。
遍路や旅人を泊めて保護するよう指定された寺「駅路寺」であった安楽時。
寺には蜂須賀藩によって出された「駅路寺文書」が寺宝として大切に保存されている。当時の面影を残すのは芽茅き屋根の立派な方丈です。
また、宿坊には大師堂前を源泉とする天然温泉「弘法の湯」があり、宿坊者のみ
入浴することができます。
太子駒つなぎの石です。
弘法大師です。
銀の温泉です。
さかまつです。
鯉が泳ぐ日本式の回遊庭園の中央に、弘法大師42才(男性の大厄)の時に猟師の弓矢から大師を守ったと伝わる、大師お手植えの厄除けの「さかまつ」があります。
多宝塔と安楽橋です。
内部は極彩色の仏画や彫刻で浄土を表現している。周囲では八十八ヶ所のお砂踏ができる。 おみくじを引きました。 吉でした
![]() 内容も良かったのでひと安心です
![]() おみくじを結ぶところが見つからなかったので、みんなが結んでた木に
結ばせてもらいました。
結んだ木をよ〜く見ると・・・ さくらんぼがなってました
家族が「もう少しで取って食べる所だった」と冗談気に言ってました
![]() ご朱印です。
★ここのお寺の印象は境内の庭がとても綺麗で癒されました。
温泉水が流れていて温泉に入りたいなぁと思いました。
納経所の方は感じのいい人でした★
おまけ
ここで珍しい標識を見つけました。
お遍路さんと子供には注意しようということなのかな?
安楽寺へのアクセス
徒歩:地蔵寺-郵便局前-神宅橋-谷川橋-鍛冶屋原駅跡-松島神社-竹重橋-安楽 寺 1時間10分 4.7km 公共交通機関:地蔵寺から南へ徒歩5分「羅漢」から徳島バス鍛冶屋原行き乗車15分「東原」下車西へ徒歩7分 車:土成インターチェンジ出口を右折、次の信号を右折、県道139号線を東へ3.5km行くと右手にあります。
★使用したカメラはSONY RX-10です
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って思わず口に出してしまいました


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ちょっとした遍路グッズもあります★





